にんげんのぶぶん

 りゅうを倒すにはお金がかかる。追い払うのはそれより、安価で済む。

 だから、竜払いという仕事がある。



 朝から快晴だった、今日は竜を払う依頼もない。

 剣を背負い、外套をはじめ、衣服その他を停泊して抱え、停泊している宿屋のおかみさんに教えてもらった町の洗濯場に行く。宿屋の斡旋で洗濯業者にも頼めるという話だったが、自身で洗うことにした。今日はよく晴れているし、午前中に洗って干せば、すぐにかわくだろし、業者に出せば少なく明日まで戻ってこない。

 朝のはやい時間だったため、洗濯場はさほど混んではいなかった。洗剤を使い、地元の人々に混じって洗濯をした。終わると剣と洗濯ものを抱える。しぼりがあまかったせいか、地面にぼたぼたと大量の水をしたたらせながら宿屋に戻った。

 宿で紐をかり、泊まっている宿の部屋の窓に衣類その他を干す。

 そして、すぐ雨が降り出した。

 さびしい気持ちで部屋に取り込む。しかたなく、泊まっている部屋に、紐をかけて、そこに干した。安価な宿代の部屋だし、狭いため、もはや、部屋のなかを動けば干したそれらにぶつかる状態になってしまった。

 雨はまたたく間に強まり、屋根や窓を攻撃するようかのごとくふる。外は灰色になって、薄く夜めいていた。雨と干した洗濯ものの影響で、部屋のなかの湿度はきわめて濃厚だった。寝台にこしかけ、本を読んでいても、湿度がむっちりと素肌を圧してくるため、文章に集中できない。

 ふと、気配を感じた。やがて、扉が叩かれる。

「わたしです」女性の声だった。聞き覚えが充分にある。「カランカです」

 カランカ、竜払い協会の女性だった。

 にしても、意外な人物の訪問で、けれど、まっすぐな声は彼女のものにまちがえない。

 本を置き、干してある洗濯ものをかきわけつつ、扉へ向かう。洗濯ものを見せてしまうのも気がひけるので、部屋のなかが見えなうように、とりあえず、顔半が見えるだけの扉をあけた。

「おはようございます、ヨルさん」

 扉の隙間から見えるカランカは、あいかわらず、なぜか、眼鏡に光が反射していて、目は見えず、そして髪の毛一本みだれていない。しかも、大雨だったにもかかわらず、衣服が微塵も濡れていない。

 いつもの竜払い協会で目にする彼女が維持されていた。けれど、ここは竜払い協会ではない。とある町の宿屋だった。

 きわめて急ぎの依頼が入ってくるときもある。そのため、協会に属する竜払いは大陸のいつどこにいるかを、大まかに協会へ事前に報告している。協会側が、おれがこの町に留まっていることを知っていてもおかしくない。

 協会の職員が出先に直積会いに来ることもある。けれど、カランカが出向いてきたことは驚きだった。協会内での彼女の正式な役職名はわからないが、とにかく、上の方で、えらい方の人なので、現場へ直接足を運ぶような立場ではないはず。

 はたして、なんだろうか。神妙に考えてしまう。そのせいで、沈黙のお見合い時間があった。

 そのあいだは、やたらと静かで、ざあざあ、という雨の音もやたらと鮮明に聞こえた。

「重要なお話があります」

 カランカが淡々と話しを進める。

「突然に訪れしまって申し訳ありません」

 彼女はかすかに、周囲をうかがう。なにかを警戒しているようだった。

 いずれにしろ、彼女みずから協会から離れ、ここまでやってくるということは、そうとう重要な内容のはなしにちがいない。

「お部屋に入れていただけますか、ここでは話せないことですので」

 部屋。けれど、部屋はいま、干してある洗濯ものでひしめいている。とても、人を招ける状態にない。そこで「いま、この部屋の中はまずいので、べつの場所に移りましょう」と、伝えた。

 すると、彼女の眼鏡が発光し、一瞬、目が見えた。

「雌ですか」

 そして、とうとつに、かつ、淡々とそう言い出す。

「室内に、雌がいるのですか」

 二度目も淡々としていつつも、ぐい、っと押すように聞いてくる。

「雌がいるのですね、その狭そうな部屋のなかに、雌がいるんですね、雌が息吹いているのですね」

 短い時間の間に、彼女は、五回ほど雌と言ってくる。なかなかの登場頻度だった。言われたほうとしては、総合的に、どうした、きみ、と問い返したくてたまらない。

 カランカはふたたび光もないのに眼鏡に光を走らせる。

「わかりました」うなずき、続ける。「わかりました。だいじょうです」

 なにがだいじょうなのだろう。

 ここは、だまって続きを聞いてみよう。

「もし、あなたの部屋にすでに雌がいたとしても、わたしは気にしません、その雌の方と、少し交渉が発生するかもしれませんが、きちんとお話すれば、その雌の方とも、最終的には、みんなでうまくやっていける未来をさぐっていける自信はあります」

「そこで言い放たれている自信とは、はたして、どういう種類の自信なんでしょうか」

 問い返すも、聞こえていないのか、あるいは無視しているのか、彼女は続ける。

「だいじょうぶです、そう、わたしはだいじょうぶですから」カランカさんは自身へ言い聞かせるように、だいじょうぶ、を連続で唱えた。「たとえ、どんな雌がこの部屋にいたとして、わたしは、ぜんぶ、だいじょうぶな雌ですから、雌として、他の雌を、その」

 そこまでいって黙った。あきらかに、なにかが、だいじょうぶじゃない。顔も赤い。

 もしかして、この雨で冷えて、風邪でもひいたのか。それで、熱が出て、ほのかに錯乱し、だから、度重なる奇怪な発言を。その可能性も否めない。

 いつも体調管理も完璧に見える彼女だが、にんげんの部分を見た気がした。

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