君を追いかけて銀河鉄道に。

風親

君を追いかけて銀河鉄道に。前編

 いつも通りの朝……のはずだった。

「申し訳ございません。現在メンテナンス中です。しばらくお休みくださイ」

 女性の声がした。

 流暢なので最初気が付かなかったけれど、合成音声らしいと最後の変なイントネーションで気がついた。

(スマホから? スマホは?)

 僕はいつもスマホを置いてある枕の横に手を伸ばしたけれど見当たらなかった。

「どこにいった。……そう言えば、今週から期末テストだよな」 

 嫌なことを思い出しながら、僕は諦めてベッドの中で毛布から這い出す決意をした。

「む?」

 思わず独り言が口から飛び出てしまうくらいベッドの中の時点で違和感があった。

 まず、ベッドが違う。明らかにいつもより大きくふんわりとした弾力がある。

 シーツも毛布も妙に綺麗で高級な感じがする。

「なんだこの部屋?」

 毛布を振り払うと、部屋は部屋で違和感だらけだった。

 豪華なホテルか金持ちのお屋敷の中だろうかという、豪華で綺麗な部屋だったけれど、それにしてはちょっとばかり狭い気がする。

 それよりも重要なことを僕は考える。

 もちろん、旅行に出た記憶はない。豪華な洋館に住んでいる友達もいない。

 これは、もしかして、誘拐されてしまったのだろうかと心配になるのは当然だろう。

「……天井が妙にカーブしてる?」

 僕はもう一度、ベッドに大の字になって寝てみた。普段だったら、ベッドから手や足がはみ出てしまう角度でもはみ出ないくらいにはベッドも大きい。

 そして、視線の先にはいつもの見慣れた白い天井ではなくて、木を組み合わせたアーチ状の天井があった。

「高い……そして何でこんなアーチ状?」

 ガタンゴトン。

 定期的に変な振動だけがあることに気がついてしまった。

「いや、まさかね……」

 僕はやっと決意して、ベッドから降りると勢いよく窓のカーテンを開けた。

 眩しい光が入ってくると外の景色が流れていく。

 樹が右から左へと飛んでいくように見えた。

「やっぱりここは……」

 僕がそう思った瞬間に、後ろで部屋の入り口の扉が自動ですーっと開いて誰かが入ってきた。

「そう。ここは寝台列車の中なのよ」

 僕は振り返ると、そこには見知った顔が立っていた。

 幼馴染みの有栖一香だった。

 そう、三日前に消えた彼女だった。


「なんでそんな幽霊でも見たような顔をしているの?」

 セーラー服姿で肩までの綺麗な黒髪をかき上げながら一香はそう言って笑みを浮かべた。

 これは幽霊なりの冗談だろうか。

 一瞬、そんな勘ぐりをしたけれど、まあ、そう言うわけでもなさそうだと思い真っ直ぐに向かいあう。

 今更だけれど、こんな状況になってみるとうちの学校の古風なセーラー服ってちょっと怖いなと思った。

「そのドアって鍵とかないの?」

「無いみたいね。近づいたら、自動で開いたわ」

「へえ、この部屋に僕がいることをなんで知っていたの?」

 僕がいることに驚いた様子もなかったのが不思議だったので、聞いてみたけれど、とても簡単な単純な答えが返ってきた。

「夜中に一度、この部屋に入ったから。見知った顔がいてくれて嬉しかったの。あなたなんかでも」

 余計な一言を言わなければ、クラスでもトップの美人なのになあ。

 残念に思ったけれど、少なくとも僕を呪うためにやってきた幽霊というわけではなさそうなので、ちょっと安心していた。

「まあ、まずは着替えたらどう?」

 完全に寝巻き姿の僕を見ながら、呆れたようにそう言って笑った。こう言う時の笑う表情は昔のままだなと少し安心していた。



「一香、この列車はどこに向かっているの?」

「私が知りたいわ」

 にべも無い返事だった。

「とりあえず、僕たちは今、どこに向かっているの?」

「生きるために必要なことよ」

 そっけなくそう言いながら、一香は僕の前をすたすたと歩いていく。右側は大きな窓で、のどかな田園風景が流れていく。左側は、客室らしい部屋が並んでいるのだけれど、僕たち以外の人は見当たらなかった。

 ドアを開けて、次の車両に移動すると少し広い空間になっていた。

 窓際に幾つかのテーブルが並び、バーのカウンターらしきものが奥にはあった。

「食堂車だね」

「そうね。多分、そう」

 どう見ても食堂車なのに、一香は何だか煮え切らない答えだった。

 お腹も空いていたし、まあ、食堂車なら、料理する人とか給仕してくれる人とかいるから話が聞けるのでは無いかと期待して、軽やかに中へと足を踏みいれた。

「食べたいものは、ここで選ぶの」

「え?」

 カウンターまで歩いて行った一香は、大きな自動販売機らしきものを指差した。

「食券式なの?」

 何となく高級感に欠けてちょっと残念と思いながら、カウンターの方に近づいた。少なくとも販売のお姉さんとかいるものでは無いのだろうかと思う。

 まあ、食堂車のある列車なんて乗ったことがなかったから、僕の勝手な思い込みで今の時代はこれが普通なのかもしれない。

「食券っていうかね……」

 説明するのが面倒に思ったのか、一香は実演してみせてくれた。メニューのボタンを押すと、すぐに数十秒後には自動販売機らしきものの下から料理が出てきた。

「へ、へえ」

 恐る恐る僕も真似して見ると、暖かそうなカレーライスが出てきて感動してしまう。

 僕たちはトレーを抱えて窓際のテーブルに座った。

「何? 朝からカレーライス?」

「あ、何となく選んじゃった」

 深く考えずに、想像しやすい食べ物を選んだだけだった。

「そういえば、小さい頃から大好きだったわよね」

 そう言いながら、一香は笑顔を浮かべていた。こんな風に話すのはいつ以来だろうと思いながら、僕もつられて笑顔になる。

 列車は森の中を駆け抜けているようだった。時々、木々が途切れると雄大な大地が広がって見えた。

 素晴らしい景色なのだけれど、それはそれで別の心配ができてしまう。

「なんか、日本の景色じゃなさそうなんだけれど……」

「……そうね」

 一香は何か言いかけたけれど、まだ言わないでおこうとでもいうように軽く頷くだけだった。

「ねえ、この先って行けないの?」

 僕は深く考えることをやめて指差した。食堂車の先頭はカウンター席になっていて、扉が見当たらない。

「そうね。行けないわ」

 パンを食べ終わった一香は、無表情でそう答えた。

「へ、へえ」

「あ、後ろの方にはお風呂があるのよ。列車の中なのに、立派な湯船がちゃんとあってすごいの。この後、案内してあげる」

「今から入れたりするの?」

「多分ね。いつの間にか、綺麗になって、ちゃんと湯が張ってあるの」

「ねえ……もしかして……」

 僕は聞きたくなかったけれど、さすがにもう聞かないわけにはいかなかった。

「この列車って、僕たち以外は誰もいないの?」

「うっ」

 気がつかれてしまったかとでもいうように、一香は目を一瞬伏せた。

「そうね、ここに来てから三日ほど、誰にも会っていないわ」

 覚悟はしていたけれど、一香のその言葉は僕を絶望させるのには充分だった。

「まあ、そんなわけで、北斗なんかでも、来てくれて嬉しいわ」

 久しぶりに、一香が僕を名前で呼んでくれた気がする。


「この車両は、まるまる娯楽室だってアシスタントのアイちゃんが言っていたわ」

 後ろの車両へと移動すると、そこには食堂車と同様に車両まるごと広い空間になっていて、その中にビリヤード台やダーツやルーレットがおいてあった。

「アイちゃん?」

「ベッドにあったでしょ? AIアシスタント。AIだからアイちゃん」

「ああ、起きた時の声?  なんかメンテ中とか言っていたような……」

 すでに誰かと連絡していたのかと期待したけれど、残念ながら違うようで肩を落とした。

 その間に、一香は僕の話を聞かずに部屋の中へと一人で先に入っていった。

「どう? すごいでしょ?」

 振り返るとまるで自分が用意した設備であるかのように、自慢しながら案内してくれる一香だった。

「でも、一人でやっても全然楽しくなかったわ」

「そりゃ、そうだね」

「そういうわけで勝負よ。全然、ルールは分からないけれど」

 ビリヤードのキューを手に取った一香は小学生の時と同じような笑顔で、僕に挑戦してきた。


 映画を見られる車両に、まるごとお風呂とサウナのある車両。

 僕たちは、一日中満喫すると夕食を食べに食堂車へと戻ってきた。まるで小学生の時のように二人で遊んで、疲れ切っていた。

「いいお湯だったわ」

 湯上がりで暖かそうに見える一香は、制服ではなくて少しラフなGパンとシャツ姿になっていた。浴衣や寝間着ほどではなかったけれど、体つきがかなり分かる服装だったので、二人きりの部屋の中で見るとこれは小学生の時とはかなり違うと思って直視できなかった。

「すっかり夜だね」

 僕たちは、窓際のテーブルで向かい合って食事をしていた。僕も夜はなんて読むのかも良くわからないような料理を選んでその美味しさに感激していた。

「星が綺麗ね」

 飛ぶように流れていく地上の景色に反して、星たちは天空にとどまってずっと僕たちの視界にいてくれていた。

「そうだね。なんか綺麗すぎる気もするけれど……」

 星が随分とはっきりと見えている気がしてしまう。地面の方は真っ暗なのでこれはまるで星の中を運行しているみたいだった。

「そう……ね」

 一香もそう言いながら頷いたけれど、しばらく僕たちの間には沈黙があった。

 これは聞いていいことなのだろうかとお互いに考えている。なんとなくそれは分かった。

「あ」

「あの」

 僕たちは同時に勇気を出して、声を発した。

「どうぞ。お先に」

 一香が手のひらを広げて、譲ってくれていた。

「あー、いや、そのー。この列車って、駅とかつかないんだね……」

 もっと聞きたいことがあったと思うのに、まず口から出てきたのはそんな疑問だった。

「そう……ね。三日前から、この列車はどこにも停車していないわ」

 一香は楽しい時間は終わったとでもいうように、冷たい声でそう話した。

「三日間、外から見える景色もおそらく同じね」

「もしかして、これは映像を流しているだけ?」

 僕は窓に触れてみる。正直なところ触ったところで何も分かりはしないけれど、ほのかに温かみを感じていた。

 実際に走っている列車なら、もっと冷たくてもいいのではと思う。

「どうかしらね」

 それだけをいうと一香は、またしばらく僕の目をじっと見ながら、黙ってしまっていた。

「ねえ……」

 やっと一香は切り出した。彼女らしくもなく、怯えた目で僕を見ている気がした。

「もしかして、私って川で溺れていたりする?」

 それが『銀河鉄道の夜』の内容に例えて言っているのだと理解するまでに、しばらくの時間がかかった。

「なんでそんなことを思うの?」

「この列車が空に向かって登る景色を見たの。夢でも幻でもない……ないと思う」

 突拍子もない話なので、一香も最後の方はちょっと自信なさげに言っていたけれど、思い当たるところがあるようだった。

「そんな……」

 反射的に否定しようとしたけれど、そんな事を言って何になるのかと思い直す。そう、僕の方にも思い当たることがあるのだ。

「……そう……かもしれない。実は僕は、三日ほど一香に会っていない」

「そっか。そうなのか……。私、死んじゃったのかな」

 ちょっと悲しそうだったけれど、覚悟していたことなのか。吹っ切れたかのように笑顔を浮かべていた。

(でも……)

 悲しさを押し殺して強がっている一香を見ながら思う。

(そうだとすれば、僕は?)

 僕も死んでいることにならないだろうか。

「まあ、でも最後に北斗と話せてよかった」

 テーブルの上で、僕の手に一香は自分の手を重ねてきた。

「別に最後って決まったわけじゃないだろう……」

 その言葉に、一香は何も答えてはくれなかった。

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