【書籍化】くたばれスローライフ！

第１章 森を出よう、都へ行こう

第１話 ネコとの対話

　神秘。

　かつて世界に満ちあふれていた神秘。

　科学万能の現代において、それはもはや死に絶えてしまったのだろうか？

　いや、否だ。

　断じて否！

　科学で説明のつかない神秘は、いまだ日常のどこにでも潜んでいる……！

　そんな数ある神秘の一つ。

　それが『異世界トラック』だ。

　大きさ、形状、メーカー問わず、トラックには撥ねた人間を低確率で異世界へぶっ飛ばす神秘が備わっている。

　何故、人の手によって作り出されたトラックがそのような神秘を宿すことになったのか？　これもまた科学では太刀打ちできない神秘の一つだ。所詮、現代人が誇らしげにかかげる科学という名の松明では、世の神秘を照らしきることなどとうてい不可能なのである。

　さて、この異世界トラックなのだが、効果は主に三種類。

　（１）対象の魂だけをぶっ飛ばす。

　（２）対象をまるごとぶっ飛ばす。

　（３）対象を分裂させて一方をぶっ飛ばす。

　ごく普通の会社員であった俺――真島景（まじまけい）が体験することになったのはこの内の三番であった。

　不思議なことに、俺には『分裂してぶっ飛ばされた方の俺である』という自覚がある。

　もしなければ……さぞ混乱することになっただろう。

　なにしろ帰宅途中に暴走トラックとエンカウント。で、気づいたら真っ白な不思議空間に全裸でふよふよ浮かんでいたのだから。

　居残りになった方の俺がどうなっているのか、それを知る術はないが、きっと自分を撥ねたトラックの運転手や、所属する会社からがっぽり慰謝料を毟り取ろうと腐心しているに違いない。叶うならば、もう働く必要がないほどの大金を得ようと、死に物狂いでごねているはずだ。

　頑張れ、もう一人の俺！

　で、その一方――

「つまりですね、私はスローライフをね、実現したいのですよ」

　こっちの俺は全裸正座で白い猫とお喋りをしている。

　当人（当猫？）がはっきり告げたわけではないが、おそらくは神さま。

　俺はこれから向かうことになった異世界――新天地で、どうせなら夢を叶えてやろうとお願いをしている最中なのである。

「邪悪なマスコミに毒された者たちがお互いを監視し合い、不確かな憎しみばかりが膨れあがる社会に生きていたものでね、疲弊した心が安らぎを求めているのです。豊かな自然の中で、のんびりと暮らしたいのです。わかりますか？」

『わからん。もっと具体的に話せ』

　この神さま、可愛らしいのにちょっとつっけんどんだな……。

　神さまが言うには、異世界トラックされた者は『界渡りエネルギー』なるものを抱えることになり、そのまま異世界へ着弾するとたいへんな被害を発生させるらしい。そこで世界を管理している存在――いわゆる神さまは、そのエネルギーを回収するかわり、その身一つで別世界へ放り出される哀れな者へ少しばかりの施しをしてくれるとのこと。

　新しい世界で暮らすにあたり、当人が必要だと思う能力を一つ――。

　そこで俺は張りきって『スローライフを実現できる能力！』と言ってみたのだが……こうして駄目だしをくらってしまったからには、その『実現できる能力』を自分で考えて提案しなくてはならない。

「これまでに訪れた者たちはなにを願ったのですか？」

『思うがままに魔法を使えるようになりたい、そう願う者が多かった』

　異世界は魔法ありの中世的ファンタジー西洋とのこと。

　であれば、確かにその願いは惹かれるものがある。

「お願いしないと魔法は使えないのでしょうか？」

『努力次第だ。夢幻世界に満ちる創造の残滓。これにどれだけ馴染めるか、それだけだ』

「ふむ……？」

　詳しく尋ねてみたところ、施しなしでも魔法を身につけ、使いこなせるようになることがわかった。

　こうなると、わざわざお願いする必要は薄れてくる。

　それにだ、力があるならちょっとは試してみたくなるもの。普通なら無理だとあきらめる困難にも、うっかり立ち向かってみようなどと気の迷いをおこすもの。

　結果として、人から注目されるような立場になってしまうと、それは次第にしがらみとなってスローライフに影を落とすことになるだろう。

　スローライフにすぎた力は不要だ。

　いや、そもそも人里から離れ、自然の中で隠者のように暮らすつもりだからそんなことを気にする必要はないのか……？

　ならば――

「おまけで言葉や文字を理解できるようにしてくれるとのことですが、これをなくしてお願いを二つにできたりしませんか？」

『駄目だ』

　すげない。

　まあ、現地人たちとの意思疎通に困らないように――という神さまの配慮を無下にするのは褒められたものではないか。

「いざ下り立つことになる場所についての要望は、お願いとはべつで聞き入れてもらえますか？」

『聞き入れよう』

「ありがとうございます」

　すぐに望んだ場所へ行けるのはありがたい。

　スローライフに適した場所を探し求め方々へ移動するのは、元の世界でとは比べものにならないほどの苦労に違いないからだ。

　さてさて、こうなるとあとはその『望んだ場所』でスローライフを実現するための『何か』を決めるだけである。

　そこで俺はスローライフをおくる自分の姿を思い描いてみた。

　恵み豊かな森の中で穏やかに暮らす日々を……。

「ん？」

　ふと、気になったこと。

　それは旅行先の外国で飲み食いした結果、上だけでなく下からもマーライオンしてしまう貧弱な日本人が、異世界の生水を飲んでも大丈夫なのかという切実な問題であった。

「あー、そうか……いや、そうだ！」

　稲妻のような閃きがあった。

　これだ、これがスローライフに必要なものだ！

　俺は天啓を得た興奮そのままに、お股おっぴろげのω（タマタマ）大公開で毛繕いを始めていた神さまに告げる。

「では、私を環境にすんなり『適応』できるようにしてください！」