第1話

 普段は下校途中の生徒たちでにぎわう通学路沿いの駄菓子屋も、今日は客足がまばらだ。雲一つない5月の空から強い日差しが降り注ぐ校庭では、運動部の練習する声は聞こえない。町から中学生が消えてしまった。1週間後に迫る中間試験のため、真面目な生徒も、そうでない生徒もこの時期だけは机に向かうのである。ほんの一部を除いて。

 少し湿った風が夏の気配を運んでくるこの季節、カーテンを閉めきったうす暗い教室で彼らは向かい合っていた。

「今年の全国中学校映像コンクールには応募しないことを決めた。」

 緊張した面持ちで切り出したのは映画部部長の3年生、須山隼人だ。二重まぶたの大きな瞳は彼の数ある魅力の一つだが、今は鋭く細められ、冷たい輝きが周囲を委縮させる。彼の横にずらりと並んだ六人の同級生たちは一様に俯いている。向かい合った後輩たちもまた、目のやりどころに困り、机の木目をなぞるように見ていた。

 30分前、映画部の1・2年生たちは一斉にメールで3年A組の教室に呼び出された。中間テストの試験期間中は部活動が禁止されているはずなのだが、全員の出席が求められていた。個人の事情はお構いなしだと行間から語ってくるメールに誰も逆らえなかった。一人目の後輩が教室に到着したときには、すでに映画部の3年生と顧問の段田が待っていた。やがて全員がそろったのを確認した須山が発した言葉が先程のコンクール辞退の宣言だった。考えてもいなかった展開に後輩たちは次の言葉を見つけられず黙り込んでしまった。この沈黙を破ったのが2年生のリーダー格、八坂だった。

「これまでコンクール用に台本も作って、絵コンテだってほとんど出来上がったじゃないですか。中間テストが終わったら撮影開始でしょ。今更何言っているんですか。」

 八坂は子供のころからビデオカメラをいつも持ち歩き、日夜撮影技術を研究してきた。その甲斐あって、今年は2年生ながらメインカメラマンに抜擢されている。だからこそ彼は今年の映画製作に並々ならぬ熱意を持っていた。

「他の先輩たちはどう思っているんですか。引退前の最後の作品を撮らないつもりですか。」

 八坂の言葉をきっかけに、他の後輩たちも口々にその動揺を言葉にし始めた。

「みんな、聞いてくれ。確かに俺たちはコンクールに応募しないことを決めた。これは3年生全員で話し合って決めたことなんだ。」

 ざわつく彼らを静止するように大きな声を発したのは副部長の嵐山だ。背が低く、お腹が膨らんでいる彼の姿は、須山と対照的に親しみやすい印象を後輩たちに与えていて、いつも橋渡し役を担っていた。

「俺たちはコンクール用の映画は撮らない。でも、映画そのものを撮らないわけじゃない。俺らは今の自分たちでしか作れない作品を作りたいと思っている。コンクールの審査員に向けた作品じゃなく、中学校生活の集大成としての作品を。」

「それがコンクールに出さない理由になるんですか。これまで用意した作品を集大成として作り上げるのが、映画部としてやるべきことじゃないんですか。そして、その映画をコンクールに出せば良いじゃないですか。」

 八坂は食ってかかる。去年、桐里中学校は全国中学校映画コンクールで審査員特別賞を受賞した。公立の学校では唯一の受賞という快挙だ。今の3年生たちは去年の映画と比べられたくないので勝負から逃げたいのだ、と彼は思った。

「それは」と嵐山が続けようとしたのを須山は手で制止した。ここからは自分が話すと目で語った。

「コンクールに出さない理由は二つある。第一にコンクールの規定、これが僕の作りたい映画の邪魔になる。」

 須山が話し始めると教室がまたしんと静まった。全員の視線が彼に集まるが、慣れたものだと緊張した雰囲気は一切出ていない。

「題材は自由、放映時間はスタッフロールを含めて20分のショートフィルム。ここまではいい。だけど一番のネックになるのが、制作・出演を全て在校生で行うこと。これだ。求められた条件の下、最大限の表現を行う。これも大切なことだと思う。先輩たちはこの限界に挑戦し、結果を残した。すごいと思う。だから僕も同じように制約と戦っていこうと思っていた。でも、現役最後と思って作品に向かいあおうとしたとき、これが本当にやりたいことなのかって疑問が出てきたんだ。もちろん誤解しない欲しいんだけど、コンクールのために僕が書いた『明日の足跡』、この台本も良いものだって自信を持って言える。でも最後の作品は規定の中に押し込まれた窮屈な世界じゃない、今できることを最大限に発揮した映画にしたいって思うんだ。」

 須山は少しずつ早口になりながら、カバンの中から1冊のノートを取り出して語り続けた。

「この中には僕が作りたい映画の全部が詰まっている。1年間温めてきた僕の本当に表現したい世界だ。規定に縛られない自由な作品、演者も生徒だけじゃない、外部からも人を集めて、使えるもの全部使って作りたい世界を作るんだ。」

 彼の頬を伝う汗は気温のせいだけではない。すぅっと大きく息を吸い込み、熱くなった頭をクールダウンさせる。その話の切れ目を狙って2年生の笹川が質問した。映画部の数少ない女子生徒の一人だ。

「でも、外部の人ってどうやって集めるんですか。」

「それはある程度は目星がついている。SNSで僕が代表している映画好きが集まるコミュニティの仲間たちに声をかけ始めたところだ。それとうちの工場で働いている社員さんたちの中にも手伝うと言ってくれる人が何人かいるんだ。」

 須山の家は自動車整備工場を営んでいる。祖父が開業し、今は二代目として父親が社長を務めている。従業員には若者が多く、昔やんちゃをしていた者もいるが車やバイクが好きで根が純粋な人間ばかりだ。須山は機械の動く様子やオイルと汗が入り混じったような独特の匂いが好きで、小さい頃からよく工場を見学していた。従業員たちも弟のように彼を可愛がり、色々と面倒をみてくれていた。

 人手のことはなんとなくわかったけれど、後輩たちは動揺を抑えきれていない様子だった。次の言葉が欲しいと訴えかけてくる視線を受けて、須山は言葉を続ける。

「コンクールに出さない二つ目の理由は、これは全校生徒に見てもらうための作品になるからだ。」

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