二章 第三話
1
フラムの執務室はいつも通り、落ち着く紅茶の香りがしていた。もっともその主は相変わらず油断ならない謎の少女だが。
ハガネはファントムに襲われた後、頭を修理してから、ここに来た。
ミウとアイリスは念のため、自宅に返してたった一人でだ。
そんなハガネに、椅子に座ったままフラムが静かに声を掛けてきた。
「あら。頭はすっかり元通りね」
「貴方はいつも、なんでも知っている」
「私の領で起こったことだもの。知っていて当然だと思わない?」
フラムはいけしゃあしゃあと言ってきた。
だがハガネは偶然を信じない。自分と似た姿のファントムが、いきなり自分の元に現れた。彼女の所有する自由領域。そこで訓練をしている時にだ。
おそらく彼女は何か知っている。ハガネでなくともそう思うだろう。
しかしここで問い糾したところでそう簡単に吐くとも思えない。
そこでハガネは少し婉曲に、フラムから聞き出そうと試みた。
「ではその件は一旦置いておく。代わりに一つ疑問があるのだが」
「なにかしら? 聞くだけは聞いてあげる」
「貴方は何故ワタシにアイリスを? ワタシの過去を貴方は知っている。適任だと思えるはずがない」
ハガネはアイリスについて尋ねた。
するとフラムは小さく微笑んで、その後姿勢を崩して応える。
「アイリスは貴方に懐いているわ。私は適任だと思うけれど」
「まともな環境で育っていない、ワタシのチームが適しているのか?」
「そう。だからこそ最適と言えるの。貴方ならあの子を大切にする。事実、そうしていると思うけど?」
「痛みしか知らないワタシが、か?」
「ええ。痛みを知っている人間は、少なくとも気にかけるものだから」
フラムは余裕を崩さない。
しかし問題はここからだ。
「何故ワタシにそこまで執着する? ワタシは一兵士だ。その力も、突出しているとは思わない」
ビーハイヴも気にしていたことだ。特に際だった存在でもないハガネを何故そこまで気にかけるか。
それを聞くとフラムは頬杖を、着いてハガネに説明し始めた。
無論全てでは無かったが。
「じゃあ少しだけ説明してあげる。ファントムを撃退したご褒美よ」
フラムは悪戯っぽく微笑んだ。
「このセプティカはウォーリアを選別、育成するための場所でもあるわ。そのために仕組みもいくつかあるの。貴方はまだわからないでしょうけど」
「その仕組みとは?」
「例えばポイントね。転生してからの時間経過で、低レベルでは得にくくなっていく。強いファントムを倒す事でしか、やがて生活が成り立たなくなる」
「今のところその兆候は無いが?」
「通常は年単位で起こるもの。貴方が気づけないのも無理ないわ」
フラムはそこまで言うと珍しく椅子を発って、ハガネの前に飛んだ。
そしてハガネの顎に手を当てて、浮かびながらハガネに語りかける。
「でも私にはそれでは足りないの。貴方にはもっと早く確実に、力強くなって貰わないとね」
フラムはそのままハガネの頬を、撫でると離れてまた話しだした。
「そのために先生を用意したわ。彼から貴方達は学びなさい」
「それがフラム、貴方の目的か?」
「どうかしら? ポイントを持ってくれば、教えてあげないこともないけれど」
「生憎ワタシの財布は空だ。稼ぐ技術もまだ足りていないが」
「なら私の仕事を受けなさい。大丈夫。先生は良い子だから、優しくトレーニングしてくれるわ」
今のハガネには手札が足りない。当然、選択肢も限られる。
情報を得るどころか取引を、断る権利すらハガネには無い。
「了解した。詳細な内容はメッセージで転送して欲しい」
ハガネは言うと回れ右をして、テレポーターで自室へと急いだ。
「保護者も大変ね」
「貴方が言うか」
最後に一つ、文句だけ残して。
2
ハガネが自宅に戻るとそこには新しい部屋が出来ていた。壁だった場所にドアが現れた。ハガネにとってはただそれだけだが。
向こうはフラムが約束していたアイリスの所謂寝室である。彼女のプライベートルームなのでハガネが中に入ることは無い。
もっとも部屋の主のアイリスには用件があるハガネだったのだが。
丁度リビングのテーブルで、お茶をしていたミウとそのアイリス。
ハガネが彼女達に近づくと、ミウの方から声を掛けてきた。
「どうでした? フラム様の返事は?」
「だめだ。暖簾に腕押しと言うのか。新たな取引は提示されたが」
二人の表情はとても柔和だ。アイリスは無表情だがそれでも仲良くなったことはうかがえた。
一方ハガネの方はと言えば、おそらく険しい顔になっている。勿論ハガネに表情があれば、そうなっていると言う話だが。
ハガネにはどうしてもアイリスと、話さなければならないことがある。ずっと引っかかっては居たのだが、フラムとの会話で決心をした。
立ち入るべきではない領域に、立ち入ろうとしているかも知れない。しかしハガネはチームのリーダーだ。そして彼女の保護者も兼ねている。
故にハガネは意を決して聞いた。
「それよりアイリスに、話がある。君の生い立ちをワタシは聞きたい。君を預かっている者としてだ」
ハガネは彼女を戦わせている。
それでも尚保護者というのならば、ハガネは彼女を理解するべきだ。
その真剣さを察したのだろう。ミウは自室に戻るために直ぐに、お茶も放置して椅子から立った。
もっともアイリスには止められたが。
「あ、じゃあ私席を外しますね」
「いていいよ」
アイリスはそう言うと、ミウの服の端っこを持っていた。
居て良いと言うよりは居て欲しい。そう言う意思表示をしたのだろう
「じゃあ……はなす」
そしてミウが座ると語られた。アイリスが何故この場所に来たのか。
つまりこの年齢で死んだ理由。そして魔法が扱える理由を。
3
アイリスは深い森の中に在るバレイラという都市に住んでいた。正確には切り開かれた場所に、建設された石造りの街だ。苔むし蔦の這った祭壇が、その悠久の歴史を物語る。住民は百か二百かと言った、現代からすれば小規模な都市。
そこに生まれ暮らしていたアイリス。その本名はナナネ・ウイと言った。
幼い頃に父を亡くしたため母のメグ・ウイと二人の暮らし。しかし街の人々は暖かくなんの問題も無く暮らしていた。
ナナネが六つになった年。新たなる巫女に選ばれるまでは。
巫女は祭壇での儀式によって五年に一度一人が選ばれる。選ばれた巫女及びその家族は、とても特別な待遇を受ける。
巫女は特別な装束を纏い祭壇で森に祈りを捧げる。また魔法を扱う訓練も、専属の教師に叩き込まれる。同性の特別な教師にだ。
その反面森の意思を聞く者。巫女として大切に扱われる。次の五年目まで何も無ければ。
鬱屈とした曇天の下ナナネはいつものように──祈っていた。碑の前に跪き目を閉じて、森の意思と交信を試みる。
地球のそれとは違い本当に、魔法的な意味を持った儀式だ。暫くすると碑が光り輝きナナネの意識に語りかけてくる。
ナナネはそれを伝えるために、光が収まると立ち上がって言った。側に居た老婆である町長に。
「あまねくもりのいしをうけました」
「それでは恵の巫女アイリス様。アイリス・ネアの意思を分け与え、我らにも道をお示しくだされ」
「アイリス・ネアはのぞんでおられます。ユール・ネアのぎしきのかいさいを」
ナナネがそう伝えた瞬間に、町長はかっと目を見開いた。それに杖をついた手は震えだし、一瞬倒れそうなほどふらつく。
ユール・ネアの儀式とはなんなのか? 彼女はそれを知っているのだろう。
一方ナナネは儀式を知らない。巫女に選ばれアイリスと呼ばれて様々な知識を教え込まれた。しかしそんな儀式の名前すら、ナナネは全く聞いたことが無い。
「確かにうけたまわりました故、巫女様は一度ご帰宅くだされ。儀式の準備はお任せを。それと今日から護衛を増やします。巫女様の御身第一ですので」
哀しいような怒っているような判別しがたい表情で、老婆は言った後頭を下げた。
ナナネはそれに疑問を抱きつつ、言われたとおり護衛と帰宅した。
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その日──ナナネから話を聞いた母親は膝を突き泣き崩れた。
そしてナナネを強く抱きしめた。理由も説明せずにひたすらに。
ナナネはそんな母親の様子を、見て窮屈な手で抱きしめ返す。まるで母親と子供の立場が逆転したような光景だった。
4
それから一週間後。まだ朝日が大地の中で眠る頃。
ナナネは暗い暗い森の中に、町長と二人きりで立っていた。
遂に儀式の日がやって来たのだ。前夜は彼女を送り出すために盛大なる祭りが開かれた。ナナネの好物に美しい歌。彼女の旅を祝福するために。
そしてナナネはまだ日の明けぬ内、この場所に老婆と共に来たのだ。
「巫女様。よろしかったのですか? お母様とお別れをしなくとも」
「おかあさん、なくから。ひつようない」
「なるほど。巫女様は、強いですな」
老婆はナナネの返事を聞くと、強く哀しそうに顔をしかめた。
しかし彼女もここに来た以上、ナナネと同じ腹をくくっている。
「ではこのランタンをお持ちください」
左手につり下げたランタンを、老婆はナナネに向けて差し出した。
本来透明であるべきガラス。そこが緑がかった特注品。持ち手を含め凝った装飾からそれが儀式的な物だとわかる。
「これは、ユール・ネアのランタンです。巫女はこれを持ち森の中に在る、聖域へと一人で向かいます」
「どっち?」
「ランタンが指し示します。そのランタンに巫女様の魔力を……」
ナナネは老婆に言われるがままにランタンを持って魔力を注いだ。
すると緑色の光があふれ、半透明の石畳を見せる。
「その導きに従い聖域へ。そこでアノ言葉を唱えるのです」
「わかった」
ナナネは説明を聞くと、直ぐさま石畳へと歩き出す。
しかしそれを老婆が引き留めた。
「お待ちを」
「なに?」
「私は数十年、この地の町長を……務めました」
「しってる」
「この儀式を行う度、これで最後にするべきだと思う」
老婆はナナネに懺悔した。或いは吐露したと言うべきだろう。
腹をくくったとは思っていてもやはり良心は自由に出来ない。
「巫女の命を森の意思に返し、その力で緑を栄えさせる。例え効果が絶大だとしても。例えそれが森の意思だとしても。幼子の命を利用するのは、善の道に背くのではないかと」
老婆は言ったが今この場に居る。つまり彼女も解ってはいるのだ。
儀式が最善ではないにしても、行わざるをえないルールだと。
「だいじょうぶ。もりのいしにかえるだけ」
「ですな。余計なことを言いました」
背を向け再び歩き出すナナネ。
彼女の背に老婆は声を掛ける。
「巫女様に恵がありますように」
今度はナナネも止まらなかった。
そんな必要などはなかったから。
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そこからナナネは一人で歩いた。
時に魔物と出くわしては倒し。時に巫女の遺品を目にしながら。
そして、空が白み始めた頃。ナナネは遂にその場所を見つけた。
少し開けた場所に立てられた、白い石製の小さな台座。本物の石畳の中心に、蔦の這ったそれは鎮座していた。巫女の体に丁度合うような、可愛らしいサイズの白い台座。
ナナネは石畳の上を歩き、手に持つランタンを台座に置いた。
そうすべきと解っていたからだ。森の意思は巫女を導いている。
そしてナナネは両の手を合わせて、目を閉じ祈りながら呟いた。
「アイリス・ネア・ファル・マ・ユール・ノーア」
巫女しか知らない秘密の呪文。
すると儀式は遂に完成し、ナナネの体が輝きに染まる。
ナナネの袖の先、足の先、そしてナナネの先端部分から──ナナネが金色の粒子となって空中にフワフワと溶けていく。ランタンや身につけた衣装もだ。彼女はこの森によって選ばれ、森の意思と同化して消えるのだ。
その命で森は力を増して、その恵を生きる者に与える。
事実周囲の緑は輝いて、種は芽吹き直ぐさま花を咲かす。
やがて朝日が全てを照らす頃、ナナネは跡形もなく消えていた。
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