みんながよくねむれるように(1/4)
りゅうを倒すにはお金がかかる。追い払うのはそれより、安価で済む。
だから、竜払いという仕事がある。
三日前の夜、大森林が燃えた、炎に包まれた。
森林火災の原因は落雷のようだった。三日前の夜、激しい雨が長くふった、雷も鳴り続けていた。真夜中になって、雨が上がる頃、おそらく、最期にちかい雷が、大森林の中部を叩くように落ちた。おそらく、それで木が燃えたと思われている。落雷により、木に火がついたのだろう。炎はそのまま消えず、雨に濡れた大森林をかわかしてゆき、そして、他に木、あるいは、かわき終わった落ち葉へ燃え移った。
大森林を燃やす。大火災となった。燃えていたのは、大森林の中央部だったが、大森林から遠く離れた町でも、燃えているがわかったらしい。
夜空を見上げると、燃えている場所の上空が茜色になっていた。炎により、発声した風が、大森林から離れた町まで、灰を運んだ。
同じ夜、炎の赤を、大勢が目撃した。眠っていた者も、気配で目覚めたという。きっと惑星単位の違和感といえた。人々は、家の二階から、あるいは、町のちょっとした高台へあがり、燃える大森林を見ていた。炎が海のように広がっていたらしい。
炎はそのまま朝まで燃え続けた。大規模の火災だったが、大森林はより広大だった。炎が燃やし尽くすことは不可能だった。
それに火災は、大森林の奥側だった。
やがて、炎は消えた。きっと、誰も炎を消しにはいっていない。少なくとも、こちら側で生きる人々が消しに向かった様子はなかった。沿岸部に生きる者たちは、大森林へは手を出さない。不用意に、木々を倒し、土地を広げ、開発もしない。それがたとえ、火災封じのためだったと同じだった。あの炎を止めることは、大森林へ手を出すこと考え、なにもしなかった。
この大陸の大森林は、大森林に生きる者たちのものだった。手を出せば、破滅する。おれはこの大陸で、ずっとそう聞かされていた。大森林の奥には入ってはならない。入れば、ひとは、二度と出られなくなる。そこには、何かがいて、来る者は拒まず、けれど、去ることを決して許さない。
どういう仕組みで成り立つ場所なのか、くわしくは知らない。
炎は消え、火災は終わった。空より地に落とされた雷により、大森林の一部が焼けて消えた。燃えたその場所からは木が消え、ちょうど『円』のような空間になっていた。
大森林に、その『円』が出来てから一週間後だった、竜が現れた。
大きな竜だと聞いた。城のような大きさの竜で、色は、本当かどうか、金色をしているらしい。
もともと大森林には、巨大な竜は現れない。森のは隙間なく木々が生えているし、大きな竜がそこへ降るとすれば、木々を倒して降りることになる。竜は、そこ生える木を倒してまで、そこへ降りようとはしない生命だった。
けれど、炎により、大森林に円という空間が出来た。広く、小さな村ならおさまりそうなほどの大きさだという。焼野原で、木は一本も存在しない。どんな大きな竜が降りることも可能だった。
そして、竜は円へ降り立った。
金色だという竜が。金色の竜なんて、おれは聞いたことも見たこともなかった。全身が金色ゆえ、遠くからでも、竜がいるとわかったのだと、聞いた。
そんな竜が大森林の円に現れた。
とまあ。
ただそれだけの話だった。竜がいたところで、そこは大森林の奥側だった。大森林以外で生きる人々にとっては、なんら生きる上で支障はない。
ただ、金色の竜がそこに現れた。それだけの話に過ぎない。
竜が人のそばにいると、人は恐怖する、暮らしを保てなくなる。けれど、その竜は遠く離れた大森林の奥にある『円』にいるだけだった。金色と聞き、少し、見ていたい気がするだけで、それでも、おれもまた、この大陸の暗黙の了解にしたがい、大森林の奥へは行くつもりはない。
だから、ただ『円』に金色の竜がいる。それだけの話だ。
そう、家にいて、暖炉の灰を片付けながら、そんなふうに思っていた。晴れた日だった。
開けていた窓から、小鳥が家に中へ入り込んで来た。小鳥は椅子の背もたれへ宿った。
しまった、どうしよう。
いや、まあ、しかたない。これは窓と扉をあけておいて、自然と、小鳥の彼が外へ出るのを待つしかない。
いや、小鳥が彼ではなく、彼女の可能性もある。
と、頭のなかでぶつぶついいながら、家の扉をあけた。出口は多い方が、小鳥が外に出る確率もあがるはず。
すると、玄関先に褐色の肌の少女がいた。かなり草臥れた外套に身を包んでいる。髪は赤く、ぼざぼさだった。
いきなり扉があいたので、彼女は驚き、びく、っとなって、赤い髪が、炎みたいに おれの鼻先で揺れた。
いや、まて。
少女ではないかもしてない。もしかして二十歳くらいか。一瞥しただけは、どちらの年齢かわからない人物だった。丸い眸も黒々としているも大きい。眉毛も赤い。左の耳の縁を覆うような金色の装飾品をはめ込んでいる。
彼女は、そのまま、ぎょ、っとしていた。
むりもない。彼女からすれば、扉をあけるまえに、扉があいたのだし。
おどかす気はなかった。こちらにしても、小鳥に意識をもってゆかれていたため、誰かが玄関先まで接近していたことに気づけなかった。
刺客だったら、やられていた。
物騒な想像はさておき、まずは、目の前の少女みたいな女性なのか、あるいは女性みたいな少女なのか、いや。とにかく、彼女を、ぎょ、っとした状態から解き放たねば。
けれど、じっさい、おれは焦っていた。
で。
「ことり」
と、まず、そう口走ってしまった。
しっぱいだった。
すると、彼女は、ぎょ、っとした顔のまま、家の中にいた小鳥へ移す。やがて、ぎょ、っとした顔ではなくなり、彼女の通常の運用らしき大きさの顔になった。
「うが、わたしいけない!」とたん、彼女はちがう種類の眼の大きさをして慌てた。「と、とびら、扉あけっぱなし! 逃げちゃうじゃん、あの子!」
はじけるようなしゃべり方で、ふしぎな声のひとだった。
で、彼女はわかりやすく、あたふたしだし、あげく、扉を閉めようとする。
「ちがいます」おれは彼女が閉めかけた扉を手でおさえた。「逃がそうとしてたところです」
「にがす、の」
「はい、家に入り込んできたので、あの小鳥。だから、そとへ、その、わー、っと」
「わー…、っと?」
「わー、っとそとに逃がそうと」
そう説明すると、彼女は数秒ほど間をあけてから「え、あー」と、声を出した。で、おれを見返し「あー、あーあー」と、いってうなずいた。
楽器みたいな人だ。
「なるほど」と、いって、彼女は肩をすくめた。「そういう運命のときに、来たんだね、わたしは」
どういう運命かは、不明だった。けれど、彼女が落ち着いたなら、よし、としよう。
「あ、わたし、レディメイ」
そして、とうとつに名乗って来た。
こちらとしては、ちゃんと聞けたか確認作業のために「レディメイ」と復唱した。そして、時間差で「さん」と、さん付けする。
「いえーい」彼女は、陽気さを追加して、手をあげ、それから握手を求めて手を差し出してくる。「よろしく!」
けれど、まだ少しかたい笑顔を見せてくる。
とりあえず、握手に応じると、彼女は「おおう」と、少し驚いた。「手、固いんですね、ちょっとめずらしい石みたい」
そんな感想を述べて手を放す。奇形な感想ともいえた、
そして、少しかたい笑顔のまま、あとは、こちらの出方をうかがうように、玄関先に立っていた。
なんの用事だろう。
そのとき、ふと、足元に気配を感じた。見ると、茶色い、毛だらけの生命体がいる。
熊、なのか。小さい熊がいる。けれど、瞳はなかなかつぶらだった。
そこでおれは「彼、いったい」と、問いかけた。
「え、ああ、犬」と、彼女はいった。「犬だよ」
「犬」
教えてもらい、いまいちど、足元の彼を見る。
犬には見えない、小さな熊だった。
「旅の護衛だよ」
そこへ彼女が告げてきた。
護衛。
まあ、熊だし、つよいから護衛になるか。
いや、けれど、彼女は、彼を犬だといっている。
こぐま、みたいな犬なのか。こぐま犬なのか。
「あの、払ってほしい竜がいます」
と、言われ、我に返る。
「あなたが、ヨルさん、ですよね? わたし、家、まちがえてないですよね? あなたが、噂のヨルさん」
噂。いったい、どういう情報が世間に跋扈しているんだ。そこを気にしつつおれは「はい、ヨルと申します」と答えた。
「わたしは、レディメイです」名前はさっき聞いたが、じつにうれしそうに、ふたたび自己紹介してくるので、そっとしておいた。さらに自身の胸へ手を当てつつ「レディメイです」と、押してくる。
「レディメイさん」
「レディメイでいいです、呼び捨て文化でお願いします、ヨルさん」ふふ、と笑い、言ったかと思うと、急に眼を大きくあけて「あ、じゃあ、わたしも、さんなしで、ヨルって呼んでいいかな」
なんだろう、人間関係の距離の詰め方が、下手、とでもいえばいいのか。
まあいい、おれは「どうぞ」と、いって許諾した。
すると、レディメイは、また笑った。もう、かたい笑顔ではなくなっている。
足元では、こぐま犬がおれの靴を前足でがりがりかいている。鋭い爪だった。素足なら、皮膚がやられているところだった。
どうやっても、犬には見えない。小さな熊だった。
けれど、彼女は犬だといった。
「あ、そうそう、わたしあのね」レディメイが思い出したように言う。「ハトリトさんの紹介でやってきました」
ハトリトの紹介。
おれとやつの関係は、いわば、被害者と、加害者、そう表現するのが、しっくりくる。彼と出会わなければ、どれだけ不毛な人生の持ち時間を消費しないですんだろうか。
で、あの男の紹介となると。と、思いつつ、相手を目視する。どうも、裏表のなさそうな、少女だった。けれど、ゆだんできない、ハトリトが絡んでいるとなると、どうしても心を閉ざしそうになるそうなる。
そのとき、椅子の背に宿っていた小鳥が飛んだ。開け放った玄関の戸から外へ出た。
今年は、そのまま、空へ飛んで行った。
なんとなく、ふたりして、その場から小鳥を見送ったり。やがて、彼女は小鳥に向かっていった。
「そうか、きみの自由はそっちか」
そして、あたらしく微笑んだ。
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