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    作者からの返信

    https://www.jiji.com/sp/article?k=2022013000080&g=int
    では……これで。本編の方も差し替えましょう。

  • 凶悪事件についてへの応援コメント

     教育学を多少かじっている人間として
     池田小やサリン事件、これらは社会の変動をいち早く察知した集団が起こした事件であり、ある程度内容は理解できます。が、逃げ切り世代とか、癌を広めた人間、と怒りや誹り、責任の所在を求めても無駄かと、(かの会話に基づいて忌憚なく言いますが)。
     あなたの言う逃げ切り世代にしても今よりも劣悪な労基法規の下、死ぬ気で働いていたわけです。彼らも一生懸命でした。第一、苦悩の種は違えども、苦悩の量というものは大概差異が無いものと思われます。そこを努力して生き抜いた、くらいの意味で「逃げ切った人」というコトバを使うならまだしも、その人たちの努力を無視して一概に批判してしまうのは性急です。
     偉そうな口を叩くんです?という発言にも疑問符です。過去がどうあれ、人間は現在以上に大切な瞬間はありません。過去を相対化する思考回路があれば、少なくとも偉そうな口を叩くことに批判はできないはずです。(もっとも、過去を相対化できない点は歳よりにも傾向としてございますが)
     その癌を誰が処置する思っているんです?。
     ⇒我々ですね(笑)。あなたも同じくお思いでしょうがこの点の荷は重いです。凶悪事件なんてものは、不可抗力で起こるわけですから、なにより大変です。いったいどうすれば良いものか。一つ、評価する点があるとしたら、あなたには批判的な情念があるということです。多くの人間はこれを失っているように見えますが、あなたのように、情念として批判できる心を持ち合わせている人間は、ある種のレジリエンス(回復力)のための起爆剤になりえるのではないでしょうか。先ほどはあなたの論証についてとやかく否定しましたが、論証とは「ドタマ」(地頭)の良さであって、「カチコミ力」(実行力)や「親分力」(カリスマ性)とは別のところにあります。ですから、あなたの情念は否定してやる必要はありません。殴り書きと枕詞に乗せられている文章に論証を求めるのは場違いかもしれませんが、ある程度、論証する「ドタマ」を鍛えて「批判」することが、今後の課題ではないでしょうか。


     ながくなりました。私は、歴史事件についてほとんどしらない。と、いうか、興味がないもので、ダッカ事件なんか初めて聞いたところです。ですから、知識としての評価は難しいですが、論理構造や価値基準としての評価はある程度はできるつもりです。ゆえに、事象との照合上で不都合が存在するかもしれませんが、その場合ご指摘くださいね。
     とかく、次項以降も忌憚なくやります。

    作者からの返信

     本当に、ここに関しては、愚痴に近いんですよね……。普段よりももっとライトに書いているので、ボロが出やすいんですよね。どちらかというと、これは怨嗟の声なんですよね。(そして、校閲が雑なのでサッと書いてサッと投稿できるという……)

     なんかカクヨムを周回していると、若者を憐れむ声、精神のイカれた奴だと思っている声、そういうものがどうも多いように見え(被害妄想バイアスもありますが)、僕の逆鱗みたいなのに障るんですよね。
     まあ、かく言う僕も、ある程度の幸せ者、ボンボンだったのか、中学生の方々の書かれる悩みごとノートにある強い恐怖心は理解できず、呆れることもありました。
     コロナ世代の私達も、「あなた(まあその大人たち)が思うより健康」(『うっせえわ』より)ですからね。そこを誤解されると、人格を否定された気持ちにもなるものです。

     どちらも一凶悪事件が世情全体を反映するといった極端な見方のもとやっているんですよね。しかし現実は殆どの日本人は、慶応線や新幹線の中でナイフなんて振り回しませんし、山梨の上九一色村でサリンなんて作りませんし。


     話はそれますが、僕は批評のとき、好きなジャンルと嫌いなジャンルは分かりますが、表現の高い作品、表現の低い作品は感性としては分からないんですよね。
     例えば、ギャルゲーやら放置少女やら、ああいうゲームは俗っぽくて劣った作品だとは思いますが、自分にはそれを作り上げる能力すらもない、と知った時の悲観は強いものでした。
     またそれはコーラスや文芸部でした。僕の好きな作品をみなは無視して、彼ら彼女らが好きな紋切りな音楽や文章を結果的に多数決で選ばれる、そんな。そして僕は力不足でその段階すらもまともに至ることができない、そんな悲痛な気持ちがありました。

     半分愚痴が入っていましたが、僕は鋭い洞察、旧仮名や古い表現、枕詞や引用、比喩だとか1文単位の小さな表現、そしてこれはミーハーですが、スカッとする、もしくは、カタストロフィなそういう読後感、そのようなものしかあまり発見できません。
     そのため、小説においては、表面的に見て論理的でない抽象世界は特に苦手で、純文学にも苦手意識を持ちます。
     やはり、言葉のインパクトを見てしまうという感じでしてね、例えば、『こころ』の先生が手紙の末尾に、「私も乃木大将のように意味不明な死を遂げるのです」といったように、その極端を見てしまう訳なのですよね。
     そのため、『檸檬』の妄想にはどうもついていけない訳ですね。どうしても、あれはイタいとしか言いようがないのです。

     なんか、言いたいことが湧き上がって来ましたが、一旦ここはコメント返信であるので切り上げますね。

    編集済