花が咲く頃、君に
風鈴
伝えたいことがある。
依田青
明日はクラス分けの試験があることを伝えると生徒達の顔が強ばった。
四月から高校三年生の彼らにとってこれがどれだけ大事で怖いことか、四年も教師をしてたら痛いほど分かる。
「じゃあ今日はちゃんと食べて、早く寝て明日に備えるように」
以上です。出席簿と教科書をトントンとまとめると生徒の一人が号令をかける。生徒と礼をし合って教室を出た。俺の背中を見届けた教室からは落胆の声が漏れる。
「あおくんばいばい!」
「先生」
「はーい。あおくん先生じゃあね!」
「はい、また明日。気を付けて」
廊下ですれ違う生徒と挨拶を交わす。俺が手を振ると彼女は隣にいた友達と顔を見合わせてキャッキャ楽しそうに飛び跳ねた。
あおくんか。俺はアオじゃなくて、ショウなんだが。
他の先生には敬語を使ってあだ名で呼ぶなんてしないのに。若いって良いな。俺も随分舐められたもんだ。
建付けが悪い数学準備室の扉を開ける。 埃と花粉が混じったむず痒い空気が外に溢れた。
生徒達はこの部屋を依田城と呼んでいるらしい。 ここは俺が来るまで誰も使っておらず埃の吹き溜まりのような荒んだ部屋だった。今も俺以外使う人は誰もいない。
ギイと軋むワーキングチェアに腰掛けコーヒーに口を付ける。香り漂う空気で溜息をつくこの瞬間が癒しだったりする。
職員室ではこんなにくつろげないし、確かに俺の城かもしれない。
椅子を回して窓の外に目をやる。
ここからちょうどよく見える裏庭の花壇に青い花がめいっぱい咲いていた。
あれは確かネモフィラ、だったかな。
清掃員の方と何を植えたらいいかという話になって俺がリクエストしたやつ。
品種はよく知らないけどここから見えるものは青い花が良い、そう言った。 青い花に特別な思い出がある訳ではない。まぁ、名前が青だから自然と青色を好むのはあるだろうな。
何故か青い花が一面に広がる景色をいつも探しているようで、その景色をみると「あぁ、やっと」そんな言葉が頭に浮かぶ。その次に続くのは必ず、「見せてあげたい」。
全て潜在的で無意識的。
自分が忘れているだけで幼い頃何かあったのだろうか。今度帰省した時聞いてみよう。
コンコンと控えめなノックに振り向く。
どうぞと返事をすれば滑りの悪い扉をなだめるようにゆっくり扉が開いた。
「失礼します。二年三組、内海です。あ、あの…か、課題を」
「ありがとう。もらうよ」
タンポポの綿毛のように風で遠くに飛んでいってしまいそうな声で内海は言った。俺が手を差し出しながら腰を浮かすとおそるおそる、そんな風に歩き出す。
明るい人気者。そんな言葉が似合う生徒だ。彼の周りにはいつも自然と人が集まる。
クラスで何かを決める時話が脱線しかけたらスっと声をかけて流れを戻してくれる。周りがよく見えているし教師とか結構向いてるんじゃないかな。
前に出て引っ張るタイプではないが空気をまとめるのが上手い。
高校生にしてはしっかりしていて、自分の担当クラスに一人いてくれたら助かる生徒。実際去年俺も担任をして凄く助けられた。 ただどうやら俺のことが苦手らしい。
校内ですれ違った時声をかけると毎回肩を跳ねさせ、小さく会釈。身を縮め隠れるようにそそくさとどこか行ってしまう。目を合わせて挨拶を返してくれたことは思いつく限りない。
授業はいつも真剣に聞いてくれるし分からないところはちゃんと質問しに来る。成績も良い。
生徒それぞれに考えはあるだろう。皆一人の人間だから好き嫌いもある。それに対して何か言うつもりはない。
でもこの子は数学の担当が俺でやりにくいと感じてるかもしれない。俺じゃなかったらもっと伸びてたのでは…。教育者として少し考えるところはある。
内海から課題のプリントを受け取る。厚みが他と違う。
三組はいつも提出率が高い。いや、毎回全員出してくれてるのか。提出が遅れたことはないしここまで持って来てくれるのは…。そうか、去年も…
「いつもありがとう。皆に課題出すように言ってくれて。内海みたいな子がいてくれると本当助かるよ」
そう伝えると内海は耳を真っ赤にした。手の甲で口元を隠し目を逸らす。もたつくように後退りをした。
「いや、えっと…俺はただ、っ失礼します!」
静かな登場とは対象的に内海はドタバタと慌てて小走りで部屋を出た。
褒められ慣れてないのか。意外だ。パタパタと廊下に響く足音が遠のく。
▽
登場人物メモ
依田青(よだしょう)
高校教師。数学担当。28~30歳。好きな先生ランキング殿堂入り。
内海春希(うつみはるき)
高校二年生。元依田の担当クラス生徒。
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