先はない
東雲
彼岸花の咲く場所で
真っ赤な世界があった。
生ぬるい風が緩やかに赤と黒を揺らし、微かに乾いた紙の音がする。
揺れている赤をじっと見つめると彼岸花だった。一面に広がる赤い世界は彼岸花の世界。そこにぽつりと黒髪の少女は立っていた。
今は彼岸の時期だっただろうか。
違う。そうではない。そもそもここはどこなのか。
こんな一面彼岸花の場所など知らない。空を見上げると霧でもあるのかぼやけて何も分からない。彼岸花の赤が反射して夕焼けよりも赤く、でも染まりきらない不可思議な色が広がっていた。
夢だろうか。答えを見つけるとすんなりと納得した。夢ならばこんな世界があってもおかしくない。それでも珍しい。こんなにはっきりとした夢を見るのは。
足下に咲いた花を指先で突いてみるとゆらゆらと揺れる。
今一度世界を見渡すが霧のようなもので見通しはきかない。赤い世界が広がるだけ。
本当に何もないのか。好奇心に宛もなく歩き出した。
彼岸花の中を歩くのは少し面倒かと思ったが見た目の赤さに対して隙間はあるのかそこまで邪魔にはならなかった。
彼岸花がぶつかる音と自身の足音がする。
なにもない夢だ。折角動けるというのに勿体無い。どうせなら何か起きないだろうか。
取り留めもないことを考えていると呼応するように風が前から吹いた。思うよりも強いもので咄嗟に目を閉じる。
突然音が増えた。乱雑な花を踏み倒す音と足音。誰かの荒れた息遣い。
思わず振り返ると二人分の後ろ姿が見えた。
「待って」
理由もなく呼び止める。
二人は振り返った。一人は凄まじい眼光で睨み付けるものだから上擦った短い悲鳴が漏れた。
人でも殺さんばかりの鋭い眼光は少女を正確に認めると即座に驚愕へ、そして不審へと色を変えていく。
「お前、何者だ?」
少女は虚をつかれた。
発された声はまだ声変わり前の少年のものなのだ。よくよく見れば背丈も高校生の少女より低い。さらに身に纏う衣服は一般的な洋風ファンタジー物で見かけるようなものでもある。
何か起きないかとは思ったが唐突過ぎる気もする。
少女が何も言わずにいると少年は焦れたように眉間にしわを寄せて睨み付ける。
「何者だと聞いている」
「マクベス、待って」
怒気すらも籠もる少年の声に重ねたのは可憐な少女の声だった。
少年の隣にいた少女。はっとするほどの美少女で、色素が薄い金髪は乱れているのにそれも気にならないほど特別な存在だと知らせる。
「突然ごめんなさい。私たち訳があって……貴方のことを教えてもらえませんか?」
儚げな美少女は申し訳無さそうな中に困惑を滲ませていた。
何かあったのかは明白だが、どうせは夢のことだと素直に答えることにした。
「私は六条宮子」
「ロクジョウミヤコ?それが名前?」
「名前だけど……」
美少女が不思議そうな顔をするものだから宮子は首を傾げる。そんなに変な名前ではないはずだ。
ふと、先程美少女は少年をマクベスと呼んでいたことに気づいた。名前の順番が日本とは違う可能性が高い。その割には言葉は通じているのは夢の世界特有のものだろう。
「宮子でいいよ」
「ミヤコね。私はアナスタシアです」
アナスタシアがそう自己紹介すると未だに険しい表情を崩さない少年を見る。
「彼はマクベス。友達です」
「見慣れない格好だが、それはお前が着慣れたものか」
少女の優しい声に反した冷たい棘のある物言いでマクベスは問う。それに自身の姿に視線を落とす。ブレザータイプの制服を着ていた。学校指定の制服だから着慣れたもので間違いない。
「そうだね。学校はこれだから着慣れたもの」
「何処の国の生まれだ」
「何処って、日本だよ」
「ニホン」
マクベスはそこまで聞いてから辺りを見渡した。先程と変わらない彼岸花の世界が広がるばかり。二人がやってきただろう先にも変わらずに花が咲き乱れている。
数呼吸分の間の後にマクベスの表情が和らいだ。
「やった……。抜け出せたんだ!あの世界から抜け出せたんだ!」
にわかに喜びを顕にしたマクベス。その表情は年齢相応のものだ。
アナスタシアも驚き、小さく笑ってみせた。
「そうなのね」
二人はそうして喜びあっている。
が、宮子だけはなんのことだが全く分からない。世界から抜け出せたとは一体なんだろうか。それに二人の名前には聞き覚えがあるような気もする。
うーんと小さく唸るとアナスタシアがはっとして申し訳無さそうに笑う。
「ごめんなさい。私たちだけで話をしていて」
「いいよ。実際私部外者だし」
「ミヤコ。ここはどういうところなんだ?赤い花しか見当たらないが」
先程よりも和らいだがそれでも険しさのある声色のマクベスに溜息を一つ吐いた。安心できる要素が増えても宮子には優しくする気はないらしい。
「分からない。こんな彼岸花だらけの場所なんて見たことない」
「ヒガンバナ?この花のこと?」
アナスタシアが視線を足下の一輪に落とす。どうやら彼岸花を見たことがないらしい。
それに対してマクベスは顎に手をやり何かを考え混んでいる様子だ。
「綺麗な花ね」
白く細い指先が赤い花弁を撫でていく。その様が絵のようで宮子は瞬いた。
美少女とはなんでも絵になるものだ。と、いっそ感心してしまう。
「ミヤコは何処からきた」
マクベスがふいに問いかけてきた。
「あっちからだけど」
宮子は自分が歩いてきた道であり、二人が向かおうとしていた方向を指差す。あいも変わらず先は不明瞭だ。
指し示された先を見たマクベスがアナスタシアの手を取る。
「まだ完全に安心できないかもしれない。今はミヤコの世界に行こう」
「そうね」
同意したアナスタシアも立ち上がり、碧玉の瞳が宮子を見つめる。
「一緒に来てもらえますか?道すがら私達のこともお話します」
遠くから乾いた音が聞こえた気がした。
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