アナタを選んだ私の幸せ

南雲 皋

第1話

 どうやら私は可愛いらしかった。

 美人である母親と、その母親に選ばれた見目麗しい父親から生まれたのだから当然なのだと言われたことがある。

 けれどその可愛さは、私にとって毒でしかなかった。


 物心ついた頃から父はいなかった。どうしてなのかは教えてもらえなかったが、きっと逃げられたのだろうと思っている。

 母は常に香水の匂いを漂わせ、いろいろな男を家に連れ込んだ。


『アタシの娘なの、可愛いでしょ?』


 そう言っていた時期もあったのだけれど、新しい父親候補の男に私が襲われてからは二度と口にしなくなった。

 髪も切ってもらえなくなり、ビン底メガネを無理やりかけさせられた。

 おかげで目が悪くなり、今では本当にビン底メガネが必要になってしまっていた。


 学校でも可愛さは時に不幸を呼ぶことを知っていた。

 容姿が優れているかいないかというのは、母でなくとも問題にしてしまうことらしい。

 男を取った取らないだのという女同士の争いが繰り広げられるのを、離れた場所から眺めていた。


 可能な限り目立たないように、密やかに生きていた。

 家でも、学校でも。


 そんな生活の終わりが見えた日。

 母は全身から酒の匂いを放ち、家に帰ってくるなり私に言った。


「アンタ、売るから」


 反射的にどういうことかと問えば、母は珍しく会話をしてくれた。

 金ヅルがみんないなくなって借金まみれになったから、私を綺麗にして売って金を稼いでもらうことにしたと。

 眩暈がした。


 子供を相手にしたところで金は期待できないから、学校では変わらず地味なままでいろと指示される。

 私のために買ってきたらしい服は、笑ってしまうくらいに露出の多い服だった。


 眠ってしまった母の姿を見下ろし、私は泣いた。

 どうしてこんな家に生まれてしまったのだろう。

 どうして私の身体を私以外が好きにするのだろう。


 私はお風呂に入り、いつになく丁寧に髪を洗った。

 今まで適当に切っていた毛先を、出来るだけ綺麗に切り揃える。

 ドライヤーで乾かした後、少しだけ毛先を巻いた。

 前髪もサイドに編み込み、鏡の中の私は確かに母に似ていた。

 目元だけが、垂れ目で柔らかな印象の母と違って、やや鋭い以外は。


 母の買ってきた服の中でもサイズが少し大きく、その分だけ露出が控えめのものを選び、タグを切って身に付けた。

 夏の気配が迫っている六月、寒くないことだけが救いだった。


 橙色と濃紺が混じり合う空を眺めながら、肩も腕も脚も見えるワンピースを着て家を出た。

 母のサンダルは少し大きかったが、履き古したスニーカーよりはいいと思った。


 なるべく裏通りを歩きながら、駅前の繁華街に向かう。

 自由になるお金なんてないから、バスにも電車にも乗れない。

 自転車ですら、羨ましかった。

 肩から提げた小ぶりのポシェットの中には、メガネケースだけが入っている。


 私は大勢の人が行き交う繁華街の片隅に立った。

 人の目に入りにくいビルの影から、人混みを窺う。

 私よりももっと肌をさらけ出した女性が、スーツを着た男性に腕を絡めていた。

 その顔は化粧で綺麗に彩られていて、そういうことが出来なかった私は少しだけ不安になった。

 けれど母の化粧品を勝手に使うわけにはいかなかった。後で何をされるか分かったものではないからだ。


 何人もの人々が目の前を通り過ぎていく。

 ふと目に入った男の人から、私は目が離せなくなった。

 ガードレールに体重をかけ、タバコを吸っている、男の人。


 初めて男の人を格好いいと思った。


 黒いTシャツにジーパンというラフな服装であるのに、どうしようもなく目を奪われた。


 この人だ、と思った。


 私はポシェットにメガネをしまい、ぼやけた視界の中で男の人へと歩みを進めた。

 途中で彼も近付いてくる私に気付いたらしく、視線が交差している気がする。

 その瞳に、私だけを映してほしい。


「随分、情熱的だな」

「え?」

「お前だけ見てればいいのか?」

「あ……くちに、出してた……?」


 戸惑う私の手を、彼の骨張った大きな手が握った。

 メガネがなくても相手の顔が見える距離。

 目を細めて私をまっすぐに見つめる眼差しに射抜かれて、私は呼吸も上手くできなかった。


 彼はタバコを地面に落とし、靴の底で踏みつけた。

 そうしてゆっくり立ち上がると、私の手を引いて歩き始めたのだった。


「どこに、行くの?」

「ホテル」

「私と、シてくれるの?」

「お前がいいならな。そういうつもりで声かけたんじゃねぇの?」

「そういうつもりで、声、かけた」

「じゃあ黙ってついてきな」


 そういうことをするホテルは、想像していたよりもずっと綺麗だった。

 家にいるよりも快適で、初めて柔らかなベッドに横になった。


「シャワー浴びるか?」

「さっき、家で浴びたけど……気になる?」


 私がそう言うと、ギシリとベッドが揺れた。

 馬乗りになった彼が、私の首筋に顔を埋めてくんくんと匂いを嗅ぐ。

 その体勢のまま、ぬるりとした温かいものが首に触れて背筋がぞわりと震えた。


「ひゃっ……」

「お前が俺の匂い気にならないなら、俺は平気」


 彼の身体からは嫌な匂いはしなかった。

 むしろ吸い込んだ男の香りにくらくらとしてしまったくらいで。

 大丈夫だと小さく呟いた私の腕を、彼の大きな手が撫でた。

 その手がどんどん上にあがってきて、鎖骨を撫で、そして胸元に下りてくる。

 カップ付きのキャミソールで事足りてしまう控えめな胸を、彼がどう思うか不安になった。


「んっ……」


 やわやわと揉みしだかれて、吐息が漏れる。

 前に男に触れられた時にはあまりに乱暴だったから、一欠片も気持ちよくはなかったのだけれど、まるでガラス細工を扱うように優しく丁寧に触れる彼の手は、ひどく心地よかった。


 唇にしっとりとした柔らかなものが触れて、キスされているのだと気付く。

 彼の少し長い黒の前髪が私のおでこをくすぐった。

 空気を求めて少しだけ開かれた口の隙間に、生温かな彼の舌が侵入し、私は身体を震わせる。

 ちゅぷ、と水音を立てながら、私も彼の舌に自らのソレを絡めた。


 あぁ、私は今、私が選んだ人とそういうことをしている。


 ワンピースを脱がされ、生まれたままの姿にされ、彼の熱を感じることに悦びを覚えた。

 ずっとこの幸せが続けばいいのに。


 叶わぬことを思っていれば、「俺のことだけ考えてろ」と、情欲に満ちた瞳で私に荒く口付ける。


 ぼやけた視界いっぱいに彼の素肌が見えて、確かめるように手を伸ばした。

 私とは違う、筋肉質な硬い身体。

 汗ばんだ皮膚と皮膚を触れ合わせて、また貪るようなキスをした。


 上手くできるのか、上手く反応してくれるのか不安だったのだが、私の身体は素直に反応してくれた。

 彼のモノが欲しいと濡れそぼり、指で混ぜられれば嬌声を上げた。


 ゴムに包まれた彼を受け入れ、きつく抱きしめ合う。

 破瓜の痛みはない。私の処女膜は遠い昔に失われているから。

 彼に破ってほしかったと、そう思ってしまうことすら苦しかった。


「ショウって、呼べ」

「しょ、う……?」

「あぁ、お前は?」

「え?」

「お前の名前」


 名前を名乗ってしまったら、決心が揺らぐ気がした。

 一度だけ自分で選んだ男とセックスをして、それ以降は何も望まないと決めた心が、彼との繋がり一つでぐずぐずに崩れてしまうような気が。


「次に……次に会ったら、私を見付けてくれたら、教える」

「はっ、焦らすねぇ」

「何とでも言って」

「いいぜ、次な」


 そう言って彼は獰猛に笑い、再び私を味わった。


 彼に言い寄る女はたくさんいるだろう。

 だからきっと、彼は私のような子供など買うこともないはずだ。


 だから、だから、もう、会わない。


 彼から与えられるもの全てを忘れないように、私は行為に没頭した。

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