第6話 白き肌のリースルと娘たち 1

〈時系列は、フランツとマリア・テレジアの二人が出会う1年前~ウィーン、カール6世の宮殿~マリア・テレジアとフリードリヒ大王が初めて激突する予定のシュレージエン戦争まで、あと18年〉


 フランツとマリア・テレジアが出会う数年前、謎の病から回復(したと思われている)マリア・テレジア(改)は、驚いていた。


『なぜ、こんなに貧しいのか?』


 いや、正確にいえば、貧しいわけではない。最低限の衣食住はもちろんのこと、父である皇帝カール6世は、何不自由なく暮らしている。


 しかしながら、勇猛果敢にして、カトリックの守護者としての最高位、神聖ローマ帝国皇帝であるカール6世は、壊滅的に経済音痴であるようだった。


 なんというか、ぶっちゃけてしまえば、彼はフランツと真逆で、戦争や狩猟に長けており、周囲を威圧しながら、広大なハプスブルク帝国に君臨し、統治することに成功はしているけれど、財政的な内情には、まったくの無頓着な雑な男であった。


 すべてにおいて「前例の通りに」そのひとことで、腹心であり、血統主義のオーストリアでは珍しい、平民出身のバルテンシュタイン男爵に、侍従長、宮廷顧問官、官房長のすべての要職を併せた帝室官房長官を任せ、閣議と帝国の予算の決定は、彼の手にゆだねられていたのである。


 極端な男ばかりだと、転生したばかりのマリア・テレジアは思い、ため息をついていた。


 バルテンシュタイン男爵は、カール6世の機嫌を損なわぬよう、狩猟や彼の贅沢な他の趣味には何も言わず、彼があまりよく分からない領域で、貴族からも反発がでない、つまり皇后や大公女の衣装やらなにやらの宮廷費を、皇后が、お人好しといってよいほど、つつましく、穏やかな性格なのをよいことに、うまいこと言って、削れるだけ削っていたのである。


 わたしの部屋、極寒! 隙間風が酷い! ベッドじゃなくて、暖炉の前で眠りたいくらい!


 これで、妹の体調も悪いんじゃないかしら? 子供が育たなかったんじゃないかしら?


 一見、豪華だけれど、隙間風だらけの掘っ建て小屋! マリア・テレジアはそんな酷い感想を、自分が住むホーフブルク宮殿に持った。(浴室も大概だった。)


 で、あるからして、育ち盛りで、次々に新しいドレスがいるマリア・テレジアや、マリアンナなどにいたっては、大公女であるにもかかわらず、統治している側の大貴族の娘たちの方が、余程よいドレスを着ていた。


 そんな中で、彼女たちの母であるエリザベート・クリスティーネ、オーストリア大公妃である皇后や、彼女たちが、臣下に対して、決して見劣りせずに暮らせたのは、その他を寄せつけぬ、まばゆいくらいの美貌のお陰であった。


「結局、皇后さまは、どんなドレスでも気にならないのさ、あの美しさときたら、どんな宝石よりも輝いているんだから!」

「皇帝の妹なんて酷いもんさ、あれじゃ、ドレスが恨んで、化けてでちまうぜ!」


 それは、ウィーンっ子たちの本音だったが、元来、派手好きの彼らは、貧民のために慈善活動をしたり、なにかと自分たちに、お優しい皇后さまであるからして、少しくらいの贅沢に、自分たちは決して文句は言わないから、たまには皇后さまや、大公女殿下たちにも、「皇后陛下や皇女殿下のまばゆさに、ヴェルサイユの貴婦人たちは、足元にも及ばず!」一度は、そんなニュースになるほど、華やかなヨーロッパの社交界の主役になって欲しいとは思っていた。


 それができる美貌で、素晴らしいお人柄の自慢の皇后陛下なのに……。


 喫茶店『ドナウの夕焼け』で、彼らは残念に思いながら、そんなことをしゃべっているのだった。


 その時である。じっと隅でコーヒーを飲んでいた宮殿の筆写係(記録係)にて、責任者のマティアスが口を開いたのは。


「ここだけの話、俺の妹は、マリア・テレジア大公女殿下の侍女をしているんだが……」

「……」


 早く先を言え!!


 そんな空気が周囲に満ちた頃、彼はまた口を開く。


「皇帝陛下は、戦場を駆け回っていた英雄だから、気がつかないらしいが、皇后陛下はもとより、マリア・テレジアさまなんて、妹に新しい物をといって、普段は手直しした皇后陛下のお下がりを着ていらっしゃるらしい」

「なんだって?! おかしいじゃねぇか! だってよ! 宮殿に出入りする貴族なんて、馬鹿みたいに派手に着飾って……マリア・テレジアさまは、ハプスブルク帝国の皇女さま、大公女殿下だぜ?」


「だからさ、誰かがどこかで、何かしてるんじゃないかって……でも、大公女殿下に、近々、救いがあるって、お告げがあったとか……あ、ここだけの話だから!」


 マティアスはそう言うと、仕事を忘れていたと渋い顔をして、そそくさと喫茶店をあとにしていた。彼の黒い笑みを見たのは、先程の出来事の報告を受けた妹だけだった。


『カトリックの守護者にして、偉大なるハプスブルク帝国に、裏切り者が潜んで、皇后陛下や大公女さまが、つらい目にあっているらしい。しかし、選ばれし我らの大公女さまに祝福があり、近いうちに、神の救いがあるらしい……』


「救いって、なんだろうな?」

「とりあえず、しばらく見守ってみるか?」


 ウィーンにそんな空気が流れ、なんと、『皇后陛下にドレスを贈る募金活動』が広がる中、宮殿の中では、マリア・テレジアが、マティアスの妹で、自分の腹心の侍女のエヴァに、「よくやってくれたわ」そう小さく声をかけて下がらせると、薄く笑みを浮かべながら、自分の計画の一部をつぶやいていた。


「早く、早くフランツを手に入れなきゃね……」

「おねえさま、なにかおっしゃりました?」

「なんでもないわ、あなたはクッキーを食べていなさい」

「……もう食べちゃったわ」


 名残惜し気に、おやつの粉を、指ですくおうとして、マミーにぴしゃりと手を叩かれたマリアンナを優しく見つめながら、マリア・テレジアは、このハプスブルク家の貧乏な状況を打開することが、打倒フリードリヒ2世の第一歩だと思う。


『出産して、子育てして、戦争しながら、財政改革! しんどいにもほどがある! どこかしら、手が回らなくなるのは必至! ああ、回らなかったのは、たしか子供の教育ね……』


 とりあえず、先にできることは、先に片づけてしまおう。まずは財政改革! 戦争にお金はかかるものよ!


 マリア・テレジアは、一瞬、遠い未来の子供たちのやらかしを思い浮かべ、首を何回かふってから、とりあえずいまよ! いまできることをしておかなくちゃ!


 そしていつの日かこの手で、フリードリヒ2世を、ポテトチップスにしてやる! 強くそう思っていた。


 マリア・テレジアは、大変な女傑であったが、マリア・テレジア(改)も大概であった。

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