ウィンドウズ、アメーバ

相沢 たける

ウィンドウズ、アメーバ

 いつものように椅子に座り、パソコンを開いてぎょっとする。キーボードと画面にびっしりと膜のようなものがかかっていた。


 よく見たら、膜には核のような黒点がある。また、膜は厚い部分と薄い部分があるようだった。私は近所に聞こえるような大声を上げた。


「きゃーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ」


 うるせぇよ、と隣の声が聞こえた。私はパソコンに見入っていた。なんじゃこりゃあ。 一分くらい冷静になって、私は思い至った。この膜のような正体は、いつか生物の教科書で見たアメーバという生き物じゃないか? しかしあいつは小さいはずであり、こいつは画面をびっしりと覆い尽くすほどにデカい。


 と、とにかく、こいつをどうにかせんことには、執筆活動ができない。でも、どうしたらいいんだ。とりあえず私は父を呼んだ。お父さんは首を傾げ、これは宇宙からの侵略者かもしれんなぁ、と言った。アホか、とも言いがたい。じゃあ私は犠牲者(予定)ということか。


「どうしたらいいの、パパ」

「とりあえず、燃やしてみよう」

「ダメだよ。データが消えちゃうよ」


 ふーむ、と悩む父は、おずおずと指を伸ばしてそいつの縁に触れた。薄く乾いたスライムとかはペリペリと剥がれるから、こいつもそうなってくれると思ったのかもしれない。けど、父の指はねちゃねちゃしたものをすくい取るだけで、剥がれてくれそうにない。


 黒点がいつしか中央に移動していた。こいつをアメーバなんて可愛い生き物と見なすなんて私はどうかしていた。だけど他に適切な言葉が思いつかなかったこともたしかだ。父さんは母さんを呼んだ。彼女はこう言った。


「もしかしたら幸運の印かもしれないわよ。ほら、善良な人間の元には妖精が現れると言うでしょ。だからそれよ」


 だとしたら厄介なことをしてくれる妖精である。私の書きかけの短編小説がデータとして入っていて、五枚くらいの短い奴だから完成したらUSBにもコピーしようと思っていたのに。もしかしたらこいつは私に書かせまいとしているのか。その小説の内容は、膨らませた途端肺にある空気余すことなく吸い取ろうとする危険な風船ガムの話だった。製菓会社としては少量の呼気で簡単に膨らむというコンセプトで販売したのだが、スポイトのゴムの袋のように膨らんでいくそれは、やがて多くの客を呼吸困難に陥らせる、という、発売前に気づけよ担当者というような内容だった。しかしご周到なことに、その商品の裏には小さく、一分以上膨らませないで下さいと書いてあった。誰が気づくんだよ、そんなん……という感じでこの表示を無視または気づかなかった客がパニックになっていくという小説だ。


 まさか、お前は私に書いて欲しくないのか。それともお前が膨らませすぎたガムなのか。私は何が何だかわからなくなって頭を抱えた。


「水でもぶっかけたらどうだ」と父。だから壊れるって。

「いっそのこと殴ったら退散するんじゃないかしら」と母。この両親は本当に私を苛つかせる。


 もう二人には出て行ってもらった。


 困った。……いや、困った、じゃねぇ。なぜ最初から気づかなかったのか。雑巾で拭き取りゃいいじゃないか。


 乾いたぱりぱりの雑巾を持ってきて、まずは画面を拭いた。拭かれることにビビってか、黒点がすぼんでいた。ごめんね、私のために死んでね。私は拭いた。拭いた。ゴシゴシゴシゴシ。……あれ、いくら拭き取っても膜が掛かったままだ。えい、ええい。取れん、取れんじゃないか。私の手はぬめぬめした液体がまとわりついていた。


 どうしよう、と思ったとき、私の手を覆い尽くしていたこいつが腕まで這ってきた。私は鳥肌が止まらなくなった。肩まで到達した。私は涙で目が一杯になった。


 思わず雑巾を取り落とした。


 しかしそこで侵蝕が止まった。私の右肩の付け根から指の先までを覆い尽くして、止まったのだ。


 私はすぐさま右手を上げた。だけどこれは自分の意志じゃない。勝手に右手が動いて、パソコンの電源を入れた。パスワードの画面が現れたが、私の右手はバチコーンとキーを叩いてパスワードを入れてしまった。違う、私の意志に反してだ。操られてるんだ。数十秒後、デスクトップが現れて、パソコンが温まりきる前にテキストを起動、操られた右手がこんな文字を打ち込んだ。


「ryousinnwo korosini ikou」


 下から、私の両腿の付け根まで奴が侵蝕してきていた。私は立ち上がらせた。……ちょ、ちょっと待てって!

 

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ウィンドウズ、アメーバ 相沢 たける @sofuto

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