枯れた花束を君へ

どろぬま

枯れた花束を君へ

 ゆっくりと目を開ける。カーテンの隙間から差し込む光が無理矢理僕を起こした。ただ昔から朝には強かったので、そこまで苦にはならなかった。

 ベットから身体を起こし、歯を磨き、身を整えた。ついでに、病衣のしわも綺麗に直した。

 一方、僕に降りかかった病は一向に治る気配がなかった。そんなことを頭の中で愚痴を言っていると、病室のドアから音がなった。ドアの向こう側から人の声が聞こえた。

「聡起きてる? 起きてるなら返事して頂戴。」

 といつも通り明るく呑気な声が聞こえた。

 どうやら母さんが来たらしい。母は現在、シングルマザーである。最近は仕事が忙しくなり週に三回、僕の見舞いにきてくれていた。僕はそんな母に感謝している。表面上には出していないが。

「起きてる。部屋に入っていいよ。」

 すると母は慎重にドアを開けた。母はそっと僕に近づいて来た。なぜか、母の様子

が普段と違っていた。いつもなら、豪快にドアを開け、大きな声で返事をするのに。

僕には母が弱っているように見えた。

「母さん、大丈夫? なんか元気なさそうだけど。」

「大丈夫。昨日、仕事が夜遅くまで続いて疲れてるだけだから。」

 と哀愁漂う声色をしていた。

「そういえば、聡。いつもの、これあげる。」

 と母は話の話題をすり替え、私に蜜柑をくれた。なぜ蜜柑なのかは未だに分からないが母曰く、蜜柑は思春期の肌によく効くとの事。

 ただ、僕はこの蜜柑の味を気に入っていた。

 ほんのり甘く、後味には強い酸味が残る。現代社会を風刺しているような味だ。

「あ、もう一つ聡に渡すものがあった。」

と母は言い糸電話を渡してきた。

「この糸電話、聡宛てに送られてきたらしいわよ。でも差出人が不明で看護師さんが困惑してた。」

 どうせ、誰かの悪ふざけだろう。前も同じような事があった。空のペットボトルを送られてきて驚いた事があった。犯人は見舞いにきてくれたクラスメイトの奴らだったが。またアイツらの仕業かと、少し笑みをこぼしながら糸電話を、手に取って耳にあてた。

「あと……で……屋上に……来て……。」

糸電話から、か細い声が聞こえた。正直驚いた。まさかここまで仕込んで来ると思わなかった。しかし、糸電話をよく観察してみても仕掛けなんて無かった。次に僕を襲ったのは恐怖だった。

「母さん。この糸電話変だ。何かおかしい。話相手がいないのに、声が聞こえるんだ。」

「まさか。そんな事はありえないないはずよ」

 母は恐る恐る耳に、糸電話をあてた。すると、母は口を開け唖然としていた。少しの間、沈黙が続いた。この沈黙を切り裂いたのは母の泪と悲鳴だった。

「母さん。どうしたの? 急に泣き出して。」

 情報量が少なすぎて、理解が追い付かなかった。何故、母は泣いているのだろうか。この糸電話は何だろうか。すると、母は口を開き信じ難い事を言葉に表した。

「ごめなさい。私、あなたがここまで追い詰られてるとは思わなかった。辛かったね。でも、もうあなたを手放さないから。」

 僕は母に抱きしめられていた。そして、母はさらにとんでもない爆弾を落としてきた。

「聡。もうあなたは半年しか生きれないのよだからッ……もう誰も失いたくないの……。」

 衝撃的な告白だった。すると母は正気に戻ったのか、反省していた。天然な母の事だ。思わず口が滑ってしまったのだろう。きっと、僕にバレないようにしていたはずだ。今日の様子がおかしかったのこれが理由だと確信した。そんな母を気に掛ける言葉が見つからなかった。少し考えこむ。

「良いよ。気にしないで。それよりも糸電話から何か聞こえなかった。」

「聞こえなかった。ってなんであんたはそんなに冷静なの。だから幻聴なんて聞こえ

るんじゃないの。」

 と少し笑い声が混じっていた。確かに、驚いた。しかし、薄々気づいていた。もう

治る事のない病だろうと。この病院に来てもう三ヶ月が経つ。そういう事だ。だから

毎日、密かに日記を書いている。実際に死を告げられると、人間は案外冷静だ。いや

僕が例外すぎるだけだとおもうが。

「まぁ母さんに気を遣ってるだけだから。裏で泣くよ。」

「なによ。裏で泣くって。たまには私に甘えてもいいんじゃないの。」

 と母は息子の愛に飢えている様子だった。とは言え、他愛のない会話が出来なくなると思うと寂しく思う。そしていつしか思い通りに身体が動かなくなるのだろう。なら今の内に親孝行をしようと心の中で決心した。

「所で母さん、何か飲み物いる。今から買いに行くけど。」

「私もついていく。」

「母さんは休んでて。仕事で疲れているんだから。」

 と母は渋々了承させた。そして自動販売機がある病院の屋上へ向かった。その道行でで僕は自分の死について深く考えはしなかった。むしろあの奇妙な糸電話の正体が、気になってしょうがなかった。そんな事を頭の中で反芻させていた。気が付くと私は、屋上に着いていた。屋上には誰もいなかった。ここは穴場なので、滅多に人を見かける事もない。そのような理由があって、ここに来ると落ち着く。他にも、ここから見える街並みが最高に美しい。特に、夕方の景色は、何回見ても飽きなかった。

 感傷に浸りながら、僕は自動販売機に五百円玉を入れた。母にはコーヒーを買い

僕はみかんジュースを買おうとした。しかしみかんジュースは既に完売していた。僕は深いため息をついた。最終的には、コーヒーをだけを持って病室に戻ろうとした。その時、後ろから声がした。

「残念でしたね。みかんジュースが無くて。」

「そうなんですよ。ほんと運がないんですよね…… ってえ?。」

 と反射的に返事をしてしまった。十秒くらい考え、ようやく脳に血流が回り出した気がした。その間、彼女は口元を手に当て、吹き出すのを耐えているように見えた。よほど、僕の姿が間抜けに見えたらしい。そんな彼女の声は今にも消えそうなくらい透き通っていて儚かった。

「あの、良かったら私が買ったみかんジュース要りますか?」

 と彼女は言った。みかんジュースは欲しかったが、問題はそこではない。まず、なぜ彼女はいきなり現れたのだろうか。そして、どのタイミングから僕を観察してたのだろうか。

「いえ、結構です。その代わりと言ってはなんですが、あなたの名前を教えてくれませんか?」

 取り敢えず名前を聞いてみる。

「神楽茜です。よろしくお願いします。」

 神楽茜。どこか聞こえた覚えがある。つい最近だった気がしなくもない。冷静になって改めて彼女の方を向いてみるとそこには桃源郷が広がっていた。黒いボブの髪に、大きな瞳。はっきりと二重が表現されていた。肌は白く、小柄である。それでいて出るところは出ていて、引っ込むところは引っ込んでいる。着こなした病衣からあふれ出す色気は只者ではない。街で見かけたら、三度見くらいしそうな美貌である。

 一目惚れというのを短い人生だが、初めてしてしまいそうだ。というよりも、もうしている。

「僕は、青野聡といいます。よろしくお願いします。」

 緊張で声が裏返った。

「あはは。君面白いね。敬語使わなくてもいいかな、聡くん。」

 と茶化された。悪くない気分である。

「全然かまいませんよ。むしろご褒美です。」

 と彼女の方を向く。すぐさま困惑している様子だった。申し訳ない事をしてしまった。

 とりあえず、会話を続かせるために、こちらから話しかけた。

「そういえば、茜さん。なぜ、ここの屋上にいたのですか? ここに来る人なんて滅多にいないんですけど。」

「そうだなー。強いて言うなら、とある人を待っていたって所かな。」

 からかわれるように言われた。彼女の笑顔が眩しかった。東の方から徐々に昇り始めてきた陽にも、劣らないくらい。とある人。一体どんな人なのだろうか。さぞかし素敵な人だろう。少しだけ、残念な気持ちになった。

「なるほど。僕はここから見える街の眺めが好きでよく、この場所に足を運んでいます。」

 ついつい、話したくなってしまった。すると彼女から、意外な言葉がこぼれた。

「私も、君と同じ理由でここによく訪れる。今年の夏にあった花火大会凄かったよね。」

 確かに。あの光景を超えるものは二度とないだろう。この地域では年に一回花火が

打ちあがる。流石にその日だけは、屋上が人であふれていた記憶ある。ただ、この出

来事も、もう一カ月前のことになる。

「実は、私の言ってたとある人と出会ったのもその時だったの。」

「一体どんな出会い方をしたのですか?」

 気になったので、質問した。答えによっては、とある人とやらを恨む事になるだろ

う。すると、彼女の顔がだんだんと赤く染まっていった。それは成熟したリンゴと同

等、もしくはそれ以上あった。真っ白な肌と赤色のコントラストが映えていた。

「実は私、そのとある人と話した事もないの。一目惚れじゃないよ。それに、彼は変な人だった。それが第一印象って感じかな。」

 彼女は、視線を下に向け右手の指の間と左の指の間を組んでいた。そして、恥ずか

しそうにこちらを見上げた。僕も、なぜか恥ずかしくなってしまい自然と目を逸らし

しまった。

「でも彼、本当は優しくて、家族思いで友人の事も自分大切にしている。そんな人な

の。一緒に過ごしていく内に、そう思ったんだー。まぁ、変な人なんだけどね。」

 彼女は、口元に手を当て横目で僕を見つめてきた。次こそは、目を逸らさぬように

意識しながら、彼女を見つめ返した。そして、僕は今世紀最大のキメ顔を決めた。

 今度は、彼女の方が目を逸らしてしまった。彼女は僕に背を向けた。彼女の体が小

刻みに震えていた。それほど、僕の顔がイケていたのだろう。すると、急に彼女の体

が静止した。穏やかな風が吹いた。

 それと同時に彼女は勢いよく僕の方を振り向いた。彼女は頬を引っ張り満面の笑みを浮かべた。艶やかな髪は風に流さた。髪も風に抵抗をしている様子はなく自然に靡いていた。僕の中で雷に打たれたような衝撃が走った。これは一種の災害と言っても過言ではない。今、この光景を目に焼きつけたい。

「ちょっと何か言ってよ。あと、そんなにじろじろ見ないで。」

「あ、すみません。あまりにも綺麗だったので。」

「そ……そっか。」

 またしても、顔が赤くなっていた。その赤色は耳まで行き届いていた。

「あと、なんでこんな事したんですか。」

「えっと……。にらめっこしてたんでしょ?」

 どうやら、ここまでの一連の流れをにらめっこと勘違いしていたらしい。やはり、この人天然なのかもしれない。しかし、これも悪くない。

「違いますよ。だけど、とても良い物を見る事が出来ました。ありがとうございます!」

「ちょっと何言ってるの。」

 その声には笑いが混じっている気がした。そんな彼女は僕の扱い方に慣れてきていた様子だった。

「それでは、一旦僕は病室に戻ります。」

「えー。仕方ないなぁ。はい、これ。話してくれたお礼。」

 心なしかその声は、寂しそうだった。そして、彼女は僕にみかんジュースをくれた。みかんジュースは冷え切っていた。あとで、じっくり飲む事にしよう。それよりも、僕もお礼を返す必要があるだろう。何をお礼にすればいいのか迷った。そこで、閃いた。僕は、思いっきり手を挙げた。そして、手を顔に近づけ指で頬をつまんだ。力強く頬を緩ませ、大きく目を開く。この状態で彼女を方を向いた。

 彼女は僕の顔を見て大きく笑った。そこで彼女に僕は煽り口調こう言った。

「茜さん。にらめっこは僕の勝ちですね。」

 少し間があいた。彼女は悔しがっている様子だった。謎の優越感に浸っていると、彼女が一歩づつ僕の歩みよってきた。気づけば、お互いの肩がぶつかりそうなくらい至近距離にいた。そして彼女が息を吸う音が耳元で聞こえた。

「そのとある人っていうのは君の事なんだけどね。」

 最後に爆弾を送りつけてきた。前言撤回。これは負けを認めざるを得なかった。悔しいが。ただ、この言葉は、僕にとって嬉しい告白だった。これが、相思相愛なんだという事に気が付いた。心が満たされていく。多分この言葉だけで、一生分のアドレナリンを使える自信があった。もう、我慢できない。僕の気持ちを一秒でも早く伝えたい。覚悟を決めるしかない。そうして大きく息を吸い、目を瞑った。

「僕も茜さんの事が……。」

 目を開く。そして、彼女の方を向こうとした。

 しかし、そこには誰もいなかった。

「聡。何してるの。あなた、飲み物買いに行ってもう、大分経っているわよ。遅いから、様子を見に来てみたらずっと独り言いって。」

「独り言? 母さん何を言ってるの。屋上に来る途中すれ違ったでしょ? 美人でスタイルが良いお姉さんと。」

「あんた……本当に大丈夫? そんな人いるわけないでしょ。あ、もしかして私の事? ならそうかもしれないわね。」

 母は笑っていた。嘘だ。そんなわけない。今までの事が、全部幻だなんて。きっと冗談に決まっている。そうだ。今手元には、みかんジュースが残っている。これが幻じゃない事の証明だ。そうして、僕はみかんジュースを強く握った。

「聡。早く戻ろう。ここは寒いから。」

 僕は、この現実を受け入れられなかった。身体からどんどん力が抜けていく。握りしめていたみかんジュースが地面に落ちた。足の力も抜けていく。体勢が崩れていく。それと同時に僕の心も崩れ落ちていた。

「ちょっと聡。何してるの。」

 僕はその場に倒れた。屋上の床は冷たかった。すると、母はこちらに背を向け姿勢を低くしていた。

「しょうがない子ね。本当に。はい……」

 僕は、肩に手を掛けた。母の背中に乗った。今おんぶをされている。恥ずかしさすらそこには、無かった。ただただ、温もりだけを感じていた。

「もう私も歳なんだから。聡、何があったのか知らないけど、悩みがあるなら言ってよね。もう、あなたに世話を焼ける時間は限られてるのよ。」

 母には、頭が上がらない。心の中を見透かされていた。

「母さん、いつもありがとう。」

 小さくつぶいた。母はその言葉を聞いて驚いていた。母も体勢を崩しそうになっていた。

その後、しばらく沈黙が続いた。僕たちは、着実と病室へと歩を進めていた。その間、僕は神楽茜という単語が反芻していた。

「母さん。神楽茜さんって知ってる?」

 ついつい、言葉に表してしまった。それを聞いた母は身体を大きく揺らした。空気が重くなった気がした。

「知ってるわよ。」

「なんで知っているの?」

 そう僕が問いただすときには、僕たちは既に病室の前に立っていた。

「前、この病院で一回会って話した事があったの。明るく元気な子で別嬪さんだったわ。」

 全くその通りある。そうすると、母は強く唇を噛んだ。

「でも、彼女……もうこの世にはいないのよ。」

 その言葉を聞いた瞬間、時が止まったように感じた。既にいない。どういう事なんだ。ならなんで、僕は彼女と出会う事が出来たんだ。

「母さん。嘘だよな。冗談だろ? 俺確かに見たんだよ。」

 興奮して、口調が荒々しくなった。母は困惑している様子だった。

「冗談じゃないわよ。もう、彼女はいない。」

 と険しい声で言い返された。この状況を受け入れる事が出来ない。拒絶している。僕は母の背中から飛び降りた。彼女は、きっとここにいるのだろう。そう思い、期待と力を込めて病室のドアをこじ開けた。そこには僕にとっての希望そのものがあった。神楽茜は神々しさを放ち、確かにそこにいた。

 彼女は、僕に向けてからかうような軽い笑いを送りつけてきた。僕の身体中は安堵感で染み渡っていた。

 急に睡魔が僕に襲ってきた。過度なストレスから解放されたせいだろう。ベットへと向かう気力すら僕には無かった。僕は、膝から崩れ落ち、床に寝ころんだ。薄く淡い意識の中で母が駆け寄ってくる足音が聞こえた。段々と五感が働く事を辞めた。そして僕は、ゆっくりと目を瞑った。そして深い眠りに就く。

 ゆっくりと目を開けた。カーテンから通り抜けてくる青い光が、僕を叩き起こした。

 長い間、眠っていた気がする。どのくらいだろう。一秒……一分……一時間……一日……。いや半年ぐらいか。体感そのくらい眠っていた気がする。長い夢を見ていた気がしなくもない。

 身体を起こし、それ同時に胃が強く収縮しているのを感じた。次の瞬間、僕のお腹が大きな音を鳴らした。なんて、強欲な腹だ。仕方ないので、机に置いてあった蜜柑を手にとった。蜜柑の皮を、赤子を扱うのと同じくらい丁寧に剥いていった。そして、口に放り込んだ。いつもよりも、酸味の主張が激しく甘味が徐々に、広がっていく。これは人生の苦楽を表しているように感じた。

「やっと、起きたね。聡くん。」

 と聴き慣れた声が聞こえた。

「茜さん、姿を現すなら言ってください。毎回、びっくりするんですから。」

「えへへ。」

 舌を少し出していた。あざとい。そう思いつつも、彼女の掌の上で踊らされていた。でも、本望なので問題はひとつもない。そんな彼女がいつもより鮮明に見えた。

「茜さん、すみません。ちょっと日記をとってくれませんか?」

「分かった。はい、これ。気になったんだけど、なんで毎日それ見てるの?」

「記憶力が悪くなってきたんです。あらゆる記憶が曖昧になっていてですね。」

 それだけじゃない身体の節々が痛くなってきた。正直声を発する事すらも辛くなっていた。そして、僕は日記を開いた。一ページずつ、じっくり舐めまわすように見た。そこには、彼女との馴れ初めが記されていた。ぺージを進めていくと彼女の正体が綴られていた。掠れた記憶の中で、この事だけは、ダイアモンドのように光を放っていた。彼女は、俗に言う幽霊だった。当時の僕は、さぞ驚いた事だろう。なら、何故僕が彼女を視認できるのか。多分、愛の力という奴だろう。いや、本当の事を言えば、僕の死期が近づいてきたからだと思う。その証拠として一日を経るたびに、彼女がより明瞭に映っていった。彼女を横目で眺めながら、ページを進める。彼女はそれに気づき、ウィンクしてきた。僕は、動揺しながら、日記へと再び視線を送った。

 どうやら僕は茜さんの事を、母に話したらしい。驚く事に、母はあっさり彼女の存在を受け入れてくれた。母曰く、息子の言った事を信じられない母親は母親失格との事。暴論だ。でも、僕はこの暴論に救われた。現在、母は茜さんの姿を見る事は出来ないものの、《糸電話》を用いて会話ができるようになった。最初の内は、僕が仲介人として母と彼女の会話を支えていたが。どんどん、日記を読み進める。やっと、最後のページまで読み終えた。そして、僕はペンを手に取った。そして今日抱いた感情や、起きた事を淡々と綴った。気づけば真っ白だった紙が黒で埋め尽くされていた。文字を起こしていく最中に気づいたのだが、今日の分でこの日記を使いきってしまう。そのくらいこの日記を使い倒したと考えれば、光栄な事だ。生まれてこの型ノートを使いきった事なんて無い。そのためか、余計この日記帳に愛着が沸いた。そっと、日記帳を閉じ机には置かずに、病衣のポケットの中にに入れた。

「やっと読み終わったね。それにしても君の書く文は、見てて本当にドキドキするよ。」

 彼女が目を鋭くし、呟いた。彼女は生前、この病院に入院していたらしい。入院中は暇を潰すため、読書を趣味としてたとの事。そんな彼女の死因はおそらく僕と同じだろう。それでも、彼女が幽霊になった経緯は未だに彼女の口からは語られていない。

「そう言われると日記を書いた甲斐がありましたよ。本来、日記は誰もが密かに書く物ですが。」

 仮に日記を隠したとしても、彼女にはバレてしまう。そんな事を思っていると、急に睡魔が襲ってきた。長い事、寝ていたつもりだったが。

「ねぇ、聡くん。あれしようよ。」

 大きな声で言われたので、眠気が吹きとんでしまった。

「あれって何ですか?」

「あれだよ、あれ。何だっけな? あ、思い出した。そうそう、伝言ゲームやろうよ。」

 いや、二人で伝言ゲームってどうやるんだ。

 すると、彼女は意気揚々と《糸電話》を持ってきた。一体彼女何をする気なのだろうか。

「はい、これ耳にあてて。」

 そういって彼女は、《糸電話》の片方の紙コップを渡してきた。すると、彼女は紙コップを耳にあてた。

「え? 僕のターンから始まるんですか?」

「うん。まぁ質問でもなんでも良いから何か言ってみてよ。」

 伝言ゲームの意味を履き違えている。加えて無茶振りが酷い。

「それでは。何故あの時僕に対して《糸電話》を送ってきたんですか?」

 僕は紙コップを口にあて、そう言った。

「それは、君が私の存在を知って欲しかったからだよ。それと、今の君の境遇と生前の私の境遇が非常に似ている。だから、私は君に目を掛けていたの。」

「そうですか。」

 彼女の顔が少しだけ、曇っているように見えた。

「それじゃ、次は私の番ね。聡くん。君死ぬ事 を怖いと思う?」

 場の空気が一気に重くなった。僕は、黙りこんだ。死ぬ事か。怖いと言えば嘘になるだろう。でも、この世に未練はない。もう十分色んな物をみんなから貰った。母からは、無償の愛と《蜜柑》を貰った。友人からは、たくさんの友情と《空のペットボトル》を貰った。そして、彼女からは、愛情と《茜》を貰った。さぞ、高価だったろうに。いや、ペットボトルは、ただの悪戯だが。自意識過剰かも知れないが、みんな僕を事を思ってくれている。仮に未練があるとするならば、みんなに何も還元する事が出来なかった。あと、僕がいなくなった後の母さんの生活が心配だ。それだけが心残りである。また、眠たくなってきた。

「怖いですよ。でも、病気のおかげで僕って幸せ者だなという事に気づけたんで。」

 彼女の顔が晴れた気がした。

「そっか。じゃ次聡くんの番ね。」

 彼女の声が晴れていたような気がする。何を言おうか。迷う。

そうして手に持っていた《糸電話》を見つめた。この《糸電話》がなければ、彼女とも出会う事が出来なかったかもしれない。僕は手に力をこめて、《糸電話》を強く握った。間もなく彼女に伝える言葉を決めた。

「茜さん。○○だ。あと……。」

 僕は、あの時屋上で言えなかった言葉とあの言葉を彼女へ送った。それを聞いた彼女は最初は、顔を赤く染めた。次の一瞬で、顔が青ざめていった。そして、目を見開き口を手で覆い隠した。最後には、聖母マリアのような包容力のある笑顔で僕を癒してくれた。彼女は既に経験しているか、僕の言った言葉の意味を直ぐに理解してくれた。段々と瞼が閉じていく。視界が疎かになってく。

「茜さん。これを母さんに渡しといて。」

 彼女は素直に聞き入れてくれた。僕は彼女に《コーヒー》と《みかんジュース》を渡した。僕は、ポケットの中から、《日記帳》を取り出して彼女に渡した。気づくと僕の瞼が半分くらい閉じていた。

 そして僕はベットの上で横たわる。身体中が痛い。でもあと少しでこの痛みもなくなるだろう。そして、強く握りしめていた《糸電話》を胸の上にそっと置いた。既に、瞼が四分の三落ちていた。淡い意識の中で彼女がこれまでで見てきた中で一番良い笑顔浮かべていた。もう少しだ。そして、彼女は穏やかな声でこう言った。

「おやすみ、聡くん。また、向こう側で逢おうね。」

 僕は口元を緩くし、口角を少しだけ上げて笑った。みんな、おやすみなさい。

 僕は、静かに目を閉じた。

                            完

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