第2話 食料はお互い様

 神さまとのやりとりを終えたあと、俺はすみやかに新天地へとおくられた。

 要望通りであれば、ここは人里から離れており、食料が豊富で、なおかつ美味しい物が多く、おまけに魔法を身につけやすいというスペシャルな森の中のはずだ。


「ふ……ふふ、ははは……」


 まず胸に去来したのは、言葉では表現しきれないほどの圧倒的な開放感。それに遅れ、これから夢に描いていた生活がおくれることへの興奮がわきあがってくる。


「はは……あははは、はーっはっはっは――――――ッ!」


 止まらない高笑い。

 これまでの人生で最高の瞬間――いや、おそらく今後の人生においてもこれ以上の喜びが訪れることはないだろう。

 アホばかりの世に生まれたことを嘆くことから始まる人生。それを歓喜とともに再スタートさせられる、そんな僥倖を凌駕する出来事など……!


「ああ、素晴らしきかな、素晴らしきかなスローライフ!」


 両手を挙げてのガッツポーズ。

 やがて――ひとしきり笑い、ようやく落ち着いた俺はまず自分の状態を確認するところから始めた。

 不思議空間ではすっぽんぽんだったが……気づけば見慣れぬ衣服を身につけ、ちゃんと靴も履いている。


「これは……サービスか、ありがたい」


 神さまの気配りに感謝しながら、次に辺りを観察する。

 現在、俺は直径50メートルほどの、整地でもされたような空き地のど真ん中に立っており、その周囲はすぐ先も見通せないほど鬱蒼とした森になっていた。

 森の奥に、たまたま綺麗な空き地があった――なんて話はさすがに無理があるので、この場所もまた神さまが用意してくれたものなのだろう。


「あの神さま、無愛想だけど親切なんだな……。よし、ここを活動拠点にするか」


 神さまが用意してくれた場所だ、きっと霊験あらたかなパワースポットに違いない。


「じゃあ次は水と食料をどうにか――」


 と呟いた、その時――


「ピギィーッ! プギギィ――――ッ!」


「うおっ!?」


 後方でけたたましい獣の鳴き声が。

 びっくりして振り向くと、そこには空き地に入り込もうとしているやたらでかいイノシシがいた。


「なんだあれ!?」


 さすがに乙事主おっことぬしさまほど大きくはないが、それでもサイやカバほどにでかく、下顎からは凶悪な牙を生やしている。


「や、やべ――あだっ」


 恐怖に駆られ、とっさに逃げようとした俺は足がもつれてそのまま尻もち。

 まずい――。

 そう一瞬焦るも、よく見ればイノシシはこの空き地に少し踏み込んだところでそれ以上進めず、四苦八苦しているようだった。


「うおぉ、安全地帯なのかここ。マジで霊験あらたか。ありがとう神さま……!」


 完全に俺を狙っているイノシシ。

 つか奴が苛立って喚くまで、俺はその存在に気づけなかった。ここが安全地帯でなかったら、俺のスローライフはいきなり終了していたかもれない。


「もしかして、この森ってあんなのがいっぱいいるのか? やべえ、そういや危険が少ない森って条件つけるの忘れてた……」


 安全性については、勝手にキャンプ場になっているような森の感覚でいた。

 完全に失策だ。


「ま、まあ、ひとまずここにいれば大丈夫なんだ。なんとかなる。神さま、マジでありがとう……」


 落ち着きを取り戻した俺は、あらためてこれからどうするかを考える。

 ここに居れば安全が確保されるとはいえ、ずっと籠もっているわけにはいかないのだ。


 3の法則――というものがある。

 これは3という数字を基準とし、状況に応じての人の生存可能時間を表したものである。


 3分は『呼吸』。

 人は呼吸できないと3分程度しか生きられない。


 3時間は『保温』。

 人は適切な体温を保てないと、3時間程度しか生きられない。寒さの場合は低体温症、暑さの場合は熱中症になり命を落とす。


 3日は『水分』。

 人は水分補給できないと3日程度で衰弱。近いうちに命を落とす。


 3週間は『食料』。

 人は水だけあっても食料がなければ3週間程度で餓死することになる(デブはもっと生きられるが)。


 つまりこれは極限状況における、優先すべきものの目安だ。

 最優先から順に『呼吸』、『保温』、『水分』、『食料』である。


 この状況に照らし合わせると、まず『呼吸』と『保温』は問題ない。呼吸は言わずもがな、気温も適度に暖かいため、夜になっても凍死に至ることはないだろう。


 となると、現状、問題になるのは『水分』と『食料』だ。

 見つけるのも大変だろうが、まずそもそも、あのイノシシがどっか行かないと探しに行くことすらままならない。

 なんとか追い払う方法を……。


「――いや、そうか! ここで魔法の出番だ!」


 この安全地帯で魔法を習得し、使いこなせるようになれば一気に問題は解決する。

 水は魔法で出せばいいし、食料はすぐそこにイノシシがいる。

 つまりこの状況、実はお誂え向きなのだ。


「もしかして、これって神さまの用意したチュートリアル? なら……そうだな、ここはいっちょ魔法をぶっ放してみるか!」


 俺は胸の前で拳を握りしめると、大いなるパワーがギュンギュン溜まっていく様子をイメージした。

 この行動がどこか懐かしいのは、少年時代、何度もこうやって『かめはめ波』を撃とうとチャレンジしたことがあるからか。

 そして――


「うおぉぉ――――ッ! ファイヤァァ――ボォォ――――ルッ!」


 バッ!

 イノシシに向けて突き出した手からは――


「……おや?」


 火の玉どころか、煙すら出てはこなかった。

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