おとしもの
りゅうを倒すにはお金がかかる。追い払うのはそれより、安価で済む。
だから、竜払いという仕事がある。
午前中のうちに森の中にある、湖畔のそばに現れた竜を払い終え、剣を背負った鞘へ納める。払い、西へ飛んでいった竜は、成体の馬、一頭ほどの大きさだった。
晴れていて、日差しもやわらかいく、風もふいてない。湖の水面は、おとなしく、まったいらで、月並みな表現だけど、鏡のように、現世を反転して写していた。
少し離れた場所に、集落もあり、好奇心まかせに子どもたちが、湖の竜に近づくを懸念した大人たちによる依頼だった。無理もない、湖のそばには、大小の石もあり、水切りあそびをしたくなる場所だった。
竜は海を嫌う。泳げないので、深い場所に落ちれば、沈んでしまう。そのため、竜は飛べるが、海を渡って大陸間を移動することはまずしない。空だって、鳥のように長く飛べるわけでもない。けれど、水浴びは嫌いではないらしく、水の浅い場所は、それなりに好きらしかった。
依頼完了の報告のため、集落へ戻ろう。そう思った矢先だった、足元に、何かがおちているのに気づく。こげ茶色をした、革製の手帳のようだった。自然しかない、湖畔のそばに落ちているそれは、地面にあって、ひどく文明的なを存在感を放っている。
拾い上げる。かなり使い込まれている手帳のようだった。紐でしばっていて、中身は、偶発的にも開けないようにしてあり、封印にも見える。
集落の誰かが落としたのだろう。届けることとした。
その矢先だった。森の方から気配を察知する。生き物だった、人間だった。
しかも、ただならぬ感じがある。手帳を手にしたまま、森の方をじっと見る。陽は登っているのに、森のその部分だけ、濃く翳っていた。やがて、その蔭から、すう、っと静かに息を吐くように、男が現れた。
歳はおれと近い。黒々とした髪に、細く、横に長い目をしている、眸は、黒い点にみえた。裏ごしに、剣を携えている。
男は森から出ると立ち止まる。視線は、こちらが手にした手帳にあった。
「それをこちらへ」
と、言ってきた。彼の落としものか。
けれど、どうだろう。この手帳が彼のものという証拠がない。手がかりといえば、この手帳の中身を見ることだった。けれど、なかを見ていいものかという議論もある。
それらを考えたのは数秒間ほどだった。
その間に、男は裏腰に携えていた剣を、鞘から音もなく抜いた。
銀色の剣身があらわになる。彼は背を異様なほどまっすぐに保ったまま、片手に持った剣先を地面寸前あたりの空中へ固定した。
渡さなければ、力づくだ。と、でも台詞を言うのか。そう思ったけど、予想は外れた。
無言だった。台詞はなく、抜き身を手にした彼が迫る。
秒と経たないうちに、おれの立っている場所を、左から右へ剣が横一閃した。素早く、無駄のない振りだった。
反応し、後ろにさがって避ける。かなりさがっていて片足は湖の中だった。直後、二振り目が来る。今度は右から左へ、即座に剣を抜いて、それを受け止める。けれど、彼の剣は早いだけではなく、早く、しかも重かった。一瞬の感触で、その場にとどまって受け止めきることをあきらめ、彼の剣を剣で受け止めつつ、左へ身体を流す。でも、立ったまま受け流すような贅沢は無理で、はんぶん意図的に弾き飛ばされるようにして、地面を転がり、好き間合いを選んで片膝をつく。
すると、もう頭上に、彼の剣先があった。次の呼吸をする頃には、額が砕かれている。
その想像が脳を走った。
剣で受け止めるか。けれど、さっきの剣で受け止めたとき、彼の一撃の重さを知った。受け止めても、力でそのまま振り下ろされてしまう可能性が高い。
瞬間、おれは持っていた剣を手から離した。両手を自由にする。手から離した剣が地面に落ちるより先に、彼が剣に握っていた手に、手を添えて、それから腰を使い、重心移動させて、くるりと、ひねった。
彼の動きの異常な早さと、一撃が重すぎたことが裏目に出たらいし。不意の方向からの負荷で、彼は信じられないほど身体を一転させていた。一瞬、彼は靴の真裏を天へ向かせ、そして、湖へと、放られる。浅いので、水柱こそたたないが、着水すると大きな音が鳴った。おれはすぐに足元の石を拾い、全力で投げた。
男はすでに湖の落とした剣へ意識がいっている。そこに大きな油断があり、こちらが投げた豪速の石を頭部へ受けた。生肉を金槌でたたくような音がした。そして、男は湖へ倒れた。うまく意識を奪えた。幸い、水の底は浅く、仰向けに倒れたので、たちまち溺れはしなさそうだった。
そして、湖畔に静寂が戻る。
で、いったい、なんだったんだろう。その答えは、やはり、この手帳のなかか。
そう思い、手帳の紐を解く。
頁をめくる。
けれど、めくれない。
よく見ると、手帳ではなく、財布だった。彼は金を盗られたと思って襲って来たらしい。
ということは。
「形式的には、金でもめたといってもいい」
そうつぶやいて、この理不尽をなんとか乗り越えようとした。
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