第5話 間に合わなかった夢
私の母は佐藤一恵75歳、今、マンションのすぐ近くに去年できた北央大学真駒内病院に入院している。去年の11月に便秘で検査しに行ったら大腸がんで余命半年を宣告された。勿論、本人には言えない。
私は娘のさくら。北央大学で栄養士として働いている。
今は3月だから・・・5月か6月か・・毎日泣いている。病室に入る前には涙をきれいに拭いて化粧し直しして、笑って入る。
昨日が父の命日だった。5年になる。胆嚢がんで、随分、痛(や)んで、病室ではいつも痛い痛いと叫んでいた。先生も痛み止めをだんだん強くして・・最後は、モルヒネを打つようになった。
それで、父は天井に誰かいるとか幻想に囚われるようになり、普通の会話は殆どできなくなってきた。
宣言された余命を持ち堪え、数ヶ月くらいして、父が突然付き添っていた母と私に向かって「あ〜痛みが引いてゆく・・どうしてかなあ〜」と言う。
私とお母さんは顔を見合わせて「良かったねえ・・良くなってきたんじゃないの?」と言った。
「はははっ!」久しぶりに笑う父・・そして
「ばあか・・お迎えが来たんだよっ!・・お前達には随分と長い入院生活で迷惑掛けたなあ・・俺もさ〜痛みで苦しくてさあ・・あれこれ悪かったなあ・・やっと楽になれる・・有難うなあ・・」
お母さんも私も、言葉がでず。泣いてしまった・・
それが、父の最期の言葉になった。
母にその話をすると、「お父さん随分苦しんだからねえ〜私の夢は、ピンピンコロリだよ」
「なにそれ?・・私の夢は、中学校の時からお嫁さんになることかなあ〜」
「そう言えば、お前は、随分やんちゃな娘だったねえ・・」
「へへっ・・その節は、ご迷惑をおかけしましたっ!・・」
「ホントだよう〜あの一件が無かったら、どうなっていたか・・」
「あの夜のことね。私がいつもの夜ふかしして帰ったら、お父さんがやけに機嫌悪くって、毎日毎日!こんな遅くまで何やってんだあ!ってほっぺ叩かれた・・そしたら、お母さん、さくらに何すんのよ〜!って殴りかかって・・そうよ、それで、私は外へ飛び出した。家出のつもりで・・したら、お母さん追いかけてきたから〜全速力で逃げた、で、振り返ったら誰も居なくって、あ〜諦めて帰ったんだ〜て思ってブラブラして、3時くらいかなあ、玄関横の電信柱に隠れてた」
「そうそう、母さん一生懸命追いかけたけど、お前の足速くて、いつの間にかわけの分からないとこ走ってた・・」
「で、中に入れないでいたら・・バシャバシャ水跳ねて来る人いて、近づいて来たらお母さん・・ビックリしたわ〜あの時は・・だって、雨でずぶ濡れ、膝は転んで血を流し、服も泥だらけ、おまけに裸足・・・」
「ふふっ、だって、慌ててたから、靴はくの忘れて、どっかで、誰かとぶつかって転んだのよ〜確か・・」
「家にいると思ってたお母さんが一晩中私を探してたかと思ったら、あ〜何て私、悪いことしちゃったんだって思って、泣きながらお母さんに抱きついたのよねえ・・」
「そう、そして、帰って一緒にお風呂入って・・それからお前変わったもねえ〜」
「へへっ!反省したの・・自分何やってんだって・・」
「それから、真面目に勉強して、栄養士になるって・・・その時に夢はお嫁さんになることって聞いたのよ・・」
「そうそう、でも〜結婚したいって彼氏連れて行ったら、お母さん、一目見るなり、ダメダメッ!絶対ダメッて・・」
「それで、あなた家出ちゃって・・三ヶ月持ったかしら?・・逃げ帰って来るまで」
「へへへっ、二ヶ月半ね・・だって、浮気してたのよっ!それも結婚前から・・」
「だから、母さんがダメって言ったのに・・で、後から、彼氏が誤りに来たから、母さんが彼氏に言ってやったの、そんなにさくらが良いなら、一旦離婚して、もう一度初めから、デートに誘うとこからやり直しなさいって・・で、離婚届にはん押させたのよ」
「彼はその後一度も連絡寄越さなかった・・私の夢、儚く消えたあ〜」
「そしたら、さくらは、今、夢ないの?」
「そうねえ〜無いわねえ・・寂しい人生か?でも、お母さんいるから、一緒にまた、温泉行こう!・・それが夢かなっ!・・」
「ふふふっ、なんか直ぐ実現しそうな夢ね・・・お母さんは、・・」
「えっ、お母さんでも夢あんの?」
「あらっ!失礼ねえ〜あるわよお・・ピンピンコロリってね・・前に言った気がするけど?」
「なんじゃそりゃ???」
「ふふふ・・ないしょ・・」
「ふ〜ん、変な夢っ!」
7月が過ぎても母は元気・・余命なんて嘘なんじゃ・・と最近は思っている私。
でも、突然。
「さくら・・これまで、ありがとうねえ・・」と言い出す。
「えっ、何さ!いきなり気持ち悪い・・」
「いいの・・分かってるのお母さん・・私が、がんなの・・」
私は一瞬言葉を忘れる。
「だって、最近、お父さんが夢の中に出て来るのよ・・痛く無いか!とか、どこか具合悪くないか!とか、苦しく無いか!とか・・お母さんを心配してるんだと思う。」
「やめてよ〜あ母さん・・病気なんて治るんだからあ、温泉一緒に行くんだからあ・・わ〜あ〜・・」
「ゴメンね、さくら!お父さんが、いつでもこっち来い、俺が待っててやるから、心配ないからって・・でも、さくら!お前を捨ててゆくとかじゃないからね、大好きだからね!お母さんのさくら!だからねっ!」
私はもう、何も言えずただ、ただ、涙を流し続けた。
「お母さんねえ、夢が叶ったの・・」
「え〜、なんの?」
「ほら、ぴんぴんころりよ」
「それ、何なの?」
「全然、痛くなく、苦しくなく、死んでいけることよ・・・」
「やだあ〜お母さん!死ぬ死ぬってやだあ〜あ〜あ〜」
「だからって、今日、明日じゃないから、そんなに泣かないのっ!・・ほれほれ、もう帰って夕食じゃあないの?」
「うん、だけど、今日はお母さん変なことばっかり言うから・・」
「ゴメンごめん・・明日は言わない!約束するから!もう、帰りなさい!・さ・く・らっ・・」
そう言いながら、優しく頭を撫でられた。
私もお母さんの手をしっかり握って「また明日来るからね。休みだから朝から来るからね!」そう言って手を振る。
「さくら、待ってるわよ!」
病室を出ても涙が止まらない。
翌朝、マンションを9時にでた。玄関前まできた時電話が鳴った。
病院からだ。出ると、危篤の知らせ。
走って、病室へ・・
「お母さ〜ん!・・お母さ〜ん・・」
微かに微笑むお母さん。手を握って
「お母さん・・」
微かに握り返してくる母。私は叫んだ。
「ダメえ!〜お父さ〜ん、連れてかないでえ〜!・・まだ、お母さんを!連れてかないでよ〜・・わ〜あ〜・・」
母の手が静かに息を引き取った。
「お母さ〜ん!私の夢はどうしてくれるのよ〜」
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