胎動する十円玉

相沢 たける

胎動する十円玉

 アヤッベ、十円玉を飲んじまった。


 私は喉元を過ぎていく十円玉を喉仏の下で感じながら、発狂しかけたのでありますが、なんせ声が出ないものでして、たまに出てくるうめき声でさえ銅と緑青の香りがするのであります。先ほどアップルミントのタブレットを噛んだのでありますが、どうしても銅の香りが消えぬのであります。どうしたらよいのでしょうか。ここはやはり優秀な日本警察のお世話になるべきでありましょうか、ねぇ、大将?


「さぁね。なぁ、お前さん会計じゃなかったのか? 長いこと茶飲んでちゃ濁しやがって。会計で呼ばれたからカウンター席まで歩いてきたって言うのに、なに喉押さえて苦しんでやがるんだ。……あれ? あれ、そういやお前さん、喋ってねぇのにどうして俺にゃお前さんの声が聞こえるんだ? えぇ、どうなっちまったんだ!」


 知らないって、私に聞かれても知らないのであります。私はただ喉に十円玉をうっかり突っ込んでしまい、悶え苦しんで上を向きながら涙を流している所存であります。どうか助けていただきたいものです。お助けを、どうか私に、お慈悲を。


「えぇ、どうして飲み込んじまったんだい。さぁ吐け。吐くんだ。そうだ、お茶飲むかい?」


 だからさっきから試しているのであります。私はこの現状をどうにかすべく、吐くよりも飲み込んだ方がいいと判断しているのであります。大将が「吐け、吐け」という言動と、お茶を飲めという言動の間には、大きな矛盾があるものと思われるのですが。


 私は息ができないのであります。


「誰か、おい、お前、救急車呼べ。なにぼけっとつったてんだ、早くしやがれ」

「あ、はい、今電話に」


 そう言って大将の奥さんはポケットからスマホを取り出して電話をし始めたのでありますが、とても飲食店経営者としてあるまじき行為のようにもお見受けできるのであります。しかし私の声は声にならず、うめき声もピークに達したのでありました。


 私は椅子から転げ落ちて、鼻から鼻水を撒き散らしながら鼻声で絶叫したのであります。店中大騒ぎであります。しかし私はうっかり十円を飲んでしまったのであります。それ以外でも、それ以上でも、それ以下でも、それ以前でもないのであります。私の顔は紫色に変わり、ついに私は心配そうにしゃがみ込んでくれていた大将の胸ぐらを掴んだのであります。


 その時私の喉のつかえが取れたのであります。十円玉が食道の方へ落ちていったのであります。私も、大将も、奥さんのエンペラー節子も、私の姿を見ていたのであります。すると私の中にいる十円玉が、グルグルと動き始めたのであります。私はおそるおそる胸の辺りをさすると、さらに十円玉が加速して、まるで踊っているようであります。なんとファンタジックなことでありましょうか。私はさらに大粒の涙を流し、大将も泣きわめき、エンペラー節子はいきなり私の両脇を引っ掴んで、「吐け、吐け」と、私を揺さぶってくるのでありますが、大切な十円玉は私の体に含まれてしまったのであります。


 私は驚きました。えぇ、とても驚きました。なんと十円玉が徐々に大きくなってくるではありませんか。や、やや、ややや、十円はやがて五百円のサイズになり、続いてどら焼きのサイズになり、私の心臓を突き破って外気に身を曝け出し、埃だらけの床を何回か跳ねると、さらに大きさを増してマンホール大になり、店のガラスを突き破ってやって来た救急隊員を回転してズタズタに切り裂いていき、ついに大空へと舞い上がったのであります。


 私を私の身の中で育った十円玉もとい新たなユーフォーを見送りつつ、万感の思いを抱きながら、ゆっくりと床に倒れていったのでありました。

 

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