三着目「ちぐはぐ」

 僕は仕事終わりにあみちゃんと待ち合わせた。

 社長からの通告や同僚の態度がショックで頭の中から完全に抜け落ちていたが、今日は食事に行く約束をしていたのだ。彼女からのメールはその確認だった。

 気乗りはしなかったが、鬱屈を誰かに吐き出さずにはいられない。あみちゃんなら良い愚痴相手になってくれるはずだ。

 そう思った僕は会って早々、自分が追い出し部屋行きになったことを話した。

 彼女は深く同情してくれて、「今日はゆたくんを慰める会にしよ!」と言った。

 手近な居酒屋に入ると、一緒にメニューを見ながら、僕は呟く。

「えーっと、安いの、安いのは……」

「ちょっと……そういうの恥ずかしいから止めてよ」

 あみちゃんはそんなことを言うが、僕からすればそれは必要なことだった。

「いやでも、今月から給料三割減だから、変なウソで最低評価取った事になってるし、みんなオール3ってバカにしやがって」

 吐き捨てるように強い語調で言う。苛立ちを隠す必要はないと思ったのだ。そんな僕でも彼女は優しく包み込んでくれるはずだから。

 あみちゃんはビクッと肩を震わし、驚いた様子だった。しかし、すぐにニコッと笑みを浮かべた。

「ゆたくんがちゃんと仕事してたなら、それでいいじゃない。いつかきっと、みんなもわかってくれるよ。私にとってゆたくんは、Mr.Only One、だよ!」

 あみちゃんは「わんっ、わんっ」と犬の真似をして見せる。場を和ませようとしてくれているのだろう。

 以前の僕ならそんなお茶目さを見せる彼女に癒されていたが、今の気分ではとても笑えなかった。むしろ、不愉快だ。そんな思いを視線に込めて、おどける彼女をジッと見つめる。

「……はぁ」

 僕がこれ見よがしに大きな溜息を吐くと、あみちゃんは悄然とした様子で黙りこくった。

 やがて、その沈黙を打ち破ったのは、注文を取りに来た店員だった。

「メニューお決まりですか?」

「え~っと、ししゃもと、あと暖かいお茶あります?」

「ありますよ~、他はどうしましょう?」

「以上で!」

 僕は迷わず断言した。こんなところで無駄金を使うわけにはいかない。

 すると、あみちゃんと店員はポカンとしていた。

「いや、お兄さ~ん。うち居酒屋なんだけどね~」

 すぐに店員はそんなことを言ってくる。イライラしていることが見て取れた。これでは利益にならない、もっと注文しろ、とでも言いたいのだろう。

 しかし、その態度に僕は我慢ならなかった。

「はっ!? こっちはストレスで体調悪いんで~!! そもそも酒飲まなかったら、ししゃも頼んじゃいけないんですか!! なんなんっすか、この店!!」

 怒りが言葉となって口から溢れ出していく。

 客なんだぞ、こっちは。ちゃんと注文だってしているんだ。

 なおも言い募ろうとしたところで、慌てた様子のあみちゃんが遮った。

「ごめんなさい! 私頼みます! カンパリオレンジと、から揚げと……ゆたくんオムそば好きだよね? ね? そしたらこれと、あとは……」

 あみちゃんは次々と注文していく。普段の彼女はそんなに頼むことはなかった。それは僕への当てつけのように思えた。

 店員が足早に去っていくのを見届け、彼女は言う。

「でもさ、ほら良かったじゃない。世の中、派遣切りとかリストラされてる人もいるんだよ。それに比べたらまだマシなんじゃない? きっとこれから良くなるよ!」

 あみちゃんはそんな風に励ましてくる。

 しかし、それはあまりにも無責任な言葉だ。僕は巷でそういった感じで言われていることに一番腹が立っていた。

 にもかかわらず、あみちゃんもその内の一人だったことには落胆を隠せない。それは瞬く間に怒りの炎へと変わった。

 こんなに不安で辛いのに、どうして誰も分かってくれないんだ……。

 彼女なら分かってくれると思っていた。けれど、それは見当違いだった。裏切られた気分だった。

「さあね、もうダメかもしれないね……大体、そんな根拠もなく良くなるんだったら、失われた二十年なんてならないでしょ」

 僕が不貞腐れた様子を見せると、彼女は叱りつけるように言う。

「もう! さっきから、ちゃんとしてよね!!」

 しかし、それは火に油を注ぐだけだった。

 他人事だから好き勝手言えるんだ、と思った。

 僕の怒りはいよいよ臨界点を突破し、爆発する。

「あーもう、いい加減にしてくれっ! どうして、いつも! いつも!! ちゃんとしろなんだッ!! お兄ちゃんだからちゃんとしろ! 男だからちゃんとしろ! 社会人としてちゃんとしろ! これでも、ずーっとちゃんとしてきたつもりだよ!! たまには、ちゃんとしない時があったっていいだろッ!!」

 僕の怒鳴り声にあみちゃんはビクッと身を震わせた。

 少しして、彼女はボソッと呟く。

「急になに言ってんのよ。そんなことまで言ってないよ……」

 僕達は何度目か分からない沈黙で満たされた。

 その間にも次々と料理が運ばれてくる。

 重苦しい雰囲気の中、あみちゃんは元気な振りをして料理を頬張っていた。

「ねぇ、ゆたくんも食べてよ。私だけじゃ全部食べらんないよ。私、もうけっこうお腹いっぱいだよ」

 僕はししゃもだけに手を付けた。他のものはどれも彼女が頼んだ料理だ。それが嫌味となるのは分かっていた。

 あみちゃんはわざとらしく明るい声で新しい話を始めようとする。

「ねーねー、ボーナスでたら今度旅行行こうよ。ねーねー、どこ行きた……」

「ボーナスなんて、出ないよ」

 僕は食い気味に答えた。

 すると、彼女は驚いた様子だった。

「えっ!? ウソよ、ウソウソ。さすがにボーナスくらいはでるっしょ?」

 本気で言っているのか。僕は彼女の正気を疑った。

「チッ、ほんと世の中のことわかってねーなー」

 僕は強く舌打ちし、そう吐き捨てた。

 あみちゃんは何かを諦めたように俯いた。

 その後の彼女はもう何も言うことはなく、程なくして僕達は店を出た。

 テーブルの上には、ほとんど手つかずの料理だけが残されていた。

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