まほろばさま
三津衿
まほろばさま
真夜中にぴんぽーんという音がして、腹を立てながらモニターを覗くとそこにはまほろば様が立っていた。
まさか無視するわけにもいかずとりあえずパジャマのままで玄関を開けに行く。そのわずかな時間に帰ってくれたりしないだろうかと淡い期待をしたが、扉を開いてもまほろば様はそこにいた。
「こんばんは、すみません、こんな時間にね」
「いえ、大丈夫です、けど……」
このあとどうするんだ。
一人暮らしを始める際に母に教えてもらったはずなのに何も思い出せない。家にあげればいいんだっけ、それともあげたらだめなんだっけ。家にあげたとして何を出せばいいのか。御神酒的なものだろうか。それともお茶のほうが好きなんだろうか。
扉を開いた体勢のままかたまる俺に何かを察したのか、まほろば様は「とりあえず中に……」と小声で言った。
「あ、そうですよね。中どうぞ」
「すみません」
まほろば様はへこへこと頭を下げて部屋に入ってきた。廊下に上がるのも若干躊躇していたようだったのでとりあえず「どうぞ」ともう一度いえば恐る恐るあがってきた。
どうやらまほろば様は異常に腰が低いらしい。これが「今」のまほろば様だからなのか、それとももともと「まほろば様」というものがそういうものなのか。
そういえば御神酒だのおもてなしだのの前に部屋がちらかっているのだが大丈夫だろうか。汚いといっても大学生の1Kとはこういうものだというレベルで、座る場所ぐらいはある。それでも客をむかえるような状態ではない。汚いとかで怒られたらどうしよう。
「あの……」
「はい?」
「部屋、あの、汚いんですけど」
「大丈夫ですよ。時々特定の住居がない方のところに行くこともあるので」
「はぁ……」
なんだか論点がずれているような気もしたが、大丈夫というなら大丈夫なのだろう。とりあえずこのままでいるわけにもいかないので通すしかない。
扉を開くとまほろば様はぐるりと部屋を見渡し、「いい部屋ですね」といった。どう考えてもお世辞だった。
「とりあえずそこのクッションに座ってください。あの、飲み物とか」
「……じゃあできればしょうゆを」
「え?」
「あ、なければ水で……」
「あ、いやいやあります。しょうゆですね。わかりました」
部屋にまほろば様を残して扉を閉めた。とたんに廊下がしんと暗くなる。そういえば廊下の電気もつけていなかった。
大したものの入っていない冷蔵庫だが、さすがにしょうゆはあった。
あるのはいいが、飲み物でしょうゆを希望されたことはない。果たしてこれはどう出すのが正解なのか。
ひとしきり家にある食器を漁ったが、特に正解が出てくるわけでもない。あきらめてしょうゆを適当なコップに注ぐ。一気したら健康診断にひっかかりそうだった。
しょうゆの入ったコップを持って戻ると、まほろば様は興味深そうに床に落ちていた漫画を見ていた。
「……読みます?」
「いいんですか?」
「あ、でもそれ二巻だから……。ちょっと待ってて下さい」
とりあえずしょうゆが入ったコップをまほろば様の前に置く。もしかしてこういうのって奉納的な何かをしなきゃいけないんだっけと思ったが、すでにまほろば様はごくごくとしょうゆを飲んでいた。のどが渇いているときに飲むものじゃないだろうものがぐんぐん減っていく。
一気に飲み干して一息をついたまほろば様は俺が見ているのに気づいて「は!」と肩をあげた。
「す、すみません……。のど渇いてて」
「お代わりいります?」
「……できれば」
まさかのしょうゆ二杯目。
ひとまずさっきの漫画の一巻を渡して再びキッチンへと消える。今度はなみなみ注ぐことにした。
なんだか小学生の頃に初めて遊びに来る友達がきたときのような。少しよそよそしくて緊張する。
まほろば様は姿勢正しいまま漫画をよんでいた。読む速度が人のそれではないのには突っ込まないほうがいいだろう。
「面白いですか?」
「はい、とっても。新聞の四コマ以外のものを久しぶりに読みました」
「それ、俺のおすすめなんですよ。あんま人気ないけど」
「どうして。こんなに面白いのに?」
「まぁ……一般受けはしないんじゃないですかね。専門用語も多いし」
「そういうものですか……」
「まぁ人気なくても面白いのには関係ないので」
「でも寂しくないですか。自分の好きなものが周りに知られていないと」
「うーん、そんなには。周りに好きな人が多くてもそれのどこが好きかは人によるじゃないですか。だからあんまり寂しいとかは」
「いいですねぇ」
しみじみとした口調。だが、それでも感心しているのが伝わってうれしくなる。ペーペーの大学生にはあまり向けられない感情の色だった。
一巻を読み終えたまほろば様はそのまま二巻へと手を伸ばす。
こんな感じでいいのだろうか。母親から聞いていたまほろば様の訪問というのはこんなにゆるくも和やかでもなかったはずだ。細部は覚えていないが、とにかく慎重にもてなせとは口酸っぱくいっていた。
飲み物を出して漫画を読んでいる。慎重とは程遠い光景である。
やがて二巻もすさまじいスピードで読み終えたまほろば様はうかがうように俺を見た。
「続きは」
「あ、それ二巻までしかまだでてなくて」
「そんな……」
心底がっくりとした様子だった。よほど悲しかったのか、しょうゆを一気飲みした。
がっくりしているのに悪いが、俺は思わず口が緩んだ。
自分の好きなものが知られてなくても寂しくはない。それでも自分の好きなものが理解されるのはやはりうれしい。同じでなくとも似たような嗜好の人間の存在がいるといないとではやはり少しばかり気の持ち方が変わるのだ。
「おかわりいります?」
「まだあるなら……」
「ありますよ。待っててください」
しょうゆ三杯目。ふたたびなみなみに注いだ。さすがに次はもうないだが、めんつゆで我慢してくれたりしないだろうか。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
「いえいえ」
「優しいですね。こんなにいいお訪ねは久しぶりです」
「……そうですか?」
「ええ、みんな、私を遠巻きに見るだけですから」
「話したりとかは?」
「しません。おうちによってはしゃべるなっていわれているみたいですから」
はっと記憶の奥底になにかが光った。
そうだ、慎重にもてなせ以外にも言われていた。
まほろば様とはお話をするな、絶対に、と。話しかけられても答えるな、答えたら連れていかれると。
連れていかれるのだろうか、俺も。どこに?
急に不安が襲う。和やかに過ごしていても、同じ漫画を好きになってくれてもまほろば様は「人間ではない」。
しかし「おうちによっては」とまほろば様は言わなかったか。
それはつまり、話してもいいという風に言われてる家もあるということではないだろうか。
どのみちもうここまで話してしまえば一言も二言も変わりない。半ばやけくそのような気持ちで「あの」と口を開いた。
「しゃべったら何か起こるんですか」
「何か?」
「悪いことが起こるとか、どっかに連れてかれるとか」
「いいえ。私の役割はお訪ねですから。そんなすごい力はとても」
「……寂しくないんですか?」
何も起きないのに勝手に誤解をされて遠巻きに見られて、それはすごく。
だが、まほろば様は首を振った。
「いいえ」
「どうして」
「時々ね、君みたいな子がいるからです。それだけで十分ですよ」
たまらなくなった。
俺は立ち上がってキッチンへ向かう。コップを満たして戻る。
「なんですか、それ」
「めんつゆです。しょうゆがぶ飲みは無理ですけど。これで乾杯しましょう。そして帰るまでお話ししましょう」
母親の言っていたもてなしだとかはもうどうでもいい。さっきの漫画と一緒だ。俺が務まるかはわからないが、この夜がまほろば様にとっての何かになればいいと思った。
まほろば様がしょうゆの入ったコップを持ち上げる。安いコップの飲み口にはねとねととした黒い墨のようなものがついていて、やはり目の前にいるのは人間ではないことを教えた。でもなんでもよかった。
「乾杯」
「乾杯」
かんっとコップが間の抜けた音をたてる。飲んだめんつゆはとんでもなく味が濃かったが、それでもとてもおいしく感じた。
まほろばさま 三津衿 @shi7a_
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