空挺騎士は眠らない
狼子 由
1.死にたがりの空挺騎士
ある研究室で
当然、人が集まれば揉め事が起きる。犯罪も生まれる。
地に足のつかない高さで発生する諸問題を、迅速に解決する組織が帝国首都:浮遊都市ラグセリエン内で必要とされたのは当然の帰結である。
こうして作られたのが、帝都超高高度機動特務憲兵隊だ。
昼夜を問わず、超高高度で発生するあらゆるトラブル解決を担う彼らのことを、人々は
●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
無人の駐輪場を、風が吹き抜けていった。
僕は
下は、地面すら見えない超高高度。
宙に浮いた駐輪場の床には、半永久的な宙空浮遊式が刻み込まれ、一定周期で光を放っている。
騎馬のサイドミラーを覗くと、紫の瞳が二つ、覗き返してくる。
薄い金の髪と全体に線の細い容姿は、正直、自分ではあまり気に入っていない。
細身で女性的に見えるせいか、よく口説かれるからだ――男に。同性に。それも、女性と間違われて。
できるだけ控えめに目立たないようにしているのに、心外なことだ。
彼らにすれば、僕の外見の中ではやはり瞳が目を引くのだろうか。時には「菫のよう」だとか「紫水晶に似た」なんて気味の悪い表現をされたりする。
とは言え、そこまで近寄ってこられたらまあ、返り討ちにするだけだけど。
だが、それでも憲兵隊。だからこその憲兵隊だ。
隊のモットーは「目には両目を、犯罪には鉄槌を」である。
見くびられたなら、倍で返す。甘く見られては、秩序の守護者を担うことができない。
髪を後ろに撫でつけ、少しでも迫力を出せないか思案する。
ああでもないこうでもないと試行錯誤しているうちに、ピ、と耳元で電子音が鳴った。
『――クラウス、準備はいいか?
「はい」
繋がった通信の相手は、我らが青薔薇騎士団の隊長、エクリュ氏だ。
その穏やかだが耳に響く声に応え、僕は騎馬――愛機リグレットにまたがった。
ハンドルを握る手のひらから理力を流し込み、宙空浮遊式を起動する。
理力をエネルギー源として
『予定通り、東南のディープブルー域で落ち合うぞ』
「了解です」
直後、僕は手首をひねってアクセルを開けた。
後ろにおいて行かれるような感覚を背中に引きずりながら、駐輪場の角から宙へ飛び出した。
林立する鏡張りのビルは著しく細長い。建物というより、まるで地面に突き刺さる剣の群れだ。その隙間をすり抜け、無規則に浮かぶ建物の底部を、頭上すれすれにかいくぐる。
理力は満タン。宙空浮遊式は絶好調。
看板を避けるため宙返りしながら、微かにアクセルを戻してギアを上げると、身体が後ろに吹っ飛びそうな速度でリグレットは応えてくれた。
道しるべもガードレールも――道路さえない空中を、僕とリグレットは一体となって自由に舞う。
集合時間には余裕がある。スピードさえ上げれば、少しばかり遠回りしても問題ないはずだ。
進行方向を直線からずらし、必要以上の障害物を連続回転で避けた。
なんのためかと聞かれたら、この瞬間のためだって僕は答える。
帝国でただひとつ、なんの規制もなく空を飛べる職業――空挺騎士団に入った理由。
まあ、人前で堂々と言えることじゃ、とてもないけど。
あと、もう一つ、これもあんまり口に出せない理由があるんだけど。
合流までの短い時間に風の匂いを存分に楽しんでいたら、再びピ、と通信音が鳴った。呆れた声が耳に入る。
『おーい、遊んでんじゃねーぞぉ。仕事だ仕事、遅れるなよ。エクリュがせっかく追い込んできてるんだ』
「わかってます」
笑みを含んだ艶のある低音に、僕はため息をついた。
副隊長のシィラン。エクリュ隊長が真面目一本の分、副隊長は少し遊びのある人物を選んだ――という風に世間からは見えるらしい。
僕から言えば、ちょっと遊び過ぎだと思う。色々な面で。
返答とともに一方的に通信を切って、今度こそまっすぐ合流地点へ向かうことにした。
シィランも悪い人間ではないけど、エクリュ隊長と違って、僕の仮面が通じないから困る。
職務に忠実で民に慈悲深い、王女殿下に忠誠を誓う優等生。
理想の空挺騎士。
そんな姿を装っているはずなのに、この世でただ二人だけ、欺瞞を見破る人間がいる。
一人はシィラン。
もう一人は――
思い出しかけたところで、前方二時の方角に、騎馬を駆る人影をみとめた。
それを正面に捉え、僕はアクセルを全開まで開ける。最高速で飛べば、周囲の光景は雨のように流れてく。
喜びと興奮で胸が高まる。まるで恋してるみたいに。
キューピッドの矢が狙う先、正面にいるのが今夜のターゲット――超高高度犯罪者だ。
あいつを落としたい。僕の手で。今すぐに。
僕は、片手を離し脇のホルスターから理力銃を引き抜く。
理力を込めて発した弾は二発――光の帯を引きながら飛んだ弾は、どちらも外れ。まあ、最初から威嚇なんだけど。
バックミラー越しの視線で、ターゲットが近づく僕とリグレットを補足したとわかった。ヤツは慌てて九時の方角へハンドルを切る。
『――おいクラウス、この馬鹿、撃ちやがったな! お前は待ち伏せ係だって言ったろ?』
「すみません、向こうに見つけられてしまったので」
『まーた適当言って。追い立て役がやりたくて、自分から見つけられに行ったくせに』
シィランときたら妙に鋭い。こういうところが苦手だ。
マイクに入らない大きさで舌打ちした直後、エクリュ隊長の通信が入り込んできた。
『二人ともやめろ、喧嘩している場合じゃない』
『そりゃそうだが』
『そもそもシィランの動きが遅かったのも悪いだろう。作戦変更、クラウスはそのままヤツを追え。待ち伏せは俺がする』
『え、おれのせい? そりゃないでしょ、エクリュ』
「……了解」
始まった上司二人のやりとりを放置して、僕は前方のターゲットを追った。
ビルの壁で膝を擦るまで車体を倒し、スピードを維持したままの急転回。
『合流するぞ。5、4、3……』
カウントゼロは肉声で聞こえた。
同じタイミングで、前方のターゲットが急ブレーキをかける。真横から飛び出したエクリュ隊長と彼の愛機を避けようとして。
理力のコントロールを失い、ターゲットの車体が倒れる。停止した宙空浮遊式は力を失い、落下しかけた。
犯罪者とは言え、落とすのはまずい。
とっさに理力を込め、落ちる身体を掴もうとして――次の瞬間、背筋に悪寒をおぼえた。
振り返った先、ビルの屋上に僕を狙う銃口が、確かにきらりと光った気がする。
「クラウス! 危ない」
射線を遮るようにシィランが車体を割り込ませて来たが、もう遅い。
僕が銃口に気付くとほぼ同時に、リグレットのどてっぱらがひどい破壊音を立てて抉られた。
「……うわっ!?」
放り出された僕の身体は、超高高度からまっすぐに落ちていく。
ヘルメット越しに見開かれたエクリュの目も、差し伸べられたシィランの手も間に合わない。
嫌な浮遊感で、胃がぎゅうと掴み上げられるような感触。
思わず目を閉じる。
次の瞬間、腰のベルトを掴まれて、そこを起点にぎしりと軋んだ身体の落下が止まった。
「ぐっ……セーフ……かな?」
「セーフなものか、愚か者め。俺が間に合わなければ危なかったぞ」
真上から皮肉な声が降ってくる。
その声には確かに聞き覚えがあるから、見る前から顔をしかめてしまった。
帝都超高高度機動特務憲兵隊第二隊――通称、
他隊の隊長とは言え、僕とはあいにく顔見知りである。本当に遺憾なことだが。
なので、口調もうっかり砕けようというものだ。本当は怒鳴りつけてさっさと追い払いたいところを我慢しているのだから褒めてほしい。
「あのね、ロイ。ここは僕らの区域だよ。なんで君がここにいるの。君の担当区域は隣だろ」
「ただの移動中だ。ちょうど署に帰ろうとしておったときに、間抜けが空中に放り出されるのを見かけたっていうだけさ。ま、そういうことを言うならこのまま手を離してしまってもいいが」
ニヤニヤと笑う顔は、ひどく整っている分、より邪悪に見える。
長めの黒髪を後ろにくくり、その先は風に揺れるままに任せている。黒い後光のように広がる髪を背景に、ロイはその赤い瞳で僕を見下ろした。
「さて、助けてやった礼はないのか? 幼馴染殿」
「やめろ、小さい頃よく遊んでた――いや、何度か遊んだことがあるってだけだ。僕らは階級も違うだろ。幼馴染なんて呼んだら害を受けるのは君の方だ、侯爵閣下の三男坊」
相手に合わせて、僕もいやみったらしく返してやる。
ロイは赤い瞳をすっと細め、黙って僕のベルトから手を離した。
「――ねぇ、言ったからってほんとに離す、普通!?」
などと悪態をつきつつも、僕は腹からリグレットに着地する。
さすがにこれだけ時間をもらえれば、理力をコントロールして真下に愛機を呼ぶくらいのことはできる。
ロイが手を離したのも、それを確認したからだろう。そつのないヤツだ、苛立たしいことに。
リグレットの上で身体をひねり、頭上を見上げた。
ぷいとよそを向くロイと彼の機体、そしてその向こうに心配そうな顔で下降してくるシィランとエクリュ隊長の姿が見える。
「……幼馴染を幼馴染と呼んで、なにが悪い」
「いやぁ、ロイ隊長。助かりましたよぉ。うちのポンコツクラウスを助け――っと」
話しかけるシィランを無視して、ロイはアクセルを回した。
上司たちの脇をすり抜け署へ向かうロイの姿は、すぐに小さくなっていく。
「相変わらずだねぇ、あの人も。ヴェンデッタの子たち、隊長がすぐいなくなっちゃうって頭抱えてたよ」
「やめろ、シィラン。よその隊の事情に口を出すな――大丈夫か、クラウス?」
シィランを叱責してから、エクリュ隊長はヘルメットを外した。
青みがかった渋い銀の髪がさらさらと流れ落ち、琥珀色の瞳が僕をまっすぐに見る。高い鼻梁と切れ長の目は印象的で、どこか色っぽい。
異性に――というか、他人にあんまり興味がないので、その色気を使うところがあんまりないのが残念ではあるか。
その様子を見て、ふと気づく。
そう言えばロイ――あいつ、またヘルメットもつけずに飛んでやがる。
超高高度は、生身で落ちれば間違いなく死ぬ高さだ。その落下の衝撃を、理力を使って最大限に和らげるのがヘルメットでありボディギアの数々なのに。
僕は、隊長たちに見えないようにこっそりとため息をついた。
――だから、僕はあいつが嫌いだ。
僕が欲しいものをなにもかも持ってて、なのに、そのどれにも頓着しない死にたがり野郎が。
あんなヤツ、幼馴染でも好きでもなんでもない。
だけど、あいつを生かしておくのが、僕の当面の目標である。
……そのためにあいつを追って空挺騎士団に入った、なんて、正直あんまり口に出したくないんだけど。
とは言え、まずは。
――下を見る。
落ちて行ったターゲットの姿は、様子すらうかがえない。
――上を見る。
僕を狙った銃口は、既に姿を消していた。
ターゲットは捕縛した。事件は解決した。
だが――どうにも、きな臭いあれこれが残っているらしい。
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