二十五着目「舌足らずなデシャップとワケあり坊主」

「あっ!?やっと来た!!

 キミ達、どこ行ってたの~!?

 もう~、吉野執事に報告する寸前だったんだからね!全くもう!!」

 パントリーに着くと、舌足らずな喋り方をする使用人に、僕らは怒られた。

 彼の見た目は、痩せてた頃のグルメリポーターの彦摩呂にソックリだった。


 ちなみに、お屋敷では、ホールとキッチンを繋ぐスペースをパントリーと呼んでいる。

 パントリーで、キッチンから出来た料理をデシャップが最終確認をし、フットマン達がそれを受け取り、お嬢様の元へ料理を運ぶという仕組みだ。

 彦摩呂は、デシャップの役割を担っていた。

 彼は白いワイシャツに黒いベストを着ており、頭には黒いハンチング帽を被っている。

 この制服を着ているのは、パントリー内で彼とティーマイスターだけだ。他の使用人達は、燕尾服を身に纏っている。


 パントリー内の状況は、長い尾の特徴的な燕尾服を着たフットマン達が、ひっきりなしに出たり入ったりしており、その様子は、まさに巣を往来するツバメのようだった。


『遅くなって、すみません……』

 僕らが、彦摩呂に謝っていると……


『どけやコラッ!!』

 突然、真後ろから怒鳴り声が聞こえた。


「おいっ!奴隷ども!!狭い通路で突っ立てんじゃねーよ。さっさと、どけやコラッ!!」

 僕らは、いきなり先輩フットマンに怒鳴られ、罵声を浴びせられた。


 パントリーに到着して、まだ5分も経っていないのに、矢継ぎ早に怒られてしまった。

 このように、パントリー内は、一触即発、非常にピリピリとした空気が漂っていた。


「どっ、どれい……」

 先輩フットマンに怒られて、恐怖におののくというよりは、現代の日本において、という言葉を使う人がいる事に驚いたというのが、率直な所だった。


「ほらっ…ほらっ!ちゃん達、端っこに寄りなさい。フットマンのお兄さん達は、すんごい怖いんだからね。気をつけなさいよ」


 僕達、新人の事を好意的に思ってくれてる人は、「ひな鳥」とか「新人さん」と呼んでくれる。

 そうでない人は、さっきの先輩フットマンのように、「奴隷」とか「オイッ」、「お前」と呼んでくる。

 つまり、人として扱っていない。

 その割合は、1対9だ。

 もちろん、新人を人として扱ってくれる人間の心を持った優しい人が「1割」で、人としての礼儀もわきまえていない、ほんとどうしようもねぇ、ノータリンの奴らが「9割」といった具合だ。


 僕は、お屋敷に来た初日から、フットマン達の態度に内心かなり、している。

 こんな事、サラリーマン時代には、あり得なかった。

 どれほど、嫌な社員でも最低限の礼儀やマナーは守っていたからだ。

 だが、ここのフットマン達は、そういった最低限のマナーすら、すっ飛ばして、感情を剝き出しにしてくる。


「ねぇ、リョーマ君。キミが面接の時に言ってた、『カッコ良くて、優しい使用人の皆様』ってドコにいるの……?」

 僕は、無理矢理に笑顔を作り、イライラと体を震わせ、額に青筋を立てながらリョーマ君に問いただした。


「えっ、え~と……う~ん……」

 リョーマ君自身もフットマン達の(ティーサロン)と(パントリー)が違い過ぎて困惑している様子だった。


『ピピピッピピピッ』

『ピピピーピピピー』

 紅茶の出来るタイマーの音やオーダーを知らせる機械音が休みなく鳴る。


 それに合わせて、デシャップの彦摩呂がインカムで指示を飛ばす。

『23卓デザプレ出来たよー。優音さん取り来てー』

『6卓、6卓~、紅茶もう出来てるよ~。一体いつ来るの~?来れないなら、さっさと返事して💢』

『おいっ、コラッ!蔵永くん何で先に出迎え行っちゃうの!!来れないクセに闇雲にオーダー飛ばすな💢💢』


 あの温和そうな彦摩呂も忙しさと共に、怒りのボルテージが上がっていくのが、僕らのような素人でも一目瞭然だった。


「ご帰宅した時は、優雅でゆったりとした時間が流れていたのに、裏ではこんなにバタバタと忙しかったなんて……」

 リョーマ君は、さも驚いた様子で現状を眺めていた。


 僕らは、当然何も出来ないので、茫然と隅っこで立ち竦むしかなかった。


「ゴメンネ、急に忙しくなっちゃって~、いま一瞬落ち着いたから、挨拶しちゃうね~。

 私、久我と申します~。よろしくね~」

 彦摩呂は、「久我さん」というらしい。

 でも、忘れそうだから心の中では、しばらく「彦摩呂」と呼ぼう……


「はい、よろしくお願いします!わっわたくし……」

 僕も自己紹介しようとしたが……


「ん、ゴメン。今時間無いから、リョーマ君と夕太郎君でしょ?

 どっちが、どっちかなんて確認してる余裕ないから、取り急ぎこれ被って」


 僕らは、タンポポの綿毛のような不織布で出来た帽子を手渡された。


「えっ、久我さんのようなカッコイイ、ハンチング帽は被れないんですか?」

 僕は彦摩呂に直訴した。

(ヤダな~、穴あきのキッチンコートにタンポポの綿毛みたいな帽子なんて、被りたくないな~)


「んっ?コレはけっこー偉い人の証なのよ?」

 彦摩呂は、ハンチング帽を人差し指でクルクルと回しながら、話を続けた。


「だから、ダメーッ。君達、新人さんには、こっちの綿菓子みたいなケサランパサラン帽がお似合いだと思うよ?」


「ぷー」

 僕は不服そうな顔をした。


「むくれた顔しないの~。はやく、はやく!キッチンに行った行った~。

 洗い場さん、ごめんね~。やっと新人さん達、来てくれたよ~。

 こき使っちゃって~」


 僕らは、渋々とケサランパサラン帽を被り、キッチンに向かった。

 キッチンは、パントリーよりもさらに忙しそうにしており、シェフもパティシエも皿盛りも、皆、目が血走っており、地獄の様相を呈していた。

 キッチンの反対側に洗い場があり、そこには、僕らと同じ格好のケサランパサラン帽とボロボロのキッチンコートを身に纏ったリョーマ君と同い年くらいの青年がいた。

 その青年は……坊主だった。


 僕は思った……

 彼は、わたわた帽子を被る必要がのでは?……。

 というか、フットマンの野球少年もそうだけど……このお屋敷には、各セクションごとに坊主を一人ずつ配置しなきゃいけない決まりでもあるのだろうか?……。


 そんな事を考えていると、洗い場の青年が、振り返り、僕らを見ると微笑みかけてくれた。


 僕も爽やかスマイルで応えようとしたが……

 つい、顔を引きつらせてしまった……


 なぜかって?……


 それは……


 なぜなら……


 洗い場の青年には、前歯が無かった……ついでにまゆ毛も無い……

 まゆナシ坊主頭に前歯がない青年……。どう見てもムショ帰りなのは、想像に難くない……


 そんな、彼が僕に微笑みかけてくる……


 ただただ、恐怖でしかない……


 今日一番、怖い光景だった。


 先輩フットマンに怒鳴られるなんて、カワイイもんだと思った。


 背筋が凍り、ゾッとした……


 こんな光景、普通のサラリーマン生活では、まずあり得なかった。


 うぅっ……僕、この職場続けられるのかな……。

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