:第二十七話「アキレスの戦い……ではなく、ひざ」

実った恋は熟しても鳥には食べられない。

[Many fruits on the tree are fruits to be found by you.]

:第二十七話「アキレスの戦い……ではなく、ひざ」


…………………………


 ───天に打たれ、萎び、首を垂るとも、立ち上がらむとする者ばかりに、手は差し伸べらる。


 薄い板とガラスで区切られた向井さんの仕事部屋で資料に目を通す。彼女がわたしに出頭命令を出したのは、現場の勉強も兼ねて“向井さんが抱えている案件”の手伝いをしろという事だった。ちなみに“今日の占い”は、向井さんが『身長が低い人をたぶらかしてみて♪』と、わたしの『大人な人と急接近☆踏みつけられると、新しい自分が見つかるかも!』だ。さて、見つかる新しい自分とやらは、何か?嫌な予感しかしないし、そっち方面には手を出さない。才能がありそうだからだ。


 手伝いと言っても、わたしは弁護士資格を持っていないから、あくまでも補佐しか出来ないけれど「一度、現場というものを見ておくといい」と裁判にも同行する。しかし、当の向井さんは「若人が持つ美しく眩しいまでの理想を、現実という釘が打たれたバットでボッコボコに打ち砕くのが趣味でね」と、少し紅潮した笑顔で身振り手振りを大きく、高らかに演説したのだ。………なるほど、踏みつけられて新しい自分を発見……か。当たるんだな、占い。


「………向井さんって変態さんですよね」

「ん。それは褒め言葉DAっ」


 褒めてはいないのだけれどな、と、読み込んでいく資料には、加害者である彼岸の獣の弁護が記されていた。加害内容は『電車での態度を注意された事に逆上し、後を着けて人目に付きにくい公園で暴行』という情状酌量も減刑を求めるのも難しく、さらに取り調べでも、自身の行動を正当化する発言を繰り返した上に反省の態度も見られない、という検察にとっては仕事をしなくてもいいような案件だった。注意されてカッとなった割には行動が短絡的では無いな。人目に付きにくい場所まで着いていき、機会を伺って背後から襲っているという点でも同様かつ悪質。しかも、これには第三者に目撃されては困るという思考が働いているから、自分を見失ってもいないし、利己的。これは立件されて、こちらの言い分が通る可能性は無いに等しい。


「被害者さんの怪我は?」

「ん?後ろから近付いた加害者に驚いて転び、膝を擦りむいた」

「膝の外傷だけ?驚いて?え?膝って、ここの膝ですよね?」


 向井さんが不思議そうな顔で「そう、ここの膝。脚の膝………え?ここ以外にも膝ってあるの?」と自分の身体を見るためにぐるぐると回り始めた。本当にこの人は……。普段、こんな感じなのによく『メドゥーサ向井(芸名ではない)』だなんてあだ名が付いたな。裁判の争点は……膝の怪我よりも、夜間に背後から襲われた心的外傷ストレスを突かれるだろうから、ここをどう乗り越えるか、と、顎に手をやり考えていると「りんごちゃんが考えている点で争うつもりはないよー」と、わたしたちにも買って欲しい大きなふかふかの椅子にもたれて、得意げな顔で微笑む。


「それと、後でもうひとつの膝ってどこか教えてね?」


 それは放っておいて…………検察が求めた刑は、彼岸の獣に適用出来る刑務を足し八年。向井さんが主張しているのは執行猶予を付ける事のみ。その他、意見書、家庭環境、境遇等の参考書類の添付も無し。こちらからはあまり提示せず、言い分を飲む形で戦術に幅を持たせているのだろうか。示談、は無理か。それにしてもこの攻め方は緩すぎないか?そこまで攻める所が無い裁判かな…………。


「りんごちゃんの正義は何?」

「えっ……え、えー……。ほ、法律です!」

「うん、ギリギリアウト」


 は?弁護士が法を正義だと言わずして、何を正義というのだろうか。向井さんがそのメドゥーサたる目付きで言う。


「法に縛られ、法を逆手に、真実の歪みと現実の理想まで利用し、一分一秒でも少ない刑期や一円でも少ない罰金で済ませる事。つまり時間と金。それら二つは同等とも言える」




 この人……………、


「帰り道に後ろから刺されないで下さいね…………」

「それはそれで本望DAっ!」


「ところで……膝は?そろそろ教えてよー」


 本当にこの人は大丈夫なんだろうか?




「閉廷!」


 ざあっ!と音を立てて動き出す時間。ちゃっちゃと広げた資料を片付ける向井さんの隣で、わたしは………、


「りんごちゃん、そのまま召されないでねー?」


 疲れ切って自分でも何処を見ているのか分からない………所謂、放心状態になっていた。椅子にもたれかかり腕を重力に任せて、だらっと垂らす。口は半開き。そんなわたしの額を向井さんが「りんごちゃん、いますか?まだ仕事は終わってませんよ。頭の中のりんごちゃん。早くお布団から出てきなさい。いるのは分かっていますよ」とノックをする。本当にこの脳、この体からトンズラしたい。


「懲役七年八ヶ月…………って、どゆこと?」

「そゆこと☆」


 む、むむ、向井さん!ふざけない方が!と長椅子の隣で慌てるわたしに対して、さらに「そんなおっきい耳して、裁判長の話を聞いていなかったのかしら?」と火に油を注ぐような事を言う。あ゛ーっ、みたいな音で、依頼者である彼岸の獣の雄叫びが空気を揺らし、警察官五人が腰に下げた警棒に手を掛けた。


「まっ、まだっ、何もしてないからっ!そ、そそ、そこっ!動かないっ!ちょっ、向井さんっ!?」


 わっちゃわちゃと焦って動くわたしを見ている目はメドゥーサ向井(芸名ではない)。その鋭い目だけが冷たくわたしを見ていた。次に視線がテーブルを挟んで対峙している依頼者に向けられ「私たちは最善を尽くしました。尽くしましたが……」と右手が軽く宙に舞う。ワイングラスを回すように軽くやわらかい力の指。


「貴方の素行の悪さ……認識の甘さと理解力の悪さが最善を潰した」


「………高い金払ったよね?」

「私達の高い能力を金銭で買う事で、罪が軽くなると思っていたんですね、馬鹿が」

「あ゛!!!!?」


 ガンッ、と動いた瞬間に依頼者を拘束する枷の数々が鳴る。後ろから警察官四人が飛び掛かり警棒で身体を抑え付けた。一人は腰の拳銃にまで手を添えている。わたしはその扱いに「ちょっ、いくらなんでもっ!これは行き過ぎた……っ」と乗り出し叫ぶも、メドゥーサ向井(芸名ではない)が、その手をひらひらさせて、わたしを止めた。


「よく聞け、馬鹿。

 この世界にある法というものは、所詮、人間が作ったもので、

 神が作った完全な物ではないんだよ。

 更に“真実”と“事実”という言葉が存在する曖昧さ。

 何故、その言葉ふたつに幅を持たせたのかを考えろ。


 ここ裁判所は真実などはどうでもいい。

 事実についてのみ“何を罰するべきなのか”、“何を罰してはいけないのか”を決める場所で、

 私達はあんたの罰せられなくてもいい事実を罰せられないようにする為にいる。

 “何も無かった”事にする為にいるんじゃないんだ。


 最初から貴方は罰せられて当然の地点から始まっている。

 私たちは、そこから貴方の未来や更生への可能性や反省を伝え、

 少しでも未来に霧がかからないようにする為にいるんだ。


 しかし、貴方の行いは事実を見えにくくしてしまう程、首を傾げるもの。

 私達にとって罪に対し向き合わない姿勢は万死に値する。

 貴方にはそれ相応の時間と金の罰が必要だ。


 自分の愚かさを知り、反省しろ。

 七年八ヶ月の間に罪の意味を理解できるかな、坊や。


 “我々”は控訴手続きはしない、以上だ」




「ところでさ、膝って脚以外にもあるんだぞ。知ってたか?」

「は?膝?いやー…………え?膝ってここだよね?」

「ふん。結局、その程度か。七年八ヶ月かけて探しな、馬鹿」


 いや、向井さん…………………馬鹿なのは………。


 大きくてふっかふかで、艶々な黒い革張りのリクライニング機能まで付いた向井さんの椅子に座り、放心していた。がこっ、と、薄くてよれよれの扉が開き、向井さんが運んできてくれたコーヒーを目だけで追う。全くもって動く気がしない。


「その椅子いいでしょう?高かったんだよー?」

「……は、はへ。むかひはん」

「んー?何かなー?カンペー師匠?」


 違う、わたしはマラソンとかしないし、猿と猫のケンカみたいな笑いもしない。そもそも体力も笑いのセンスも無いから出来ない。声を出そうとしたのだけど、は疲労で声帯までもが労働を拒否し、「はへ」なんて間抜けな音が出ただけだ。向井さんが窓際にもたれかかる。その姿は華子のように背が高くて、スラッとスタイルも良いから見惚れてしまう。夕陽を遮るブラインドカーテンの隙間から外を覗こうと、その美しい顔立ちに浮かぶアンニュイな表情でブラインドの間を開き………、


 かしゃっ。


「見て、見てっ!りんごちゃん!ユージロー!」


 楽しそうにブラインドを、かしゃ、かしゃ、と開いたり、閉じたりし始めた。本当に、この人は。


「どーして、あんなキツい事を言ったんすか?」


 ふっかふかの椅子からテーブルに置かれたコーヒーにミルクをよっつ、ポットからスプーン六杯の砂糖を入れて、ひと口。砂糖をもう二杯追加。


「んー、そうだなあ」


 かしゃっ。


「ユージロー!」

「わっかりましたから!質問に答えて下さい!」


 ただ反省していないから、と言って微笑み、わたしを見たメドゥーサ向井(芸名ではない)から窓が開いていないのに僅かな風を感じた。向井さんの髪も揺れて………あ、向井さんって…………、


「腹が立つのよ。まだまだ苦しい立場の“私達”は人権を得たと言うにはまだ程遠い。

 それなのに、一部の彼岸の獣が振る舞う行為は全てに映ってしまう」


 向井さんは、その夕陽に立ち向かうユージロースタイルで言った。私は彼岸の獣を守るだけの弁護はしない、と。それは彼岸の獣の血が入っている向井さんだからこその覚悟で、この世界で人間と彼岸の獣が共生する為にこそ、必死に生き、罪を償おうと向かい合う者しか助けないのだと言った。


 そのブランドの隙間を指と指で開くユージロー姿で。


「明日、大きなサングラス買ってこようかなー?」

「やめて下さい。変な噂が立ちます。いや、もう立ってます……ただでさえ、このビル内で向井さんの奇行は伝説です」


 かしゃっ。


「りんご刑事、それはまじか?」


…………………………


実った恋は熟しても鳥には食べられない。

[Many fruits on the tree are fruits to be found by you.]

:第二十七話「アキレスの戦い……ではなく、ひざ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る