いかいかり

 りゅうを倒すにはお金がかかる。追い払うのはそれより、安価で済む。

 だから、竜払いという仕事がある。



 船首の甲板には陽の出ている昼間は、乗客が多くいる。

 談笑している人々もうるし、日傘をさしたご婦人もいるし、駆けまわる子どもたちもいる。

 乗船している船は客船としては、かなり高い方だった。おれがこれまで乗った長距離船でも、いちばん大きい。竜払い協会が用意してくれた船室も、窓はないが、寝台と椅子と机が部屋であるで、ひとり部屋だった。

 港を離れた六日が経つ。予定乗船日数だけでいえば、はんぶんまで来た。

 昼過ぎ頃から、甲板の椅子で本を読んで過ごしていた。やがて陽も暮れて、外界の明かりでは本も読めなくなった。本を閉じ、傍らに置いた剣を手にとり、椅子から立ち上がる。

「本がお好きなのですか」

 そこへ声をかけられた。

 見ると、身なりも立派な老紳士である。顔だちが、若干、木彫りの感じが入っていた。持ち手に家鴨の顔の彫刻がついた杖も持っている。

「おっと、いきなり声をかけて失礼しました」彼は、行業しくあやった。「いえ、昼間にここ通りかかったときに本も読まれてて、それからいまもここで本をお読みなられていたもので。よく長い間、船の上で読書ができると、感心いたしまして」

 いって、老紳士は笑顔をみせた。

「ええ、本は好きです」

 そう答えて返す。

「さようですか」けれど、老紳士はふたたび感心した。それから「この海を渡るのは、ひさしぶりでしてな」と、彼が脈絡なくその話はじめる。

 気持ちは察せた。長い船の旅である。六日も過ぎれば、毎日、同じように展開される、海の青い光景にもあきもくる。

 ゆえに、見知らぬ乗船者同士での世間話は、重要な娯楽にもなりうる。

「丁度このあたりの海域です。伝説を聞いたことがあります」

「伝説」おれは立ったまま問い返す。

「まあ、話はんぶんで聞いてください。船乗りをしていた、わたしの先祖から聞いた話です」老紳士は苦笑を口元へ添えつつ、続けた。「むかし、このあたりの海域を、価値ある宝を満載していた船、といっても、この船と違って木造船ですが、どうやら航行中に沈んでしまったそうです」

 御伽噺なのか。

 きらいではない。

「沈んだ宝のなかで一番、高価だったのは、宝石をふんだんに使った黄金の腕輪だったそうです」

「黄金の腕輪」

「しかも、その船が沈んだ理由がなんとも、すさまじい」

 老人が、やや喜々としだす。

「なんと、世にも恐ろしい、巨大な蛸に襲われたそうなのです」

「蛸」

 と、いいつつ、おれは不意に甲板の向こうに気配を感じた。

 船べりから、のぞきこむと海になにかいる。

 夕暮れでも、はっきりわかった。

 いか、だった。

 しかも、かなり巨大な烏賊が、船のそばを通り過ぎようとしている。

 人間の大人ひとりぐらいなら丸のみ出来そうなほどの巨大な烏賊である。

 そして、いま、この甲板周辺には、おれと、老紳士しかいない。

「あの、すいません」おれは海にいる巨大な烏賊を見ながら訊ねた。「たこ、だったんですか。船を沈めたの」

「はい、たこです」

「いか、ではない、ですよね」

「たこです」

 老紳士は椅子に座ったままうなずく。おれは日中ずっと座っていたので知っている。その椅子に座っていると、海面は見えない。

「いか、ではないですよね」おれは海面に浮かび、ゆったりと泳ぐ巨大な烏賊を見下ろしながら、ふたたび問う。「いかでは」

「ええ、たこです、大蛸です」

「巨大な、いか、ではなく」

「たこです。巨大な巨大な蛸です」

 海面ふきんに現れたその烏賊は、げそをゆらゆら揺らしている。そして、そのげその一本の根本に、何かがきらめいていた。宝石のついた腕輪だった。

「あの」おれはそれを見ながら問う。「たこが沈められた船に、黄金の腕輪がのってたんですよね」

「はい、たこが沈められた船に、黄金の腕輪がのっていました」

「いか、ではない、ですよね」

「たこですよ! まちがいありませんよ、たこです、たこたこたこたこ!」さすがに、度重なる問い返しに、老紳士の紳士を放棄し、荒々しくなる。「いいですかぁ、たこです! たこったらたこ! ああじゃあもし、いかだったら、そうですね、わたしいますぐ、ここを潜って深海魚でもとってきてやりますよぉ! ああ、そうだ、魚貝とかも鷲掴みしてきますよぉ!」

 老紳士は激しく言い放つ。

 そして、それを実行されては、かくじつ海難事故の生成である。

 おれは真実を放棄して「そうですか」と、言った。

 ほどなくして巨大な烏賊は、黄金の腕輪をつけたまま、海の彼方へ消えていった。

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