十八着目「憑依」

『コノヤロー💢』

 ノッポ野郎の挑発的な態度から、頭に血が登り、心の中で叫んだ。


 緊張と怒りで、明らかに冷静さを欠いているのが、自分でも判る。

 何とか落ち着こうと、深呼吸を試みたところ……


「それでは、次、2番の方こちらへお願い致します」

 吉野執事に呼ばれてしまった。


「もうだめだ……はあ……」

 小声で呟き、僕は、ため息をついた。


「まだ、ダメじゃないですよ」

 僕の小さな独り言を拾ってくれたのは、吉野執事だった。


「さ、一緒に頑張りましょう」

 吉野執事の第一印象は、格好良いけれど、どこか冷たい印象のようにも感じた。

 今の彼は、木漏れ日のように柔らかだった。

 そんな彼の笑顔に、僕の心も少し和らいだ。


「それでは、お坊ちゃま。こちらをどうぞ」

 吉野執事は、丸いトレイを僕に手渡した。

 トレイには、ナフキンが敷かれている。それは、ターコイズブルーの生地で、金の糸で小鳥の刺繡が施されていた。

 その上に、今回テストに用いられるティーカップやティーポットが置かれている。


「左手で持ってくださいね。あと、こちらがティーコジーでございます」

 ティーポットの上に被せる布のカバーも受け取った。


『カタカタカタカタッ』

 吉野執事から、トレイを受け取った瞬間。

 僕の手のひらの上で、地震が起きたように、ティーカップやティーポットが揺れる。

 緊張で、トレイの持ち位置が安定しない。


「あれ、あれ……」

 情けない声を発する僕。


 僕の滑稽な様子を観て、クソノッポ野郎がほくそ笑んでいる。


「腕の位置にティーポットが乗るように。そして、ティーカップとポットの位置が腕と平行になるようにすると、重心が安定しますよ」

 吉野執事の適確なアドバイスで揺れがピタッと収まった。


 しかし、揺れていたのは上半身だけではなかった。

 膝がガクガクで前に進めない……


『動け!動いてくれよ。今、動いてくれなきゃダメなんだ!』

 僕は、いつも大事な所でヘマをする。

 今も、そして、きっとこれからもそう……そんな奴なんだ僕は……


『ここまで来たんだ、僕にしては良くやったよ。

 確かに、彼らの方が執事に相応しいのかも……』


 ……もう、諦めよう。


 そう思った刹那、突然頭の中から中年の男性と思しき声が聞こえてきた。


『ボクちゃん、ボクちゃん。大丈夫よ。ワタシが助けてあげるから』

 頭の中というか、心の奥のずっとずっと深い所から聞こえて来るのを直感的に感じた。


 おじさんの声……誰?


 あっ!この人、どこかで会ったことある。でも、思い出せない。

 とても、懐かしい感覚。


 だんだんと、背中から腰の辺りにかけて、ポカポカしてきた。


「アッ・タ・・・カイ」


 気持ち良すぎて、こんな状況にもかかわらず、甘い声が漏れてしまった。

 おじさんに後ろから抱き着かれているような感覚。


 この感覚に包まれると、こんなにも緊張してるのに、とても落ち着く。呼吸がゆっくりと深くなってゆき、安心感を得られた。

 不思議と、この声に任せれば、何もかも上手く行くと、僕は確信した。

 僕は、心の深い所から聞こえてくる、おじさんの声に身を委ねた。


『ボクちゃん、本当に素直で良い子ね♪』

 その言葉に呼応するように、僕の猫背の背筋が、芯が入ったようにピン!となる。


「この短時間で、緊張を味方に付けるとは……

 お嬢様を想う気持ちが誠であれば、使用人として、どんなことも乗り越えられます。

 いつ、如何なる時も、ココロに燕尾服を着るのでございます。

 わたくしに出来ることは、此処まででございます。

 では、お坊ちゃま。お気をつけて、いってらっしゃいませ」

 吉野執事は、僕の背中をポンッと軽く押してくれた。


 僕は、向こう側で待っておられる、お嬢様を見つめる。

「あのお方が、わたくしあるじ……お嬢様」


 初めての体験だけど、そんな事言ってらんない。やらなきゃ他の二人にやられる。

 誰にもお嬢様を渡したくない。


 おじさんの声、吉野執事のサポート。そして、お嬢様を想う気持ち……『“本物”に格好なんて関係ない。僕はココロに、燕尾服を着る!』

 覚悟を決めた。


 そして、僕は明鏡止水の境地に入った。いわゆる“ゾーン”ってヤツだ。


『ボクちゃん、ワタシが、あのレディの所まで、エスコートするわ♪』

“ゾーン”に入ると、おじさんの声がより鮮明に聞こえた。

 その声に身を委ねた僕は、僕とは思えない程、凛々しく、自信に満ち溢れた。


 僕の歩いた足跡には、花々が咲き、それらを求めて、蝶や小鳥たちが自然と集まる。

 そして、どこからともなくハープやフルート、バイオリンの音色が聞こえてきて……

 こんなふうに表現しても、可笑しくない程、僕の所作は、自分で言うのも何だが、美しかった。


 体の重さを全く感じない。そのまま宙に飛んでっちゃうかと思った。


「失礼致します」

 お嬢様に軽く一礼をする。


「お嬢様、紅茶をお持ち致しました」

 お嬢様は、恥ずかしそうに、目線を少し下に逸らす。

 そんな、お嬢様のはにかむ様子を観て、僕はこの時点で、勝ちを確信した。

 しかし、少しでも調子に乗ってしまったが、最後。

 計算高い不純な思考が入り込み、集中力が切れ、たちまち“ゾーン”が終わってしまった。


『せ、、、セリフが出てこない……

 なんだっけ?さっきまでクリアに頭の中にあったのに……』


 ……えーい!なんとでもなれっ!


「ほ、本日のカップはぁっ、イギリスはロイヤルアルバートより、え~っと……ムーン“ナイト”ローズでっございまっすぅ」


「……はあ」

 後ろの方で、吉野執事のため息が聞こえた。


 オワタ……

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