二章 第三話



 フラムの執務室はいつも通り、落ち着く紅茶の香りがしていた。もっともその主は相変わらず油断ならない謎の少女だが。

 ハガネはファントムに襲われた後、頭を修理してから、ここに来た。

 ミウとアイリスは念のため、自宅に返してたった一人でだ。

 そんなハガネに、椅子に座ったままフラムが静かに声を掛けてきた。


「あら。頭はすっかり元通りね」

「貴方はいつも、なんでも知っている」

「私の領で起こったことだもの。知っていて当然だと思わない?」


 フラムはいけしゃあしゃあと言ってきた。

 だがハガネは偶然を信じない。自分と似た姿のファントムが、いきなり自分の元に現れた。彼女の所有する自由領域。そこで訓練をしている時にだ。

 おそらく彼女は何か知っている。ハガネでなくともそう思うだろう。

 しかしここで問い糾したところでそう簡単に吐くとも思えない。

 そこでハガネは少し婉曲に、フラムから聞き出そうと試みた。


「ではその件は一旦置いておく。代わりに一つ疑問があるのだが」

「なにかしら? 聞くだけは聞いてあげる」

「貴方は何故ワタシにアイリスを? ワタシの過去を貴方は知っている。適任だと思えるはずがない」


 ハガネはアイリスについて尋ねた。

 するとフラムは小さく微笑んで、その後姿勢を崩して応える。


「アイリスは貴方に懐いているわ。私は適任だと思うけれど」

「まともな環境で育っていない、ワタシのチームが適しているのか?」

「そう。だからこそ最適と言えるの。貴方ならあの子を大切にする。事実、そうしていると思うけど?」

「痛みしか知らないワタシが、か?」

「ええ。痛みを知っている人間は、少なくとも気にかけるものだから」


 フラムは余裕を崩さない。

 しかし問題はここからだ。


「何故ワタシにそこまで執着する? ワタシは一兵士だ。その力も、突出しているとは思わない」


 ビーハイヴも気にしていたことだ。特に際だった存在でもないハガネを何故そこまで気にかけるか。

 それを聞くとフラムは頬杖を、着いてハガネに説明し始めた。

 無論全てでは無かったが。


「じゃあ少しだけ説明してあげる。ファントムを撃退したご褒美よ」


 フラムは悪戯っぽく微笑んだ。


「このセプティカはウォーリアを選別、育成するための場所でもあるわ。そのために仕組みもいくつかあるの。貴方はまだわからないでしょうけど」

「その仕組みとは?」

「例えばポイントね。転生してからの時間経過で、低レベルでは得にくくなっていく。強いファントムを倒す事でしか、やがて生活が成り立たなくなる」

「今のところその兆候は無いが?」

「通常は年単位で起こるもの。貴方が気づけないのも無理ないわ」


 フラムはそこまで言うと珍しく椅子を発って、ハガネの前に飛んだ。

 そしてハガネの顎に手を当てて、浮かびながらハガネに語りかける。


「でも私にはそれでは足りないの。貴方にはもっと早く確実に、力強くなって貰わないとね」


 フラムはそのままハガネの頬を、撫でると離れてまた話しだした。


「そのために先生を用意したわ。彼から貴方達は学びなさい」

「それがフラム、貴方の目的か?」

「どうかしら? ポイントを持ってくれば、教えてあげないこともないけれど」

「生憎ワタシの財布は空だ。稼ぐ技術もまだ足りていないが」

「なら私の仕事を受けなさい。大丈夫。先生は良い子だから、優しくトレーニングしてくれるわ」


 今のハガネには手札が足りない。当然、選択肢も限られる。

 情報を得るどころか取引を、断る権利すらハガネには無い。


「了解した。詳細な内容はメッセージで転送して欲しい」


 ハガネは言うと回れ右をして、テレポーターで自室へと急いだ。


「保護者も大変ね」

「貴方が言うか」


 最後に一つ、文句だけ残して。



 ハガネが自宅に戻るとそこには新しい部屋が出来ていた。壁だった場所にドアが現れた。ハガネにとってはただそれだけだが。

 向こうはフラムが約束していたアイリスの所謂寝室である。彼女のプライベートルームなのでハガネが中に入ることは無い。

 もっとも部屋の主のアイリスには用件があるハガネだったのだが。


 丁度リビングのテーブルで、お茶をしていたミウとそのアイリス。

 ハガネが彼女達に近づくと、ミウの方から声を掛けてきた。


「どうでした? フラム様の返事は?」

「だめだ。暖簾に腕押しと言うのか。新たな取引は提示されたが」


 二人の表情はとても柔和だ。アイリスは無表情だがそれでも仲良くなったことはうかがえた。

 一方ハガネの方はと言えば、おそらく険しい顔になっている。勿論ハガネに表情があれば、そうなっていると言う話だが。


 ハガネにはどうしてもアイリスと、話さなければならないことがある。ずっと引っかかっては居たのだが、フラムとの会話で決心をした。

 立ち入るべきではない領域に、立ち入ろうとしているかも知れない。しかしハガネはチームのリーダーだ。そして彼女の保護者も兼ねている。

 故にハガネは意を決して聞いた。


「それよりアイリスに、話がある。君の生い立ちをワタシは聞きたい。君を預かっている者としてだ」


 ハガネは彼女を戦わせている。

 それでも尚保護者というのならば、ハガネは彼女を理解するべきだ。

 その真剣さを察したのだろう。ミウは自室に戻るために直ぐに、お茶も放置して椅子から立った。

 もっともアイリスには止められたが。


「あ、じゃあ私席を外しますね」

「いていいよ」


 アイリスはそう言うと、ミウの服の端っこを持っていた。

 居て良いと言うよりは居て欲しい。そう言う意思表示をしたのだろう


「じゃあ……はなす」


 そしてミウが座ると語られた。アイリスが何故この場所に来たのか。

 つまりこの年齢で死んだ理由。そして魔法が扱える理由を。



 アイリスは深い森の中に在るバレイラという都市に住んでいた。正確には切り開かれた場所に、建設された石造りの街だ。苔むし蔦の這った祭壇が、その悠久の歴史を物語る。住民は百か二百かと言った、現代からすれば小規模な都市。


 そこに生まれ暮らしていたアイリス。その本名はナナネ・ウイと言った。

 幼い頃に父を亡くしたため母のメグ・ウイと二人の暮らし。しかし街の人々は暖かくなんの問題も無く暮らしていた。

 ナナネが六つになった年。新たなる巫女に選ばれるまでは。


 巫女は祭壇での儀式によって五年に一度一人が選ばれる。選ばれた巫女及びその家族は、とても特別な待遇を受ける。

 巫女は特別な装束を纏い祭壇で森に祈りを捧げる。また魔法を扱う訓練も、専属の教師に叩き込まれる。同性の特別な教師にだ。

 その反面森の意思を聞く者。巫女として大切に扱われる。次の五年目まで何も無ければ。


 鬱屈とした曇天の下ナナネはいつものように──祈っていた。碑の前に跪き目を閉じて、森の意思と交信を試みる。

 地球のそれとは違い本当に、魔法的な意味を持った儀式だ。暫くすると碑が光り輝きナナネの意識に語りかけてくる。

 ナナネはそれを伝えるために、光が収まると立ち上がって言った。側に居た老婆である町長に。


「あまねくもりのいしをうけました」

「それでは恵の巫女アイリス様。アイリス・ネアの意思を分け与え、我らにも道をお示しくだされ」

「アイリス・ネアはのぞんでおられます。ユール・ネアのぎしきのかいさいを」


 ナナネがそう伝えた瞬間に、町長はかっと目を見開いた。それに杖をついた手は震えだし、一瞬倒れそうなほどふらつく。

 ユール・ネアの儀式とはなんなのか? 彼女はそれを知っているのだろう。

 一方ナナネは儀式を知らない。巫女に選ばれアイリスと呼ばれて様々な知識を教え込まれた。しかしそんな儀式の名前すら、ナナネは全く聞いたことが無い。


「確かにうけたまわりました故、巫女様は一度ご帰宅くだされ。儀式の準備はお任せを。それと今日から護衛を増やします。巫女様の御身第一ですので」


 哀しいような怒っているような判別しがたい表情で、老婆は言った後頭を下げた。

 ナナネはそれに疑問を抱きつつ、言われたとおり護衛と帰宅した。


 ===============


 その日──ナナネから話を聞いた母親は膝を突き泣き崩れた。

 そしてナナネを強く抱きしめた。理由も説明せずにひたすらに。

 ナナネはそんな母親の様子を、見て窮屈な手で抱きしめ返す。まるで母親と子供の立場が逆転したような光景だった。



 それから一週間後。まだ朝日が大地の中で眠る頃。

 ナナネは暗い暗い森の中に、町長と二人きりで立っていた。

 遂に儀式の日がやって来たのだ。前夜は彼女を送り出すために盛大なる祭りが開かれた。ナナネの好物に美しい歌。彼女の旅を祝福するために。

 そしてナナネはまだ日の明けぬ内、この場所に老婆と共に来たのだ。


「巫女様。よろしかったのですか? お母様とお別れをしなくとも」

「おかあさん、なくから。ひつようない」

「なるほど。巫女様は、強いですな」


 老婆はナナネの返事を聞くと、強く哀しそうに顔をしかめた。

 しかし彼女もここに来た以上、ナナネと同じ腹をくくっている。


「ではこのランタンをお持ちください」


 左手につり下げたランタンを、老婆はナナネに向けて差し出した。

 本来透明であるべきガラス。そこが緑がかった特注品。持ち手を含め凝った装飾からそれが儀式的な物だとわかる。


「これは、ユール・ネアのランタンです。巫女はこれを持ち森の中に在る、聖域へと一人で向かいます」

「どっち?」

「ランタンが指し示します。そのランタンに巫女様の魔力を……」


 ナナネは老婆に言われるがままにランタンを持って魔力を注いだ。

 すると緑色の光があふれ、半透明の石畳を見せる。


「その導きに従い聖域へ。そこでアノ言葉を唱えるのです」

「わかった」


 ナナネは説明を聞くと、直ぐさま石畳へと歩き出す。

 しかしそれを老婆が引き留めた。


「お待ちを」

「なに?」

「私は数十年、この地の町長を……務めました」

「しってる」

「この儀式を行う度、これで最後にするべきだと思う」


 老婆はナナネに懺悔した。或いは吐露したと言うべきだろう。

 腹をくくったとは思っていてもやはり良心は自由に出来ない。


「巫女の命を森の意思に返し、その力で緑を栄えさせる。例え効果が絶大だとしても。例えそれが森の意思だとしても。幼子の命を利用するのは、善の道に背くのではないかと」


 老婆は言ったが今この場に居る。つまり彼女も解ってはいるのだ。

 儀式が最善ではないにしても、行わざるをえないルールだと。


「だいじょうぶ。もりのいしにかえるだけ」

「ですな。余計なことを言いました」


 背を向け再び歩き出すナナネ。

 彼女の背に老婆は声を掛ける。


「巫女様に恵がありますように」


 今度はナナネも止まらなかった。

 そんな必要などはなかったから。


 ===============


 そこからナナネは一人で歩いた。

 時に魔物と出くわしては倒し。時に巫女の遺品を目にしながら。

 そして、空が白み始めた頃。ナナネは遂にその場所を見つけた。

 少し開けた場所に立てられた、白い石製の小さな台座。本物の石畳の中心に、蔦の這ったそれは鎮座していた。巫女の体に丁度合うような、可愛らしいサイズの白い台座。


 ナナネは石畳の上を歩き、手に持つランタンを台座に置いた。

 そうすべきと解っていたからだ。森の意思は巫女を導いている。

 そしてナナネは両の手を合わせて、目を閉じ祈りながら呟いた。


「アイリス・ネア・ファル・マ・ユール・ノーア」


 巫女しか知らない秘密の呪文。

 すると儀式は遂に完成し、ナナネの体が輝きに染まる。

 ナナネの袖の先、足の先、そしてナナネの先端部分から──ナナネが金色の粒子となって空中にフワフワと溶けていく。ランタンや身につけた衣装もだ。彼女はこの森によって選ばれ、森の意思と同化して消えるのだ。

 その命で森は力を増して、その恵を生きる者に与える。


 事実周囲の緑は輝いて、種は芽吹き直ぐさま花を咲かす。

 やがて朝日が全てを照らす頃、ナナネは跡形もなく消えていた。

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