第22話 公園の野良少女

 森で暮らしている頃は、たまに現れては餌をねだり、満足すると去って行く感じだったペロ。

 あんな子犬がこの森で生きていけるものかと、一度、ペロのあとをついて回ったことがある。

 結論から言うと、まったく問題なかった。

 襲ってきた粉砕鹿(ノロイさまよりだいぶ強い)を追い払っていたので、これなら大丈夫だろうとそれからは好きにさせていた。


 あいつはきっと奔放を良しとする気質で、縛られることが嫌いなのだろう。


 などと思っていたのだが……どういうわけか、ペロの奴は大人しく宿で飼われている。

 森へ帰る素振りすら見せず、いっぱい食べて、いっぱい遊んでもらって、そしていっぱい寝る。

 この俺を差し置いて、なんたる悠々自適か。

 まったく、ふてえ子犬だ。



    △◆▽



 王都は大きい。

 それでもここ数日、散歩がてらディアに案内してもらい、少しは道や場所を覚えた。


 それに今はペロもいる。

 もし迷子になったとしても、きっとこう、臭いかなんかを辿りながら宿屋へ帰ることが可能なはずだ。


 こんな思惑もあって、王都を散策する時はなるべくペロを連れていく。

 これで迷子になって、ペロが想定通りに働いてくれたら、それは出会ってから初めてペロが役に立ってくれた瞬間ということになる。

 ただまあ、進んで迷子になるつもりはないので、ペロは変わらず何の役にも立たないまま、ただ餌をねだり、そして愛想を振りまくだけの子犬であり続ける可能性が高い。


 そんなペロをお供に訪れたのはウィンディア自然公園。

 ユーゼリア騎士団の訓練場まであるような広い公園であり、その成り立ちを知らなければ、存在自体が不可解な場所でもある。

 要は『そもそも都市の周りは自然ばかりなのに、どうしてわざわざ都市内――貴重な壁内側の土地を無駄にするような公園なんか作ったのか?』ということだ。


 この事情については、前に案内してきてくれたディアが張りきって教えてくれた。


 ユーゼリア王国がまだ辺境伯領であった頃、元々この公園がある場所は、都市中の汚物が集まる処理施設があり、そこでは日々スライムたちが元気に食事……浄化をおこなっていた。

 が、あるとき、スライムたちはスライム・スレイヤーの『影響』を受けてきれいに全滅する。


 処理機能を失った施設に溜まり続ける汚物。

 人口密集地ともなれば、一日に生産される汚物の量は相当なもの。

 人々のささやかな対策など数日で追いつかなくなり、あえなく都市には汚物が溢れた。


 不衛生の地獄と化す領都。

 発生した疫病に倒れる者もいれば、悪臭のストレスにより正気を失う者と、当時は相当に混沌としたらしい。

 で、恐ろしいのは、これが辺境伯領だけの話だけではなく、世界中の大都市で起きたという事実である。


 もちろん為政者たちは対処しようと頑張った。

 が、ずっとスライムに頼り切っていたため、すぐの解決というわけにはいかなかったのだ。


 このウィンディアでも、スライムを必要としない処理施設の着工に取りかかれたのは、元々の施設一帯が汚泥の沼――人外魔境と化してからであったらしい。

 まあ新処理施設はなんとか完工まで漕ぎ着け、これによってそれ以上の事態悪化はまぬがれる。

 旧処理施設は破棄され、一帯は立ち入り禁止地区に指定。


 そこからの経緯については、ディアも知らないようだったので不明だが、ともかく旧処理施設一帯は無駄に大きな自然公園となったのである。

 さぞ木々もすくすくと育ったんだろうなぁ……。



    △◆▽



 ウィンディア自然公園は立派な大木が立ち並ぶ美林が大部分を占め、その中央部には草原に囲まれた大きな湖がある。

 その草原を『うひょー、うひょひょひょー』と走り回るのはペロで、俺は公園に点在する東屋でくつろぎながら、そんなアホ犬の様子をぼんやりと眺めていた。


「ふむ、この状況はなかなか優雅なんじゃないか……?」


 悠々自適の気配がする。

 今頃、シセリアたち遠征組が、公園のどこかにある訓練場で休日明けの鈍った体を叩き起こすための訓練を課されていると思うと、なおさら悠々自適感が増してくる。

 目を瞑ればイマジナリーニャンニャンのシャカも優雅にお昼寝だ。


「ふっ、やはりかなり悠々自適に針が振れているようだな」


 今度はディアとラウくんも連れて来て、ペロと一緒に駆け回る様子を眺めることにしよう。

 きっとより優雅で、悠々自適に近付けるはずだ。


 やがてペロは草原だけでなく、林にも突撃していくようになった。

 小さな子犬が目の届かないところへ行ってしまうのは、普通なら心配もするところ。しかし奴は普通ではないため、特に心配する必要はなかった。何かあれば自力で解決を――って、被害が出た場合は俺が責任を取るのだろうか?

 いかん、奴から目を離してはいかん!


「ペロ! おーい、ペロー! ……聞いちゃいねえ」


 危機感から林に消えたペロを追う。

 莫大な堆肥を糧として立派に育った木々は、それぞれの間隔が広く取られているので視線は意外と通りやすい。けれども、ペロの姿を見つけることはできない。もうこの辺りにはいないようだ。


「まいったな、なんとなく雨が降りそうな感じがするから、もうそろそろ帰った方がいいんだが……」


 雨くらい魔法でどうにでもなるが、問題はペロだ。

 舗装もされていない土剥きだしの道はすぐに泥道と化すわけで、これを見たやんちゃな子犬はどうなるか?


「大人しく抱えられているような奴じゃねえしな……」


 愛くるしい姿であっても、奴はやるときはやる魔獣だ。

 きっと俺の腕から飛びだし、泥道相手に野生を解放して暴虐の限りを尽くすことだろう。

 結果として、奴の全身は返り血ならぬ返り泥で大変なことになるのだ。


「えーっと、こっちの方に……」


 気配を頼りに、さらに林の奥へ。

 と――


「ん? なんだあれ?」


 妙なものを見つけた。

 廃材とおぼしき木材で作られた……小屋? 四方に柱、屋根は木の板を何枚か置いただけという、比較すればみすぼらしい掘っ立て小屋ですら立派に見えるレベルのもの。

 ちょっと頑張って作った子供の秘密基地とでも言えばいいのか。

 事実、作り手とおぼしき子供がそこにしゃがみ込んでいるしな。


 その子は見たところ十歳くらい。

 浅緋の髪は短く整えられており、着ているチュニックとズボンはずいぶん汚れているが、それでも仕立ての良さがわかるものだった。


「いい? あなたはこれから私と一緒にここで暮らすのよ?」


「くぅ~ん……」


 で、その子(どうやら少女)の前には首にツタを巻かれ、しょんぼりお座りしているペロの姿がある。


 どういうことだよ。

 ちょっと目を離した隙に何が起こったんだよ。

 ペロは、やろうと思えば簡単に引きちぎれるツタを首に巻かれて大人しくしている。

 このまま少女に飼われるつもりだろうか?

 しかし乗り気ではないようだし……奴の考えがよくわからない。


 ただ、大丈夫そうだとここでペロを放置して帰ると、きっと宿で待ってる姉弟が残念がる。

 それどころか怒る、あるいは泣くかもしれん。


「あー、お嬢ちゃん、その子犬は俺の従魔なんだ」


 ペロに夢中になっていた少女は、話しかけたことでやっと俺に気づいたらしく、ちょっとびっくりしたように顔を向け、萌黄の瞳をぱちくりさせる。


「え? あ、そうなの? そっか……」


 飼えないとわかって、少女はその可愛らしい顔をしょんぼりと曇らせた。

 マジでその気になってたんだなこれ。


「なあ、お嬢ちゃんはここで何をやってるんだ? なんか、ペロと一緒にここで暮らすとか言っていたが……」


「ペロ? ああそう、あなたはペロっていうのね」


 少女はよしよしとペロを撫で、それから立ち上がる。


「私はノラ。冒険者になるために、ここで野宿の訓練をしているところなの。まだ十一だから冒険者にはなれないけど、今のうちからできることをって思って」


「……」


 無謀だ。

 意気込みは認めるが無謀だ。

 はたして、環境に適応できるからと魔獣ひしめく森に一人住み始めるのと、どちらが無謀かと尋ねられたら悩むが、ともかく無謀だ。


 まずそもそも、冒険者になるために野宿の特訓というのが、わかるようでわからない。

 遠出する場合は野宿もするだろうが、普通は家か宿だろうに。


 もしかしてあれか、映画とかアニメとかマンガとか、何かに影響され、憧れて、そうなるために思いつきの意味不明な訓練とか修行を始めてしまうという、努力の方向性が間違っている子供特有のアレか。


 思えば、俺も昔はアニメに触発され、娘溺泉ニャン・ニーチュアンを探しに自転車で隣町まで冒険にでかけたことが……。

 ……。

 危ない、地獄の蓋が開くところだった。

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