第37話 閑話 シルヴェール

 私の名はシルヴェール。

 アロンダール山脈に住む竜の一体だ。


 私たちがこの地に居を構えているのは、単純に魔素が豊富であるという以上の意味はない。

 これは他の地に住む竜たちも同じこと。

 要は快適な場所で暮らしているというだけの話である。


 しかしながら、事実はどうあれ竜以外――特に人などは竜がそこに住んでいることを特別に捉えたがり、なにかと御大層な理由をつけてくる。

 例えば、その地の守護者だのなんだのと私たちを持ち上げてくるわけで、正直なところそれに合わせるのは面倒くさい。

 とは言え、だ。

 敬われるならそれに合わせて応じるのが力を持つものの責任であるし、一応、竜としての面子もあるわけで、ただすごしやすいから住んでいるとついぶちまけたくなるのをぐっと堪え、できるだけ威厳ある演技をしつつ、担ってもいない役割に対しての感謝を甘んじて受け入れている。


 うちの場合は山脈の麓に広がる森の管理者という立場だ。実際はただ自分たちの『庭』が荒れすぎないよう、たまに手入れするくらいの事。森の様子がおかしいことに気づいたら出向き、原因を排除。これを人が――主に森に面しているユーゼリア王国が勝手に勘違いして有り難がっている、それだけの話なのだ。



    △◆▽



 森の様子が少し妙だと母が言うので、その日、私はまず原因を見つけるべく上空から森の様子を観察した。

 その結果見つけたのが、森で生活している一人の男だった。

 初めは無謀にも森の奥にまで踏み込んだ狩人かと思ったが、すぐにその男が普通ではないことに気づいた。


 魔のものでもあるまいに、その男は森の魔素を溜め込み、人でありながら人の枠組みから逸脱しようとしていたのだ。

 このままでは人の形をした現象――例えば嵐や地震のような災害へと変貌し、その一喜一憂で周囲の環境を激変させ、破壊と混沌をもたらす災厄へと成り果てることになる。


 森の異変、その原因はまちがいなくあの男。放って置けばそう遠くないうちに異変どころか破滅をもたらすことになる。


 今のうちに消し飛ばすか?


 それが異変を排除する、手っ取り早く確実な手段。

 なのだが……何故だろうか、それが成功する気がまったくしない。

 それはつまり、私ではあの男を殺せないと感じてしまっているという事だ。

 そんな馬鹿なとしばし困惑したのち、私はふと気づく。

 男のいる広場が、よく見れば大きな肉球の形になっていることを。


 まさか――。


 ある可能性に思い至ったことで私は男に攻撃をしかけることを取りやめ、まずは対話を試みることにした。

 人の姿になり、なるべく警戒させないように……。


 結論から言うと、この選択は正解であった。


 男はニャザトースが送り込んだ存在――使徒だったのだ。

 判明した瞬間は血の気が引いた。

 うっかり攻撃していたら、どんな結果をもたらしていたことか。


 危なかった……本当に危なかった……。


 生まれて初めて同族以外に恐怖を覚えることになった私は、なるべく男と敵対しないよう慎重に対話を続ける。

 結果としてわかったことは、男は森で隠遁生活を送ることを望んでおり、わざわざニャザトースにお願いしてこの場へ送ってもらったという、なんだかよくわからない事実だった。


 はあ、それがスローライフと……。


 男は嬉々としてスローライフについて語るのだが、私にはまったくその良さがわからなかった。


 ともかく、男は森を荒らしたいわけではないらしい。

 どうやらニャザトースに与えられた『適応』という能力が、本来であれば長い期間を必要とするはずの『枠組みからの逸脱』を短期間で促進してしまっているようだ。

 これはどうしたものか……。

 さすがに強者たる竜とて、ニャザトースの恩恵をどうこうすることはできない。

 ひとまずは戻って家族に報告だろう。

 そして何らかの対策を講じるのだ。



    △◆▽



 男――ケインを発見してから、私は異世界の話を聞かせてもらう代わりに食料や生活に役立つ道具や家具、それからこの世界について知ることができる書物などを提供するようになった。

 要は交友を深めたということだが、信頼を得るためという打算も含まれていた。

 それは偏に、ケインを災厄へと変貌させないためである。


 かなり打ち解けてきたところで、私はケインに『生命の果実』を食べさせた。

 人はこれを『若返りの果実』と認識しているが、実際は食べたものの『器』を広げる代物であり、若返るのは副次的な効果にすぎない。

 結果、ケインは年齢の半分にまで肉体が若返ることになった。

 と同時に、災厄へと至る心配もなくなる。

 溜め込まれた魔素はまだケインの内に残るが、余計な干渉をしなければ問題はない。

 そもそもケインはその事実すら知らないのだし。


 その後、若返りを驚くケインに対し、ひとまず『ちょっとした悪戯だった』ということで私は笑って誤魔化した。

 変に義理堅いところがある奴だから、この事を知られると無駄に恩に着られる可能性があったのだ。

 私は大人しく説教された。

 正座はちょっとつらかった。

 あんなに足が痺れたのは初めてで、しかし、思い返せば楽しい経験でもあった。


 良くも悪くも、ケインを見ているのは退屈しない。

 だがその退屈しない時間も、長きを生きる竜からすればほんのわずかないとまにすぎず、いずれは偲ぶべき追憶となるのだろう。

 竜は気に入ったものを見つけるとしばらく執着する。

 妹の場合は、それが『さまよう宿屋』で、私の場合はこいつだったということだ。


 あいかわらずスローライフというものはよくわからないが、多少の便宜を図りながらしばらくは見守ろう。

 そう思った。

 思っていた。

 だが、しばしの遠出から戻りケインを訪ねたところ、そこにあったはずの家が無く、代わりに大きな爆発の跡だけが残っていた。


 茫然とした。

 あれほど茫然としたのは生まれて初めてだ。


 やっと家が完成したと、本当に嬉しそうにしていたケインの顔が思い起こされると、次第に怒りがわき上がってきた。


 これをやったのが何者かは知らんが……許せん。


 ケインは……まあ、あんな存在を殺せるようなものはいないと思うので、きっと森のどこかに身を潜めているのだろう。

 となると見つけるのは至難。

 ならば私がやるべきは犯人捜しか。

 報いを受けさせてやらねば……!



    △◆▽



 犯人はケインだった。

 うん、ちょっと訳がわからない。

 自分で自分の家を吹き飛ばすとかお前な……。

 私がどれだけ心配していたと。

 もしかしたら死んでいるんじゃないか、そんな不安を、奴が死ぬわけがないという希望で打ち消していたというのに、この馬鹿は。


 さすがにカッとなって怒鳴り散らしてしまったが、考えてみれば手足がもげようが死にかけようが頑なに森から出なかった男がこうして森を出ている、それは相当なことだ。

 よほどの理由があると思い、それさえ教えてくれたら許してやろうと思ったが……やはりケインは馬鹿だった。


 この期に及んで何故逃げる。

 往生際が悪すぎだ。


 これはもうきっちり懲らしめてやらねばと思った。

 思ったのだが……。

 まさか負かされるとは思わなかった。

 悪いのはケインなのに。

 ふて腐れているとケインは謝ってきたが、それでも何があったか語るつもりはないようだった。


 ぐぬぬ……。

 なんとしても聞きだしてやらねば……!


 そう決意し、私はケインにあらためて尋ねるが――。


 ほう、異世界の酒か。

 興味ある。

 興味あるぞ。

 どれどれ……。

 ……。

 うまうま。




――――――――――――――――――――――――――――


『あとがき』


 ここまで読んでくださった方、応援してくださった方、フォローしてくださった方、評価してくださった方、ありがとうございます。

 ここで一章は終了となり、二章は一週間の準備期間を挟んで15日(火)から隔日投稿で始める予定です。

 余裕をもって始めたのですが、すでにカツカツという不思議。


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