さようでならば
りゅうを倒すにはお金がかかる。追い払うのはそれより、安価で済む。
だから、竜払いという仕事がある。
その人はまず「これは竜を払う依頼ではないのですけれど」と、話しはじめた。
老年の執事で、細々とした所作に、洗練を感じる相手だった。髭も整えてある。
場所は竜払いたちが集う酒場だった。店内には放埓に酔った戦鎚使いの竜払いたちが騒いている。
そのなかでは、老年の執事の外貌は異様なまでの目立ちぐあいだった。
対して、おれは切ったゆで卵に塩をふり、それを麵麭に挟んで、食べようとしているところだった。
「ヨルさま」と、名前も呼んできた。
初対面である。
「あなたにぜひ、お頼みしたいことがあるのです」
ぐい、と顔を近づけて来る。おれは「まず、顔の距離に問題が」と伝えた。
すると、老年執事は顔を遠ざけて言った。「わたしの使える、お屋敷の御坊ちゃまに、竜の話をしていただきたいのでございます」
「おれの方はいま、この麵麭を食事として、いただきたい最中ですよ」
「御坊ちゃまは今年で七歳になられますが、生まれてこのかた」老年執事は、おれの話しを微塵も鼓膜に入れていないのか、話し続けた。「一度も、この町の外に出たことがなく、竜を見たことがないのです」
七歳で、竜を見たことがないのか。
まあ一度も、町からも出たことがないらしいし、この大陸ではありえるか。
「病弱なのでありません」
と、先んじて教えてきた。
「奥様の方針で、御坊ちゃまの勉強はすべてお屋敷の中でされております。むろん、御坊ちゃまを教える先生のみなさまは、極上にして一流でございます。御坊ちゃまも、極上に、たいへん、かしこく、ぐいぐいと、お育ちでございます」
酔いしれるように語ってくる。おれは「そうですか」と、言った。
「というわけで、御坊ちゃまに、竜払いさまである、ヨルさまに、臨場感ある竜の話をしていただきたく、屋敷まで御同行をお願いしたいのです、ええ」
「ですが、おれの他にも竜払いますよ。だいいち、剣で竜を払うおれは、この大陸では、変異体な竜払いですし」
「そこが、よいのです」
ふたたび、ぐい、と顔を寄せられる。
「御坊ちゃまの中で、竜払いは、剣で竜を払うべきだと! 確固たる印象があるのです!」
「至近距離から急な演説をされると、反射的に始末しそうなるので、やめてもらえませんか」
「それに見てください、ここの竜払いたちを!」
彼が視線を向けた先には、巨大で重そうな戦鎚を操る、この大陸の筋骨隆々の竜払いたちが、麦酒をのんだり、こぼしたりして騒ぐ光景が展開されていた。
「あの筋肉だらけの竜払いの方々にくらべ、剣を使うヨルさまは、なんと細身です! そこが重要なのです。戦鎚ではなく、剣なら、あなたのように、細く、むしろ弱そうな感じでも、竜払いになれる気がする! いいですか、御坊ちゃまは、運動は苦手なのです! しかし、運動が嫌いな御坊ちゃまでも、ヨルさまのように小さく、むなしい筋肉しかない竜払いを見れば、じぶんでも、おっと、これは僕でもいけるのではないか、という、希望! そう希望です! 希望がもてるはすです!」
長い、愚弄をぶつけてこられる。
「あ、そうそう、それと忘れておりました。これは御坊ちゃまが描いた竜の絵でございます」
今度は急に、勤め先の屋敷の子息が描いたらしい竜の絵を見せてくる。
それは四つ足に、背中へ羽根が生えた竜の絵だった。そこでおれは指摘した。「竜は前足がそのまま羽根です、後ろ足は二本で」
「ほほ、いやはや、絵の賞賛は、直接に御坊ちゃまへ」彼はきいていない。そのまま強引に話しを押し込んでくる。「ささ、馬車へ、馬車へ!」
もう決定事項らしい。
けれど、この老年執事はともかく、少年には、正確な竜を教えた方がよさそうだった。
麺麭を片手におれは、馬車へのった。
やがて、要塞のような立派な屋敷に着き、大きな玄関広間へ通される。劇場の舞台に設置されたみたいな階段をあがり、廊下を進む。
「ここが御坊ちゃまのお部屋でございます」老年執事がそう言い、扉の向こうへ「御坊ちゃま、御坊ちゃま、竜払いさまが参りましたよ!」と、宣言した。
とたん、勢いよく扉が開かれ、中から、きっちりと前髪がそろった全身新品みたいな服を着た少年が飛び出してきた。
そして、少年はおれを見て言った。
「あ、やったぁ! なーんだ、こんな弱そうな感じなら、ぼくだって竜をやつけれそうだぁ!」
さらに執事も「ほほ、さようでございましょう」と、続いた。
で、おれは、まず、扉を閉めた。とたん、扉のむのから「え、あ、まってよぅ!」と、悲惨な子どもの願いが放たれる。
かまわず、廊下の窓を開け、飛び降りて大地へ立つ。
それから青空の下でこう断言した。
「しっぱいから学ぶことを、おしえた」
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