第2話 初めてのスマホ

 やさぐれお菓子男爵を眺めているうちにシルとクーニャの言い争いは無駄に白熱し、やがて流れはクーニャ優勢、そろそろシルは言い負かされそうになってきた。


「ぐにゅにゅにゅ……」


 追い詰められたシルの口からは謎の唸り声がこぼれるようになり、このままではこの宿とシルの家の間に、予定されていた広い庭ではなく小規模な神殿が建つことになりそうだ。


 うーむ、どうもシルは交渉事に弱いな。

 おそらくそれは、これまでまともな交渉をする機会がなかったというのが大きいのだろう。なにしろいざとなったらその暴力で解決できてしまう竜だ、交渉相手としては下手に出るしかなく、となれば交渉はシルの要求を丸呑みするだけのものになってしまう。


 そんな竜相手に退くどころか追い詰めるクーニャは、きっと信仰に脳をやられているのだと思う。

 もちろんそれなりに知り合ったことで、いきなり暴力に訴えかけるようなことはしないと判断しての強気もあるのだろうが、シルをあんまり追い詰めすぎると癇癪を起こすことまでは知らないはずだ。

 ついカッとなってのポカッであっても、それはけっこうな威力。

 俺でなきゃご臨終しちゃうね。


「シルさん、神殿は必要ですよね?」


「うにょぐにゃうにゅう……」


 うん、ここらが限界だな。


「はいはい、そこまでだ。建つのはシルの家なんだから、クーニャは無理強いしないの」


「にゃうー……」


 話に割り込んだところ、今度はクーニャが唸って口を尖らせる。

 まったく、神殿どころか庭の片隅に墓が建つのを防いでやったというのに、この猫娘はわかってないようだ。

 そんなクーニャとは対照的に、一転してぱぁーっと嬉しそうな顔になっているのがシルである。


「とは言え、だ。話を聞くと神殿があってもいいような気がするし、シルさんや、そこで考えたんだがな……」


 と、俺はやんわりと神棚を作ってはどうかという提案をする。

 俺の祖父母の家には立派な神棚があって、そこには人差し指くらいの陶器で出来た狐さんがずらっと並べられていた――という話をしつつ、ちっちゃい神殿を作り、ちっこい猫の置物なんかを並べてみてはと説明する。

 するとこの話にクーニャが興味を持った。


「なるほど、家の中に小さな神殿ですか……」


「馴染みはないか?」


「ありませんね。庶民の方は神殿に足を運びますし、大貴族のように裕福な方々となれば家の敷地に小規模の神殿を建てています」


「そうなのか……」


 どうもお祈りはちゃんとした神殿で行うという文化が根付いているようで、自宅に神棚的な神殿を拵えることはあまりないようだ。


「神殿で販売したら買う奴がいるかもな。こう、小箱くらいの大きさで、扉を開くとあの猫を抱っこした女性の像がある、みたいな」


「ほほう! ケイン様、その話もっと詳しく!」


「いや詳しくも何も話した通りなんだが……。今はシルの家の話をしてるところだから、また後でな」


 適当な思いつきに食いついてきちゃったクーニャをいなし、このくらいの落とし所でどうだろうとシルに確認をとる。


「むー、家の中にちっちゃな神殿か。ちょっと興味もあるし、まあそのくらいなら……」


 ひとまずシルも納得してくれたので、家には猫を祀る神棚が追加されることになった。



    △◆▽



 こうしてシルさん家の建築は大工衆によるミニチュアの製作待ちとなり、これで俺はようやくひと息つける――とはならなかった。


「なんとか一儲けせねば……」


 現実とはかくも非情なもの。

 現在、俺は魔導学園から請求された賠償金を払い切れておらず借金持ちになってしまっているのだ。

 一応、『ちゃんとした所持金』の方で払うと決めたので、そのうちまた貯まる『よくわからん所持金』で払うつもりはない。

 まあいざとなったら仕方なくそっちで払うが。


 さて、残りの金はどう工面したものか……。

 金額としてはそう大したものではなく、大森林へダッシュで向かってノロイさまを十匹ほど絞めてやればどうにかなるのだが……ちょっとそこまで頑張る気にもなれなかったりするのである。


「うーん……」


「うりうり。うりうり」


 何か良い案はないものかと思索しようとするも、うきうきしたシルが持てあます期待感を発散させようと俺をオモチャにするのでさっぱり集中できない。

 終いにはおチビたちも参加して突っついてくるわ、ペロは足元でおやつをねだるわ、猫どもが膝の上の争奪戦を始めるわと、もはやものを考えられる状況ではなくなってしまう。


 そのうち日が傾き、今夜も一頑張りしようとヴォル爺さんがのっそりと軒先へ移動を始めた。

 その姿を見て、俺はふと思いつく。


「爺さん、そういやあんた、魔導学に詳しいんだっけ……?」


「えっ!? いまさら!? いまさらそれ確認してくんの!?」


 何やらびっくりのヴォル爺さん。

 ひとまず軒先でぶらぶらするのは待ってもらい、ちょっと思いついたことを聞いてもらう。


「まあ何てことのない話なんだが、あんたに学園で教師として働いてもらえないかなって思ったんだ」


「それはあれかの、儂を働かせて、その給与を残りの賠償金に充てようという話か?」


「いや、爺さんが働いて得た金は爺さんのものだ。一応この宿で世話になってるんだから、ちょっと渡すとかした方がいいとは思うが」


「儂は金なんぞいらんから、なんなら全部渡してしまってもかまわんくらいじゃ。しかし教師か……。もし受け入れられたとして、そうなると儂は働きっぱなしじゃ。寝んとやってられん儂じゃし、これはもう夜の魔除けは免除ということでええか?」


「あー、そうだな。そうするか」


「よし、やろうではないか。是非やろう。しかしお主、どうしてまたこんな提案をしてきたんじゃ? お主に得はなさそうじゃが」


「いや、俺としては、優秀な教師を紹介したということで、賠償金の支払いをしばらく待ってもらおうかなって思ってる」


「回りくどい……。お主、妙なところで律儀じゃの」


 あきれられたのか感心されたのかよくわからんが、ともかくヴォル爺さんは俺の提案に乗った。

 よし、明日は学園へお出かけだな。



    △◆▽



 そして翌日の朝。

 これまでがそうだったように、俺は学園に行くのにみんな付いてくると思っており、皆の方も当然のようにそのつもりだった。


「学園か……。またマシュマロは焼かないのか? もう私はマシュマロを焼けるぞ?」


「いやマシュマロは焼かな……ってなんでそんな残念そうな顔をするんですかね。じゃあ帰ってきてから焼くから。いっぱい焼くから」


 最近、こっちに泊まりっぱなしのシルを交えての朝食。

 ひと休みしたあと、さっそく学園へ向かうつもりだったが、そこに突然の知らせがもたらされてそうもいかなくなる。


「えっ!? お母さま帰ってくるの!?」


 やってきたのは王宮からの使い。

 ここ数日中にノラの母親が帰還することを伝えにきたのだった。


「ふわわわ、どど、どうしよう! 帰ってくるって! お母さま帰ってくるって! ふわー!」


 待ちに待った母の帰還、普段はのほほんとしているノラも、これにはあたふた取り乱してまったく落ち着きがなくなる。

 もうディアと両手を繋いでぴょんぴょん跳ねたり、ラウくんの頭をわしゃわしゃ撫でたり、メリアにしがみついて胸に顔をぐりぐり押しつけたり、ペロを高い高いしたり、どさくさにピヨを捕まえようと伸ばした手を突っつかれたりとやりたい放題だ。


「これこれ、鎮まれ、鎮まりたまえよ。さぞかしのほほんと暮らす姫と見受けたが、そんなここで荒ぶったって仕方ないでしょ」


 ひとまず落ち着かせようと、ナッツ入りチョコレートでコーティングされた棒アイスをちらつかせる。


「ほれほれ、美味しい氷菓子だぞー」


「はんむっ!」


 シセリアが食いついた。

 違う、そうじゃない。

 仕方ないので釣れた外道はリリースして、新しいのをもう一本……いや、なんかガン見されるから結局みんなに配った。


「あむあむ……」


「ノラさんや、ひとまず王宮に戻って、お母さんが帰ってくるのを待ったらどうだ? せっかくなら出迎えたいだろ?」


「あー、うん、そうするー、あむあむ」


 数日中の帰還なら、今日くらいはこのまま宿に居ても平気だろう。

 しかしこの様子だと、宿に居てもまったく落ち着かないだろうし、ときどき報告に王宮へ戻るものの、一泊するか日帰りで戻って来ちゃうノラだ。たまには王宮ですごし、親父さんとゆっくりするのも良いと思う。


「あむあむ、ノラお姉ちゃんよかったね。お母さんが帰ってきたら、しばらくはお城にいるの?」


「んー、わかんない。あむあむ」


 ディアに尋ねられ、首を傾げるノラ。

 そりゃしばらくは母親と一緒に居たいわけで、となるとまた宿に来るのはちょっと先になるかもしれない。

 となると……そうだな。


「ふむ、そろそろ渡しておくか」


 ちょうど良い機会だろうと、俺は皆にスマホを配るべく創造してテーブルに並べていく。

 誘拐事件も発生したことだしな。


「えっ、スマホー!? 先生、スマホーくれるの!?」


「わぁ、スマホー! スマホー!」


「だからスマホだと言うに……」


 脳に『スマホー』と刻まれてしまったのか、まったく改めようとしないノラとディア。

 そのうち俺の方がスマホー呼びに慣れてしまいそうである。


「見た目や色を変えられたらいいんだが、そんな器用なことはできないからそれぞれでなんとかしてもらうことになるな。で、このままだとただの置物だから……」


 俺は目を瞑り、内的世界ですごしているシャカの様子を窺う。

 シャカは香箱座りで目を瞑って休憩中。その様子はのんびり日向ぼっこを堪能しているようであり、また『猫は何故ニャーと鳴くのか?』という命題を解き明かそうと思索しているようでもあった。


「(シャカさんや、ちょっとお願いがあるんだけども)」


 呼びかけると、シャカはぱちっと目を開き、そのままにょろんと現実世界へと這いだしてきた。

 これに大きな反応を示したのは、メリアとヴォル爺さんである。


「あっ、シャカちゃん! シャカちゃん!」


「おお、シャカ殿。棺の件では世話になりましたな」


 そんな二人以外も、シャカの登場には好意的な反応を示す。

 いつの間にやら人気になってたんだな……。


「で、シャカ、さっそくなんだが、ここに並べたスマホを通話ができるようにしてもらいたいんだ」


「にゃっ」


「あと、もしできたら他の機能も追加してもらえる? せっかく見た目はスマホなのに、機能的にはスマホらしさがないからさ」


「んなーう、にゃっ」


「わからん……。クーニャ、何だって?」


「やれるだけやってみる、と仰っています」


 頼りになるような、ならないような返答だ。

 ひとまず機能が増えるかもしれないとのことで、俺とシルもスマホをテーブルに並べ、あとをシャカに任せる。


「んにゃ。んにゃ。んにゃ」


 シャカはテーブルを闊歩し、多めに用意したスマホを前足でふみっふみっと一つずつ処理していく。


 こうして完成した次世代の猫スマホ。

 なんと通話だけでなく、時刻表示やアラームといった時計関連の機能、さらに写真撮影の機能が追加されていた。

 これまで同時通話型トランシーバーと大差なかったことを考えると大きな進歩だ。


「んにゃーうー」


「ひとまずこれくらいでいいよね、と仰っています」


「ああ、すまんな、無理言って」


「にゃ」


 こうして一仕事終えたシャカは内的世界へ帰っていき、そのあとは使い方の説明会。

 このうち猫スマホの存在をほとんど知らなかったメリアはおおいに驚き、ヴォル爺さんに至っては仰天しているようだった。


「お、お主、こんなものをほいほい用意できるんか……世界がおかしゅうなるぞ……」


「いやそんな盛大にばら撒くつもりはないから」


 あと、シルにはヴィグ兄さん用のスマホを、メリアにはセドリック用のスマホを預けておく。

 やがて説明が終わると、そのあとはみんなしての撮影大会が始まった。

 きっかけはノラの一言だ。


「お母さまに見せる写真いっぱいとるー!」


 そう言ってノラはディアとラウくんをせっせと撮り始め、これに触発されて皆も思い思いに撮影を始めた。


 ノラ、ディア、ラウくん、あとシルあたりは、目に付くものを手当たり次第という感じだが、シディア母さんはにこにこしてはしゃぐ子供たちの様子を撮影、メリアはひたすら猫を撮りまくり、シセリアはエレザの魔法鞄に預けておいたお菓子を出してもらって撮影を始めたりと、撮影者の好みがよく表れている。


「うおー! 師匠、この写真ってやつ外に出せねえ!? これで鳥料理の写真をとって、店に並べたらすげえいいんだけど!」


「ぴよー!」


「あっ、ピヨちゃんがパタパタしてる! 撮ってお母さまに見せなきゃ!」


「ピヨちゃん、こっち見てー! こっち見てー!」


「……ん! ん?」


「くぅーん、くぅん……」


 写真メニューに辿り着きそうなアイル、その興奮に感化されて騒ぐピヨ、それを撮影したがるおチビたちと、こっちも気にしてくれとラウくんに拗ねるペロ。

 これはしばらく騒がしいままだな……。

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