うたう

 りゅうを倒すにはお金がかかる。追い払うのはそれより、安価で済む。

 だから、竜払いという仕事がある。



 家の敷地内に竜が現れたらしく、現場へ向かった。

 すると、大人の馬ほどの大きさの竜が敷地内の塀沿いにいた。竜は首を胴に添えて目をつぶっている。

 事前には聞いていたが、依頼人の女性は有名な歌劇の俳優で、歌い手らしい。出迎えたとき、彼女は簡素な部屋着を纏っていた。けれど、それでもかなり華がある。

「べつに竜は払わないでもいいんです」

 冒頭、依頼の女性からそう告げられた。

 さらに彼女は続けた。

「竜は人間がなにもしなければ手を出さないことは、わたしもよく知っております。この竜も、たまにここにいるだけの竜ですし、悪さもしたことがありません。それに、いつも放っておけばそのうちどこかへ行ってしまいますし」

「ええ」彼女と同じものを見ながらうなずいた。「そういう考えの方もいらっしゃいます」

「竜は、よいのです」

 彼女は、しっとりとした口調であらためていう。

 そして、ふたりして竜の方を見る。正確には、竜と塀に挟まれている、依頼人と同じ歳くらいの女性を。

 完璧に竜と塀の間に身体が挟まれて、顔と、わずかに左手だけが出ている。

 まるで、どこかの資産家の娘さんのような、派手な髪型と、至る所に羽みたいなものがついた服を着ている。少し、虫みたいな服でもあった。

 竜と塀に挟まっていた女性は、こちらの凝視に気づくと、きっ、と睨みつけてきた。

「わ、わらうがいいわ!」

 いきなりそう言われて「どうしろと」と、まず漠然と訊ねた。

「彼女は」と、依頼人が口を開く。「今度の舞台で、いま、わたしと主役を争ってるというべきか」

「わらうがいいわ!」と、挟まれた女性が叫ぶ。

「いまのところ、この方は、この状況に対して笑いの許諾しかしてませんがね」竜の様子をうかがいつつ、依頼人に確認する。「竜を払って、彼女を開放したいんですね」

「ほどこしはうけないわ!」

 と、挟まれた女性はいう。芝居じみた口調だった。気高ささえある。けれど、まず、この場に気高さは不要だった。

「ああ!」と、とたん、依頼人が急によろめく。そして「こ、この子! りゅ、竜と塀に挟まれて、なお、気高い!」衝撃的なものを見たように、手でくちを覆う。

 この場において、なお気高いことは、俳優のなかでは、高評価なのか。知らない世界の評価基準に、一瞬、唖然とした。けれど、少しして落ち着き「体調、わるいんですか」と、聞いておいた。

 すると、依頼人は問いには答えず「ヨルさん」と、急に名前を呼んできた。「わ、わたし」

 依頼人も、たっぷり芝居口調になっている。

「おれをなにかに巻き込もうとしてるみたいですが、拒否します」

 先んじて宣言したが、依頼人は強引に続行してくる。

「彼女は、彼女は」

「この虫みたいな服で、竜と塀に底の挟まれている彼女が、どうしました」

「いいえ、なんでも、ありません」

「即興が思いつかなかったのが、まるわかりだ」

「わ、わらうがいい!」

「そっちは、わたしの存在感が薄まりそうになったからって、慌てて叫んでみたんですね、その、たいして、面白くも無い叫びを」

「ヨルさん」

「なんですか。時間がかかるやりとりはやめてくださいよ」

「ヨール、さーん!」

「追い詰められてからの歌攻撃を開始とかやめてください。基本、いま至近距離から歌われて、鼓膜がやぶけそうでしたよ」

「わらうがー、いー、わー!」

「負けじとそっちも歌って来るとかは、おれの真っ赤な苛立ちに直結してくるんでやめてください」

「ヨルさま」と、依頼人が言い出した。「わたしと、彼女、どちらを選ぶのですか」

「いや、どっちを選んでも地獄ですよ、種類の違う地獄でしかない」

 すると、挟まれていた女性が「もういいから、見た目で選んでください!」と、叫んだ。

「ようやく別のこと言ったと思ったら、その発言内容が香ばし過ぎて、無視以外の方法がみつかりませんよ」

 そのとき、竜は目をあけ、身を起こす。そして、翼を広げ、羽ばたき、飛んでいった。

 人間の客も帰るような芝居は、竜も帰らせるらしい。

 よく見ると、挟まっていた女性は、竜が動いたとき、少し、全身をごりごりされて、負傷して倒れていたが、命に別状はなさそうだった。

 なら、よし。

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