よみて

 りゅうを倒すにはお金がかかる。追い払うのはそれより、安価で済む。

 だから、竜払いという仕事がある。



「やあ、ヨルさん」

 このところ、道ゆく見知らぬ人から、あいさつがてら、声をかけられることが増加しつつある。

 微妙な有名人化を果たしていた。このあたりの土地にて。

 おれの名が知れ渡ってしまった理由、および、その経緯はさておき、とりあえず、いまは読書中である。

本を読むのは、好きだ。

 どこへ行くにも、つねに一冊、読む本を持って移動している。一日の隙間の時間に読むときもあれば、ずっと読んでいる日もある。

 今日も午前中に竜を払った、ねずみほどの竜である。どんな大きさの竜だろうろうが、人は竜が怖いので、払うしかなかった。

 竜払いの依頼をひとつこなし、休憩がてら町の広場の縁石へ、剣を背中から外しつつ、腰をおろした。一休みである。広場には、同じように一休みしている人々の姿があった。

 陽ざしは柔らかだった。そうあつくないし、まぶしさもない。

で、外套の下から本をとりだし、読んでいた。小説である。まだ読み始めたばかりで、物語の全貌は見えていない。

 視線を感じ、本から顔をあげた。すると、手縫いのうさぎらしきぬいぐるみを持った、褐色の肌の四歳ぐらいの女の子が母親と手を繋ぎ、こちらへやってきた。

母子は俺の前に立つ。

「ヨルさん」母親の方が、じつに、にこやかな表情で名を呼んだ。「こんにちは」

 おれは彼女のことを知らない。けれど、向こうはこちらの名を知っている。このあたりの土地で、有名化したせいか、こういう見知らぬ人から声をかけられる場面がふえていた。

 彼女は、じつに、にこやかに挨拶をしてきたので、こちらも「こんにちは」と、返した。

 いっぽうで、四歳ぐらいの女の子の方は、ただ、じっと、おれを見ている。

 母親が「本、お好きなんですか」と訊ねて来た。そして、こちらが回答するまえに、彼女は娘へ「ほら、竜払いさん、本、読んでるわねえ」と、我が子へ話す。

 娘の方は、やはりおれをじっと見ているだけだった。

 きっと、観察されている。

「あ、そうだわ」母親がなにか思いついたらしい。「ヨルさん」 

名を呼ばれ「はい」と、返事をした。

「この子ね、さいきん、少し字が読めるようになってきたの」

 字が読める。四歳くらいだと、もう文字が読めるのか。

 そうなのか。

「それでね、ヨルさん、この子が読むのに、なにか、いい本を教えてあげてくださいませんか」

「おれが、本の紹介を」

「ええ」彼女はにこやかな表情でうなずく。「この子、ヨルさんの竜を払うお話が好きみたいで」

 おれが竜を払うはなし。

 もしかして、ここのところ、この地域ばかりで竜を払っているので、なにか、おれにまつわる妙な話でも出回っているのか。誇張とかもされて。

 いやまあ、それはそれとして。

「この子は、まだ自分だけで本を読んだことがないんです、でも、ヨルさんがおすすめしてくれた本なら、この子も喜んで本を読むと思うんですよ」

 いって、ふふふ、と笑った。

 なるほど、つまり、この子がはじめて読むにふさわしい本を教えればいいのか。

なにかいいのがあるだろうか。

 これまでの読書体験の記憶をさぐりつつ、娘さんを見返す。やはり、じっと見てくるだけだった。

 なんだろう、彼女。ずっと、すごく観察されている。

 それはそうと、彼女がはじめて読むにふさわしい本か。

 そうだな、ええっと。

「娘がはじめて読む本」すると、母親が言い放つ「それは、つまり、この子がはじめて体験する、単独で読書、はじめての自立した本の世界体験」

 ん、どうした、母よ。そこの母よ。

「この子が人生ではじめて読む本が、その本によって以降の、この子の人生の中で、読書というものの重要性が決まるといっても過言ではなく、もし、そのはじめての読書体験で、ひどいものを読んでしまった場合は、きっと、きっと、この子は、本が嫌いな人生になる。そうよ、選ばれ、与えられる本が、この子の読書人生の、初期設定になる、それが嫌で、嫌で、嫌な体験だったとしたら、呪われた初期設定の人生ということもありうる」

 母よ、だから、そこの母よ。

 どうした、母よ。

「ですので」と、おれが見上げていると、母親は、にこやかな表情で独特の会話の仕切りを入れた。「どうかヨルさんに、この子がはじめて一人で読む本を、選んでいただきたいのです」

 莫大な重責を増量した上で、あらためて頼んでくる。もはや、精神面への攻撃が、如実であった。

 すると、そのとき、娘さんが小さな口をひらいた。

「ははを、ゆるしてください」

 おれに向かってそう言い放つ。

 どうやら彼女は、文字だけではなく、人の心が読めるらしい。

 とりあえず、おれは「でかした」と、彼女を褒めた。で「きみは、そのままゆけ」と、称えた。

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