君だけは


ショウ



「いや、特段好きな色はないが」
 



 面を変えてから数週間が経ち夏が近づいた頃、ハルに桃色が好きなのかと聞かれた。

 
この頃になると脇芽の摘み方くらいは聞かなくても分かるようになったらしい。
 



「桃色の花が多いから好きなんだと思ってた」
 



 ほらあれも、と零れ落ちそうな程実った百日紅を指差した。改めて言われてみればそうかもしれない。単純に花は桃色が多いというだけだが。
 



「君は好きな色があるのか?」


「俺はね〜、青色!」


 
膝を抱え土をいじりながらハルが言う。



「ショウくんは海を見たことがある?」


 ない。素直にそう答える。


 海は写真でしか見たことがない。白黒の紙切れでは何も分からなかった。昔読んだ本によると水がどこまでも広がっているらしい。


「俺もないんだけど、海って青いんだよ!空みたいな透明の青色がキラキラ揺れてるんだって」
 



「いつかショウくんと一緒に見たいな」
 



 ハルが空を見上げた。

 今日の空は雲ひとつない快晴で面が邪魔だと思うくらい日が強い。日光を反射させるハルの瞳はこの上なく煌めいた。


 
私はその横顔を見ていた。目を惹く長い睫毛。幼さが見える丸い鼻先。太陽に透かされる雀斑。きゅうっと眩しそうに上がった口角。

 私が外出を嫌うこと。海が何処にあるか知らないこと。探すあてすら私達にはないこと。全て分かった上で“いつか”と言ったのか。




 ならばここに青い花を咲かせよう。その花で埋まった庭を海と呼ぼう。
 



 ハルの花を作ろう。


 そう決めてからは迷いがなかった。

 昼はハルと庭仕事をして夜は一人で交配による品種改良を重ねた。

 夏が過ぎ秋になり冬も終わって、また春が来てもその生活を続けた。花に青い色素を出すというのは非常に難しく、それが希少である理由を痛感した。


 
時偶ハルが思い出したかのように薬学生の振りをしたり、弟の話をしてくれたり。ハルによると家では面倒見の良い兄をしているらしいが、想像つかないな。
 



 これまで他人を憎んで生きていたことを忘れてしまう程柔らかい時間が流れた。


 幸福を形にしたような日々だった。

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