みんながよくねむれるように(4/4)
その後、大森林の入り口まで辿りつく三日かかった。
レディメイは浮かれに浮かれた。けっか、彼女は、いくつかの心の敗北を経験する。とりあえず、身体の怪我だけはせず、大森林の入り口までたどりついた。
「思ったより、人気なかったね、わたし…」
彼女は悲しい言葉を吐いた。
おれは「かける言葉をひかえる」と、告げておいた。こぐま犬は横について来るだけだった。
なぜか彼女は「ありがと」と、礼をいった。
勢いのまま出会ったばかりの相手との旅だった。けれど、こぐま犬も一緒なので、なら、まあ、いいかという根拠のない納得の上での旅でもあった。こぐま犬は片時も彼女のから離れない。寝るときも一緒らしい。たまに、おれの靴を噛んだり、爪で削った。やめたまえ、と、注意すると、じっと、見返してきて、で、また、噛んで、爪で削った。靴がなくなってしまうから、やめてほしい。
そんな、こぐま犬が一緒だから、だいじょうぶだろう、きっと。
そんなことを考えているうちに、ふたりと、一匹で、大森林の入り口までやってきた。
目の前には、どこまでも生え広がる木々があった。大森林の奥へ入れば二度と戻れないといわれている。そのため、この大陸に住む人々は、この森自体にあまり近づかない。薬草、きのこの類をとるために、入り口付近の森まで入ることぐらいはあるらしい。かつて、森の奥より、やや手前には町もあったようだが、いまは滅びて、草木に覆われていたりした。
とにかく、大森林に着いた。そして、この三日間で、細々とした、小さな事件は発生したが、致命的なものはなかった。
三日を一緒に旅したので、とうぜん、いろんな話を聞いた。レディメイは、大森林の奥から来たといった。それはどういうことなのか、と訊ねると、彼女は「くわしくは森で」と返された。
どういうことだろうか。けれど、彼女の青空のような明るさ言い方の効果か、そう返され旅に、では、森できこう、という気になった。
けれど、そうした会話を重ねるうちに、多少は彼女の口から大森林の状況の情報もこぼれた。
火災が起き、森が消えたその場所は、見事に『円』になっている。そして、竜が現れたその『円』は、大森林の奥とよばれる場所に近い。近いというか、やや、境界線がまたがっているという。ちょっと、微妙な位置にあるらしい。けれど、きっと、たぶん、おそらく、大森林の奥と、判定されないだろう、というはなしだった。
ふわふわな情報である。そんな、ふわふわ情報にもとづき、竜を払うのか、大きな竜を。しかも、金色の。
その情報以外、レディメイが放つのは、好奇心の話ばかりだった。彼女は、とにかく、この世界を知り尽くさんばかりの勢いだった。はつらつし、はつらつの勢いあまって、ときにしくじり、手痛いにめにもあった。はつらつ攻撃は、おれや、出会った人々におみまいしていた。さいわい、回復可能な範囲ではあった。最後はみんな笑ってしまっていた。
けれど、今日、大森林までの小さな旅は終わった。ここから、先はもう町はない。
「かえってきちゃたか、この森に」
レディメイは、ため息をつくようにいった。
少しこまったような顔をしている。ただ、苦痛めいたものはない。しかたがないという感じにとどまっていた。
「わたしについて来て、ヨル。約束どおり、ここから先はわたしが案内する」かるく口調ではあるのに、しっかりした声だった。「というか、ここからはわたしに必ずついて来て。すなわち、わたしは、あなたを連れてゆく約束をまもりー、それで、あなたはわたしに着いてくる約束を守ってほしい…って、おや、なんか、ぐちゃぐちゃなこといってるか、わたし? 話が迷子になってる?」
話ながら、かくにんしてくる。顔を向け、赤い髪を揺らし、大きな瞳で見て来た。
「まっ、いいか」そして、すぐにそう処理した。「わたしの話は、あきらめをもって聞いてくれ」
そう要求され、おれは少し考えてから「わかった」と、許諾した。
「どうも」
レディメイはかたをすくめた。
おれは視線を感じて見下ろす。すると、こぐま犬がこちらを見上げていた。うったえるものが、あるような、ないような目をしていた。
彼女は、こぐま犬を、犬だという。けれど、あいかわらず、熊としか思えない。
「では」
短い掛け声ととのも、レディメイは森の中へ入った。こぐま犬も歩き出し、おれは、こぐま犬の後に続いた。
大森林に入ると、すぐに、空は重なりあう木々の葉に覆われた。薄暗くなった。攻撃性の弱い鳥の鳴き声に包まれる。
大森林の中には何度か入ったことはある。そのすべては、森の入り口付近だった。大森林の奥へは入っていない。深く入り込めば、二度と還ってこられない。多くの人がそう話していた。実際、家族が入ったまま、還って来ていない人々の話も聞いた。
とはいえ、おれはいったい、どこからが大森林の奥なのかは、よくわかっていない。金色の竜が現れた『円』のあたりは、まだ、大森林の奥ではないらしい。けれど、レディメイは近い場所だといっていた。『円』については、幾人か、実際に見に行ったという証言も聞いた。火災から日が経ち、けっきょく、調査、あるいは興味本位のたぐいの者たちが、森に入り『円』を見て、金色の大きな竜を見たという。
けれど、その竜を見ただけで、払うことはなかった。そこに竜がいても、誰も困っていなかったし、竜払いを依頼する者がいるはずもない。竜はまだ『円』にいる可能性はかなりある。
そして、レディメイは、その竜がいる場所の近くで暮らしているといった。自身が大森林の奥に生きる者だと、彼女は明るく話した。そこには多くの人々がいて、生きている。だから『円』に竜がいると、みんながよくねむれない、払ってほしい。
これはそういう依頼。
考えながら歩いていると、前を行くレディメイがいった。
「ヨルのことは、ハトリトさんから聞いた、って話、したじゃん」
歩くたび、赤い髪が揺れていた。
「あの人はある日、わたしたちのところにやってきて、それで、聞いてもないのに、森のそとの世界のことをいっぱい教えてくれたの。ほんとはー、だめだけどね、わたしが聞いちゃあさ。それを知ってて話し出した。でもさ、なんというか………あー、ほら! わたしって、勇気あるでしょ? 勇気がある者なもので、あー、とまあ、だからさ、えいやあ、って勢いで教えてもらったの、ここじゃない世界のこと、そとの世界のこと」
うるおいある落ち葉を踏み進めながら、レディメイは話す。
「しかも、ハトリトさんが、そとの世界の話をするとき、よくあなたが登場してきたの。あなただ、ヨル」
いって、一度、振り返って、人差し指をさしてきた。
黙って見返していると、彼女は、片目を、大きくつぶってみせた後、指をおろし、また、前を向いた。
「そしたら、なんだか、だんだん会ったこともない、あなたに会ったことある気がしてきて」
そうなのか、まいったぞ、おれがまだ出会っていない人の中で、おれが育つ感じ、というべきか。きかされると、心の置き場に戸惑う話だった。
けれど、ゆえに、はじめから親しみと、馴れ馴れしさがあったのか。ハトリトめ、いったいどういう話をしたんだ、彼女に。
「ハトリトさんはある日、いなくなって、でも、日々は過ぎ行きー、でもね、そんなある日に、森に雷が、どーん、で、燃えて『円』ができて、竜が空から降りて来た。森の中には、あんな大きな竜はこないから、驚いたなあ。ここって、木がいっぱい生えてるから、あんな大きな竜は、降りられないし、降りてこない。それに、竜はそこに生えている木を壊してまで、そこにこようとはしないし」
振り返って、話す。
おれは「ああ」と、うなずいて、答えた。「おれがこれまで遭遇した竜は、ほぼ、こらちから攻撃しなければ、木は燃やさないし、人間以外に生き物も攻撃しなかった。竜は水しか飲まないし、他を攻撃するための多くの理由をもっていない」
ただ竜は、人が人を殺すためにつくった武器で攻撃すると怒る。そのときは、竜は炎で世界を無差別に焼き尽くす。
レディメイは「この世界には、竜がいるから、人間同士の大きな戦争がない」と、いった。「ハトリトさんがいっていた。竜がいるから、人は人のために世界を改造せずにすんでいる」
どうしたんだろう。
ここまで、好奇心の赴くまま動き、それにもとづく部類の話しかしてこなかった彼女が、そういう話をしてくる。この森が、彼女の心になにか作用したのか。けれど、たしかに、これまで、一緒に旅をしてきた延長線上の彼女だった。けれど、どこかで、この森に入ってから、彼女は神秘性を帯びている。
「あっち」
レディメイは呼びかけ、視線で方向を示す。おれには、この森の景色の違いがわからなかった。けれど、彼女にはわかるらしい。迷いなく歩き続ける。こぐま犬も続いた。
「川へ向かってるんだよ。川をさかのぼれば、あの『円』までいける」
そう教えてくれた。
「聞いたことはある」おれは、いつか耳にした記憶のまま話した。「大森林に流れる大きな川をさかのぼれば、大森林の奥までいける」
「そう、いける」彼女はみとめて、続けた。「川はそのために流れているの、人を導くために。でも、それだと、あの場所に行ってしまうだけ。いつの間にか入って、帰れなくなる」
「となると、おれは」
「それはだいじょうぶ、だいじょうぶだから」レディメイは振り返って話した。「『円』は、ちょっと、境界線のぎりぎりにあるけど、まだ向こう側じゃないから。あー、いや、やっぱ、しょうじきにいうと、ああー、繊細な線っていういか、あっ、でも、わたしが一緒だから、そこは示せる! まずいところと、いけるところはわたしが教える! その………線は、わたしが教えるからさ!」
雷によって、境界線のぎりぎりの場所に『円』は生成され、そこの竜が現れた。人は竜が近くにいると、恐怖で、精神的に日常を過ごせなくなる。レディメイが暮らしているという大森林の奥に生きる者たちも、いま現れた竜の存在に怯えているのか。
その竜を、おれが払う。奇形な感触の運命だった。
やがて、川へ出た。水は森の奥から外へと流れている。川は、そのまま、奥地へも、外側にも、無数に枝分けてしているらしい。とくに奥地の川の分岐については、森の外には、たしかな情報がない。それは森の最深部までいたらず、戻って来た者たちの証言でしかなかった。
レディメイは、ずっとこちらを見ていた。少し不安げ表情をしている。
おそらく、彼女は、まだ大事なことを話していない。本当の何かを話せば、おれがこの依頼を放棄するのか、それを心配している。そういう依頼人は時々いる。だから、彼女の表情は、知っている表情だった。
おれは彼女を見た。
「『円』に案内してくれ、竜を見る」
そう告げると、レディメイは黙り、やがて顔をあげて「うん」と、うなずいた。
それから彼女は川を見た。
「水に色が見えるんだ、わたし」
数日前に口にした、それを言う。
「わたしたちにだけ、水の色が見えるの」
言い換えて言われたが、やはり、意味はわからず、続きの言葉を待つしかなかった。
「すべての水には色があるの、この川の水にも色がついてる、どの色をたどれば、この森のどこに行けるか。わたしたちにはわかるようになってるの」
さっきから、わたしたち、といっている。ここには彼女と、おれ、そして、こぐま犬、一匹しかいない。
わざと、わたしたち、といっているのか。あるいは、無意識に、そういっているのか。
「水の色が『円』までの安全な道を教えてくれるの」
いって、彼女は川の果てを見た。
「わたしは姫なんだ」
レディメイがそう話したのは、長い沈黙のまま川を遡って歩き、夜になりかけた頃だった。
「六人いる姫のひとりなの」
あまりに、とうとつな発言に、すぐに反応できなかった。
けれど、ここまでの旅で、彼女のそういう、なんでもいきなりところには、多少慣れはじていた。だから、戸惑って、問い返すようなこともせずに済んだ部分があった。
だいいち、彼女は、いきなりおれの前へ現れたし、この旅の中でも、いきなりとんでもないことを言ってきた、やってきた。それは、彼女が狙いや、企みがあって、していることではない。きっと、彼女の中で急に、気づいて、言わなければ、行動しなければ、そうなっているようだった。
「わたしはあの場所で生まれて育った。森の外に出たことはなかったし、出ないで終わるべきだし」それは、独白に近いものだった。「あの場所以外では、きほん、わたし、だめだからさ。わたしというか、わたしたち、というか、みんな」
振り返って、彼女は笑った。
いまいったい、何の話しているのか、おれにはまだつかめていない。つかめるような話なのかも、見通せていない。
「ヨル」
歩きながら名前を呼んで来た。見返すと、すました顔がある。
あいかわらず、小癪さもある。
「むかしの人たちは、みんな、お城に住んでたの」
「城」
「うん、お城を、空へ浮かばせ浮かんでたんだって。竜を使って空へ飛ばしてたんだって。おもしろいからって、理由で。それで、お城も竜もいっぱい造ったんだって。竜には城を浮かせる力があったの。むかしの人は、空にどんどん城を浮かべて、浮かべ続けて、そして、ある日、はじめのひとつが大地に落ちたの。そしたら、大爆発して、地面が平らになった。なにもなくなって、平らになった。お城が落ちた場所には、なにもかもなくなった。それから、すぐ今度は別のお城が地面に落ちた。それで、そのお城が落ちた場所も平らになって、そういうふうに、落ちるお城が、日に日に増えたの。この星のいろんな場所で落ち始めた。でね、その頃、空にはお城がたくさん浮いていた。でね、けっきょく、全部落ちるって、わかったんだって。止める方法はわからなかったんだって。浮かべたときには、考えてなかったから。浮かべる方法だけしかみつけてなかったから。だから、むかしの人は、残りのお城を落とす場所を一か所に決めたの。それがここ」
いって、彼女は地面を見た。
大森林の地面を。
「お城を落とすために、地面に大きな穴を掘ったの。すごく大きく深い穴、そこへ、どんどんお城を落としていったの。お城が落ちるとき、お城を浮かべるために使われてた竜たちは逃げたんだって。わたしたちはいま、その大きな穴のそばで暮らしてるの。ずっと、むかしから。その穴からは、落としたお城が出す、ふしぎな、その、何かのおかげで、ずっと暖かいの。凍えることがないの。だから、たくさんの服はいらない。それにね、ふしぎな何かはまだあって、たとえば、お野菜だって、ほとんどなにもせずによく育つの。それを食べるとみんな、すごく元気になるし、病気にもなりにくい。もともと病気の人は、病気も治るの。でも、あのお野菜を食べた後だと、他の土地の食べものだと、そんなにながく身体がもたないんだって。ちょっとぐらいなら、出て戻れるけど、いまのわたしみたいに。でも、森のそとでは生き続けられないの。外から来て、元気がなかった人でも、あのお野菜を食べると、元気になる。病気も治って、少し楽になったりする。でも、その人たちも、もう、穴の近く以外だと、きびしい感じの身体になる」
そう話し、彼女は川のそばを歩き続けていた。
「城が落ちていったのが、とにかく、むかしで。ときどき、そのときの破片とか、名残とかが、この星のあちこちに落ちてたりするって。旅の間も、一緒に何度か見たよね、あれのこと。でもね、もうお城を浮かべることなんてしないように、お城を飛ばしたことなんてなかったことにしたいから、そういうのがあると、なるべく誤魔化すようにしてる、って聞いた」
誤魔化す。
そういえば、以前、ある谷を不自然に加工している場所があった。どうして、ここをそんなふうにしたのかという、奇妙な場所が。
「この森もね、あとから木を植えたの。お城が落ちた大地の傷を覆い隠すために、あとから木を植えて、森林にしたの」
ここが人工の森林だというのか。だとしたら、どれほどむかしにそれをやったのか、想像できなかった。
「で、姫である、わたしのはなし」
彼女は顔をあげた。
「たくさんのお城を落とした穴の管理のためには、わたしたちの血がいるの。わたしたちは、あの場所をつくった、始祖っぽい人の末裔で、その人からつながっている血が必要なんだって。しかも、なぜか、女の子じゃないとだめで。あ、六人の姫っていっても、みんな親戚なの。あの穴はね、この先も管理できる資格を持った誰かが、ずっと、そばにいて管理してないと、やばいんだってさ。穴の中に、むかし、落とした、やばいものがやばくなるって」
振り向いて来た
「まるで魔女の末裔の気分だ」
そして、苦笑していた。
「と、まあ」ふと、彼女は大きく息を吐いた。「この森は、そんな感じのところさ」
少し投げ出し気味にいって、微笑んんだ。
おれはしばらく黙っていた。見ると、こぐま犬がこちらを見上げていた。
「レディメイ」
と、彼女の名前を呼んだ。
「はいよ」
「どうして、その話をおれに」
率直に訊ねた。
「おやまあ、まさか、きみ、すべてまるまる信じたのかい」
くすぐるようにいった。けれど、芝居じみている。
「いやー、たいくつしてるかと思ってね、ヨルが。ほれ、何代わり映えない景色だし、森って。ここ、ずっと森、木、そして木、草、草、草、そして草で。虫もいるし、鳥もうるさいし、方向はすぐわからくなるし、地面は歩きにくい。だから、ちょっと、気晴らしのつもりで話したのさ。あ、そもそも、わたしの虚言かもしれないよ、わたしはやっぱ、想像力も言語表現能力もゆたかだし、わたしの放った才能に、やられてるだけかもよ、ヨル。だいたいさ、こんな話、他でしてみなよ、きみ、どうかしてるなあ、っていわれちゃうだけだぜ、ひひ」
手をふっておどけてみせる。
「あー、あと、それに」
おどけてふった手をゆっくりと、おろしながら言う。
「それにさ、竜を払ってもらうお金、あの宝石だけじゃ。たりないかも、って、ちょっと思ったりして。えー、だからだ。えー、つまり、その、だからというかー、ええっと、だから、お金いがい。お金いがいでさ」
レディメイは語尾を伸ばしつつ、一度、目を閉じて、開けた。
「わたしがあなたにあげられるのは、この世界の秘密ぐらいだけ」
そういって、また笑った。
それからさらに三日間、森の中を歩いた。
大森林は大きく、水の色で近道がわかるという話ではあった。それでも『円』までは歩いて時間がかかった。その間、レディメイはずっとたのしげに話していた。この世界にあるものを、すべてを語り尽くすように、うれしそうに。
そして『円』までまもなくという距離まで来た三日目の昼過ぎ頃、彼女の迎えが現れた。
森の中に、花のがく、のような帽子をかぶって、黒い背広を着た者たちが、三人。
気配を感じさせることなく、気付けば、前に若い三人、男、女、男と並んで立っていた。
みな、似たような目をしている。立ち姿から察するに、この三人は、強い。いぜん、べつの者だが、おなじ花がく、みたいな帽子を被った背広の男と争ったことがある。そのときは、ほんど負けだった。
あれほどの力を持ったほどの者たちが、いま三人いる。行く先を塞いでいた。
レディメイは現れた背広の者たちを見ていった。
「そうか、いよいよか」
ひと息つくように。怯えも、戸惑いもない。落ち着きがあった。
「でもね、けっこう、そう、けっこうね」と、下を向いて言う。「思ったより、時間をくれたんだね」
背広の者たちへ向けて言う。
向こうは反応しなかった。
「ありがとう、みんな」
心から、礼を述べているようだった。
おれは彼女へ「やつけうようか」と、訊ねた。
「だめ、やつけないで」顔を左右に振ってこたえた。「わたしを迎えに来ただけ。そろそろ時間切れだから。戻らないと、わたし、消えちゃうから。ほら、わたし、森の外だと、長持ちしないわけでさ」
こちらを安心させるかのように、笑みを添えて言う。
「それにわたし、この森が大好きだし」
今度は、安心させるようための、つくった笑みには見えない。
「いや、もう少しだけ、そとの世界は見たいのはある。見ちゃだめって、言われてたからね、ここを出ちゃだめって。でも、出たしね。見たしね、生まれた場所以外の世界。だからさ、いい感じだよ。わたしはいま、だんぜん、いい感じなんだよ。そとを知らない頃とくらべて、だんぜんだ。ああ、もしかして、ちょっと無理してみえる? それはね、とうぜん、ヨルとここでお別れなのが、さびしいからさ。ひひ、こういうのに弱いのわたし、そういうところが、かわいいでしょ?」
難しかった。けれど、レディメイが無理をして運命を受け入れているとは、考え切れなかった。なにより、彼女はこの森の外では、長く生きられないという。
「わたしは戻るつもりだった。はじめからそうだった、決めてた。信じて、ヨル、嘘じゃないから。穴のそばにいることは、苦しみじゃないの、ほんとだよ。わからないかもしれないけど、そこでみんなと生きることは、大事な時間を過ごすことなの。だから、みんなをやつけないで。仲間なの、ともだちなの、一緒に生きてるの、わたしが悪いのに、こんな身勝手な、わたしを、みんな生かそうとしてくれているの」
「きみが決めたことなんだな」
「うん、わたしが決めたこと。あなたと旅をして、決めたこと」
レディメイの目に迷いはなかった。
「わかった」いって、おれはうなずいた。それから伝えた。「竜は払う」
「おねがい」
彼女は、目を真っすぐに見てくる。
「あの竜がいると、みんな、ねむれないの、悪い夢を見るの。ヨル、竜を払って、おねがい」
微笑んでいた。そして、背広の者たちと一緒に行ってしまう。
ただ、もう一度だけ、振り返り、笑顔でいった。
「おねがいね、みんながよくねむれますように」
それが最後に訊いた彼女の声と言葉で、最期の顔だった。
そして、彼女は行ってしまった。三人とともに。
強制的ではない。ずっと、近くで見ていたから、演技かどうかはわかる。
足元にはこぐま犬だけが残った。ほどなくして。こぐま犬が『円』までおれを案内しはじめた。
やがて、森の中にある森の無い場所へ出た。そこが『円』だった。地面は焦げた木々の破片と土で黒かった。
『円』は真っ平だった。一本の焼け残った木もない。平らだった。
かなり広い。小さな村なら、まるまる入ってしまいそうなほど広く、焼けなかった森の木々によって、婉曲に縁どられている。人工的にやったとしても、ここまで綺麗に森の中に円形に消すことは困難に思えた。
竜は『円』の中心にいた。翼をたたみ、首を真っすぐ空へ伸ばし、鎮座している。金色だった。そこにある、森の緑と、土の黒さと、空の青さの、どれにも混じることない、色だった。
大きい。ちょっとした国の王が住む、城ほどの大きさはある。
おれが、これまで払った竜、払わなかった竜をふくめ、最も大きな竜だった。
身体は金色で、目は全体的に翳った青色をしていて、虹彩がない。畳まれた翼には、一枚一枚が大きく、固そうな鱗が重なりあっている。足の爪は、ひとつだけで、犬一匹以上の大きさがある。
生命というより、建築物に近しい存在感だった。けれど、紛れもない竜だった。首のつけねが、うごめいている、呼吸している。大きいから、ささいな動作も大きくみえる。
竜の青く翳ある青い眼は、おれが姿を見せる前から、おれを見ていた。森の中に潜んでいるときから、こちらの存在に気づいていた。
気を抜けば、たちまちむせかえってしまいそうなほどの竜を感じる。肺の中まで、竜の気配が入り込んでくる。
けれど、ここには、誰も、この金色の竜について、教えてくれる者はいなかった。ここには、おれと竜と、こぐま犬しかいない。
もしも、この竜が、この世界のすべての竜の始祖だ、と説明されたら信じた。とにかく、大きすぎるし、いますぐ気絶しそうなほど恐い。これまでの竜を払った経験が、なにひとつ役に立つ気がしなかった。
「でも、約束があるだろ」
声にしていった。外部化した言葉で身体を無理やり動かして、森から出て『円』に入る。こちらも、はっきりと竜へ姿を見せた。竜はずっと見ていた、森の中に入って身を隠しても、きっと、無駄だった。
最悪だった。これまで竜を払った経験が、なにひとつ役に立つ気がしないと思ったのに、いっぽうで、最悪には慣れてしまっている。その慣れの果てである自身が、目の前の竜へ身体を向かわせた。『円』の中へ一歩進んでから、こぐま犬へ「さがっててくれると、本気が出せる」と、伝えた。「やつけ過ぎないようにはするよ」
そう伝えると、こぐま犬は、後ろへ下がって、森の中へ消えた。
竜は焼けて平らになった『円』の中心にいて、周囲は、森の木々に囲まれている。まるで円形闘技場だった。
竜は攻撃を与えられると、空へ飛んで去って行く性質がある。その攻撃は、致命傷である必要はない。一撃でいい、渾身の一撃なら、それで竜は去る。
一撃でいい。
それでも、末端の翼の先では、だめだ。当てどころを、まちがえれば、翼に傷がついて、飛べなくなる。そうなると、むしろ、どこへも竜が去ることができない。
そして、竜はこちらが攻撃しなければ、向こうからは攻撃してこない。炎を吐くこともない。けれど、攻撃を仕掛ければ、猛って、こちらへ向かって来る。
一撃でいいが、一撃しかない。
一撃で、城を崩す、そういうことをやる。
この一撃をしくじったら、あとは別次元の状況になる。
考えるのはそこまでにした。可能な限り、正面から歩いて竜まで近づく。炎を吐かれても、避けられると自己予測した距離まで行き、近づきながら、ゆっくり背中から剣を抜いた。竜の骨で出来た剣身は白い。そして、この剣には、刃が入っていない。竜を斬ることはできない。
この剣で、竜を叩く。
構えず、自然体のまま、右手に添える。剣先は、地面へ向けたままにした。
剣を目にすると、竜の翳りある青い眼の中が、ゆらめいた。
だろうな、じぶんと同じ、竜の骨で出来た剣だ。悪い気分にはなる。
竜の前に立ったまま、じっと、見合う。竜の翳りある青い眼の中に、あたらしい、ゆらめきが見えたとき、おれは、持っていた剣を背中の鞘へおさめた。
剣を見せたのは、宣戦布告のためだった。
そして、さらに間合いを詰めた。
竜は竜の骨以外で攻撃すると、激高する。そして、こちらから攻撃しなければ、向こうからは攻撃してこない。
けれど、近づき過ぎれば、威嚇はする。
竜が喉を震わせ始める
おれは両手で両耳をふさいだ。
次の瞬間、竜はまっすぐにのばしていた首を前へ出し、つよい咆哮をあげた。大きな竜だった、放ったその咆哮だけでも、とてつもない音量と、鉄球でもぶつけられたぐらいの圧が来る。この距離だと、両手で耳を塞いでないと、鼓膜が小爆発していた。耳を塞ぎながら、おれは咆哮中の竜へと向かう。竜がよく声が出せる姿勢は、不安定な態勢にあった。息をとめ、まっすぐに竜の足元へ向かう。咆哮はまだ続いていた。竜の足元まで来る。竜が少し動いた、左足の爪の先が、身体をかすめかける。避けて、竜の足の間を駆け抜けた。尻尾が見えた。そのまま、尻尾を横切り、身体を反転させた。飛んで、尻尾の先にのる。竜の背中の斜面が見える。そこを駆けあがった、靴の裏が固い鱗を踏みのがわかる。まだ、両手で耳を塞いだままにする。竜の背をかけあがる。不規則な鱗の形は、わずかな均衡のゆだんで滑り落ちそうだった。竜の背骨の中盤までのぼり、耳から両手を離す。咆哮は弱まりつつあった。呼吸は止めたままにする。呼吸をしていない方が、最速で動けた。
竜の首の付け根が見えた。
背中から剣を抜く。
そして、竜の首の付け根を背後から、叩いた。
不安な手ごたえがあった。
剣が、根本から折れた。
この竜は、かたい。
直後、竜が翼を広げた。竜にとっては、ささいな動きだが、その背に乗る小さな人間にとっては、致命的な動きだった。身体の均衡が失われた。息が止められなくなった。竜はさらに身体を振る。左右、それから、大きく上下に。それで、おれの身体は竜から剥がれ、少し、空を舞った。空で、折れた剣の先が落ちてゆくのが見えた。そのまま、おれも下へ落ちてゆくとき、目の前に竜の顔があった。かすかに開かれた竜の口の合間に、赤い光が見えた。炎が吐かれる。直前、おれは外套で身を包んだ。外套の上から炎が来る。熱よりも、押し飛ばされる衝撃を感じた。吹き飛んで、地面へ落ちた。二回、大きく身体が跳ねて、転がった。熱を感じたのは、地面を転がり終えたときだった。身体は地面のくぼみで止った。外套は焦げていたが、全焼はしていなかった。
外套の防御力がなければ、灰になっていた。
おれは仰向けに倒れていた。太陽が見えた。手には根もとから折れた剣を握られている。
すると、太陽が見えなくなった。翼を広げた竜が、空から降って来る。そのまま竜が落ちて来て、右足に身体を踏まれた。くぼみに倒れていたおかげで、身体は三分の一だけ踏まれるだけで済んだ。あばらが何本かいった。竜の足に踏まれていた。竜の爪が、顔のすぐ横にあった。手にしているのは、刃の失った剣しかない。
竜は、一度足をあげると、もう一度、踏み下ろした。地鳴りがなった。
逃れていなければ、踏みつぶされていた。
焼けてとけた外套が、ねじれて、動きの自由度を奪っていた。
外套を脱ぎ棄てる。
竜と距離をとった。
向こうは、猛っていた。口には炎の光が溜まっている。
こちらは、折れた剣と、外套を失い、骨が何本か、それと息が切れている。
竜は翳りある青い眼でおれを見ていた。
剣は折れた。
竜は竜の骨で出来た武器以外で、攻撃すれば、他の竜を呼び、無差別に世界を焼く。
そして、竜の骨で出来た剣はもうない。
竜を見る。
さっき、竜の首の付け根の剣で叩いた。
その部分の鱗に、皹が入っていた。
おれは、もう一度、呼吸を止めた。折れた剣を地面に寝かせ、竜から弧を描くように駆ける。
走りながら、落ちていた石を拾った。それを、竜の首の付け根に目掛けなげる。石は皹の入った鱗へ直撃した。
竜は竜の骨で出来た武器以外で、攻撃すれば、他の竜を呼び、無差別に世界を焼く。
けれど、石は、武器ではない。自然にあるものだった。
だから、竜は石をあてられただけでは、無差別に世界を焼くことはない。とうぜん、さらに猛りはする。
竜は暴れ出す。
おれは、ふたたび石を拾い、竜の鱗へ投げる。それを繰り返す、三度あてた。皹は微塵も大きくならない。
投石は、竜にとって、かなり不快だったのか、しだいに、興奮を増した竜の動きが、雑に大きくなりはじめた。
その動きの不備を見切って、もう一度、竜の背後へまわり、尻尾へ乗った。駆け上る。大暴れしているため、惑星最大級の地震の中を走っているようだった。竜の背を駆けあがり、それから、首の付け根までたどり着く。皹の入ったうろこをみつける。
剣はなかった。
右の拳を握った。
それを皹の入った鱗へ叩きつける。
殴るのではなく、自分を叩きつける。
一度。
二度。
三度目で、ひび割れた鱗は砕けて、粉々になり、拳は竜へ突き刺さる。
竜がふたたび、咆哮をあげた。それは、驚きの声だった。大きく翼を広げ、そして、飛び上がる。
おれは背中から地面へ落ちた。
地面に倒れたまま、空へ還ってゆく金色の竜を見ていた。
竜はそのまま空の向こうへ消えていった。金色だから、よく目立ったし、そのため消えていなくなったのもわかった。
竜を感じなくなった。もう、ここは恐くはない。
ないもなくなった感じだった。
よく、ねむれそうだった。
やがて、陽が落ちはじめる。まもなく夜が来る。
竜はもうここにはいない。彼女も、よくねむれるはずだった。
そう思いながら、大きく息を吸って吐いた。
彼女がした。この世界の秘密の話を思い出していた。
彼女がおれにした話が、どこまでが真実だったのか、わからない。
ふと、気配を感じた。
見ると、こぐま犬がそばにいた。口には、小袋をくわえている。こぐま犬は、小袋を見えるところへ置き、袋を齧って、中を見せた。宝石が入っている。
報酬か。
あいかわらず、こぐま犬は、どう見ても、小さな熊にしかみえなかった。いや、熊だった。けれど、彼女は、犬だといっていた。
いまとなっては遠い記憶に。
そう思っていると、こぐま犬が吠えた。
きゃん、と、犬みたいに吠えた。いや、犬そのものの鳴き声だった。
ああ、ほんとうに、犬だったらしい。
そうか、だとすると、彼女はずっと、真実を話していた。
大きく息を吸って吐き、立ち上がった。
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