六着目「僕は本当にバカで最低な事を彼女にしてしまった」
僕はあみちゃんを抱き寄せる度に天に上るような気持ちを味わってきた。
彼女のすべすべで柔らかな肢体はどこを触っても心地良く、その温もりには身も心も蕩かされるようだった。髪が揺れる度に漂ってきた香りは甘やかでいつまでも嗅いでいたいと思わせた。
あみちゃんの魅力はいつだって僕の理性を吹き飛ばしてきたのだ。
そんな彼女が僕のものではなく、他の誰かになってしまうかもしれないと思うと、もうどうして良いのか分からなかった。
「グスンッ、ねぇ……じゃあ、最後にキスしてよ」
僕はボロボロと涙を流しながら鼻水を啜り、すっかり掠れ切った声で、力なくそう言った。
「えっ……うーん」
あみちゃんは深刻な顔で悩む素振りを見せ、しばらく答えなかった。
「ごめん、やっぱりダ……うぐっ」
やがて、『ダメ』と拒否するのを察知した僕は、堪えきれずあみちゃんを力いっぱい強引に抱き寄せた。
……もうどうせダメなら、いっそ無理やり奪ってしまえ!
彼女の腰に手を回し、更に腕も掴むことで自由を奪った。
そこから顔を近づけていき、強引にキスしようとする。
「ちょっとッ……! それはダメッ!!」
あみちゃんは必死に顔を仰け反らせていた。
その為、なかなか上手くいかない。
「なんでよ? いつもは、シテって言ってくるじゃん。どうして、どうしてっ?」
僕は拒否されていることで、涙がより溢れ出した。
感情の高まりは自ずと両手の力の入れ具合も強めていく。
「ちょっと、痛っ、苦しいって!」
あみちゃんは表情を歪めていたが、僕の意識は彼女の唇だけに向かっていた。
こんなにも近くにあるのに、どうしても辿り着けない。
やっとの思いで僕の唇が彼女の首筋に触れた。その温もりは色々な感覚を思い出させ、愛おしさが湧き上がってくるのを感じた。
しかし、直後に左頬が焼き付いたように熱くなる。
「ッ……!?」
バシッ、という鈍い音が遅れて聞こえたように思えた。
僕の腕を何とか振りほどいた様子のあみちゃんは、片手を反対側へと流しており、その体勢からビンタされたのだと分かった。
それは耳の辺りに当たったようで、キーンと耳鳴りがしていた。
「ごめん、夕太朗くん痛かったでしょ?」
あみちゃんは咄嗟にこちらの心配をしてくれた。その様子に嘘は感じられなかった。
しかし、僕は茫然としてしまう。
彼女の口から随分と久しぶりに聞いた、僕の本名。
もうこれまでのように愛情を込めて“ゆたくん”と呼んではくれないことを、ようやく身をもって知った。
ビンタされたことで冷や水を浴びせられたように正気を取り戻し、徐々に落ち着いて考えられるようになってきた。
それと同時に、僕は本当にバカで最低なことを彼女にしてしまった、という罪悪感に苛まれることになった。
僕は腫れている様子の頬に手を当てながら、地面にへたり込んでいた。
「グスンッ、グスンッ……」
涙と鼻水を何とかすることに精一杯で言葉が出てこない。
あみちゃんはそんな僕と目線を合わせるように屈みこんだ。
「じゃあ、最後だから一言、言わせてもらうね。女の子はね、男の子に夢を見させて欲しいの」
「グスンッ」
僕は『うん』と言ったつもりだったが、鼻水に邪魔をされて上手く発することが出来なかった。
あみちゃんは気にせずに言葉を続ける。
「それはお金だったり、カッコ良さだったりいろんな方法があると思うの。女の子だってバカじゃないから、キザな言葉とか、優しくしてくれたり、美味しいものやプレゼントしてくれたり、そういうナンパな男の子の本当の目的……例えばカラダ目当てとか……そうやって騙されてることくらいわかってるの。でもね。ウソはウソでも素敵なウソなら嘘じゃないの!!」
彼女は強く断言したが、僕の頭の中は疑問符で埋め尽くされた。
……ウソはウソでも素敵なウソは嘘じゃない、ってなんだ? 急になぞなぞクイズを出されたのか? ウソつかない方が良いだろ?
それは考えれば考えるほどに訳が分からなくなった。
その上、あみちゃんは更に言葉を連ねる。
「それにね、ナンパじゃない男の子にそういうことして貰えると、本当に嬉しいの。不器用で、女の子を口説く勇気もないロクデナシで、ナンパじゃない夕太朗くんが素敵なウソをついてくれると、これから出会う女の子は、きっと、とっても幸せな気持ちになれると思うな~」
彼女は夢見るような表情でそう言った。
まだ涙も鼻水も止まらない僕は、ふと思ったことを口にする。
「グスンッ、ロクデナシハヨケイジャナイデスカ~」
「コラッ! 人がせっかくイイ話してるんだから口答えシ、ナ、イ、の~」
そう言って、あみちゃんは僕にデコピンをした。
「イタッ!」
額に痛みはあったが、彼女のおどけた仕草に癒される自分もいた。
しかし、あみちゃんはすぐにアンニュイな表情となった。
「お金の事は仕方ないけど、夕太朗くんも男の子だったら、もうちょっと男らしくカッコつけて、私に夢を見せて欲しかったな……」
「…………」
僕は何も答えることが出来なかった。
少なくとも、あみちゃんの求めるものを自分は与えることが出来ていなかった、ということはこれまでのやり取りで散々刻みつけられたことだったから。
「私が騙されてもいいなって思えるくらい、素敵な男の子になって戻ってきてね。さよなら」
そう言い残すと、あみちゃんは去って行った。その足取りに迷いはなかった。
あんなにもみっともない姿を晒しながら粘ったのに、最後は呆気ないものだった。
僕は彼女の後ろ姿に目を向けることも出来ず、ただただ涙で地面を濡らした。
さよならさえも言えなかった。
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