運の貯め方

望月 栞

第1話

 眠気を感じ始めたとき、床が揺れた。はっとして、私を担当してくれている美容師の石川さんを鏡ごしに見た。

「地震?」

「やだ、大丈夫かな」

 私は驚いたが、すぐ収まるだろうと思った。しかし、揺れはしだいに大きくなり、目の前の鏡台も揺れ、レジ近くの棚に置かれていたトリートメントなどの美容品がいくつか落ちた。

「うそ、どうしよう」

 揺れる中で、石川さんや他のスタッフ、お客さんが慌て始める。

「大丈夫だよ、きっと。大丈夫」

 私は目の前の揺れる鏡台に不安を感じたが、椅子に座ったまま言い聞かせるように石川さんに言った。そのうち、揺れは徐々に収まっていった。

「よかったぁ。びっくりしたね」

「うん」

 石川さん達は客全員にケガがないか確認し、落ちた美容品を戻してから施術に戻った。しかし、すぐに別のスタッフが石川さんに駆け寄った。

「石川さん、水が出ません!」

 私はその言葉を聞いて固まり、石川さんは手を止めて確認しに行った。何か話しているようだったが、すぐに戻ってきて言った。

「ごめん、阿坂さん。今の地震で水が止まっちゃったみたい」

「じゃあ、これ、どうしよう」

 私の髪には縮毛矯正用の薬が全体的にベッタリと塗られていた。

「ミネラルウォーターがあるから、それを使って流すよ。ごめんね」

 私は言われるままにシャンプールームへ行き、ミネラルウォーターで薬を落としてもらった。その後は乾かし、なるべく自然なスタイルになるようセットしてもらう。鏡を見ると、私の髪はサラサラのストレートになっていた。しかし、薬の匂いがまだ残っている。

「今日出来るのはここまでだから、後日にまたやり直させて」

「はい。すみません、何か……」

「いや、謝るのはこっちよ。本当にごめんね。料金は後日でいいから」

 また来なきゃいけないのか。


 最近、ツイてない。この間も同じ総合スーパーで働く同僚がインフルエンザになって私の出勤日や勤務時間が増えてしまったし、朝早く出勤できるかと思ったら事故で電車が動かなかったり。

 ため息を吐いて、アパートの郵便受けを開けると、はがきや封筒の他にチラシが入っていた。チラシには大きな文字で「あなたは将来のための運を貯めていますか?」、「お金と同じように運も貯蓄できます」と印刷されている。

「開運系のインチキ商法か」

 私はアパートの部屋に帰ると、そのチラシをごみ箱に捨てた。


 次の日の仕事後、私は最寄り駅のそばに出来た新しいスーパーを利用して買い物をした。いつもと違う帰り道を通っていると、白い大きな建物の門にある看板に見覚えのあるうたい文句が書かれていた。

「お金と同じように運も貯蓄できます」

 私は思わず足を止めた。昨日のチラシはここのものだったのか。

 建物を見上げていると、突如後ろから声を掛けられた。

「あの、うちに何か御用でしょうか?」

 ビクッとして振り返ると、四十代くらいの中年の男性がいた。

「いや、何でもありません。すみません」

「……もしかして、この看板、気になりましたか?」

「あ、はい。そうですね」

 その通りだったので、とっさに返事をしてしまった。

「やはりそうでしたか。今までにも、この看板に書かれてあることが気になって見ていた方がいらっしゃったので、そうかなと思いました」

 みんな、この文句に目がいったのか。

「……この、運も貯蓄できるっていうのはどういうことですか?」

「言葉通りですよ。皆さん、将来の夢や老後などのために銀行の口座にお金を貯めておくでしょう? それと同じように、皆さんが持つ運をそれぞれ専用の口座に貯めておくんです。いざという時に運を上げるために」

 この人は何を言っているんだ?

 きょとんとする私に、男性は苦笑して言った。

「まぁ、こんなことを言われてもわからないですよね」

「例えはわかりやすかったんですが、運を口座に貯めるって……」

「あぁ、そんなこと出来ないだろうとお思いですね? 運はお金のように物質じゃありませんし、目に見えないのでわかりづらいのですが、でも、それが出来るんです。私達の研究施設で」

「それがここってことですか?」

 男性は頷いた。

「私達は自分が持っているお金を自由に使ったり増やしたり出来ますよね? もちろん、犯罪に関わること以外でですが。私達の研究施設では、運も同じよう出来ないかと考えたわけです。ようやく専用の機械を開発したんですが、実際に運用出来るかどうか、今はボランティアという形でモニターをして下さる方を募集しているところなんです」

 本当にそんなことが出来るのか?

 うさん臭さを感じて訝しむ私に男性は笑顔で言う。

「よろしければ、やってみませんか? 何人か集まったのですが、もう少しデータが欲しいところでして。モニターに参加するのにお金はかかりませんし、いつでも好きなときにやめていただいてかまいません。私の説明したことが本当かどうか実際に試していただければ実感できると思うんです」

「実感って例えば?」

「まず、普段の生活の中で何かちょっとした良いことをするんです。それにより上がったあなたの運をいくらか口座に貯めておき、仕事のプレゼンを成功させたいなど、いざというときに口座から運を下ろしてあなたの運を上げておく。そうすることでプレゼンが成功する確率が上がる……といった感じですね」

 それは本人の努力次第じゃないのか。

「ツイてないなと感じている方には特に試してもらいたいモニターなんですよ」

 疑心暗鬼の私に、今の男の言葉は引っ掛かった。

 おかしいと感じたら、やめればいい……かな。物は試しだ。

「口座に貯めるっていうのは、どうやるんですか?」

「モニターにご参加下さるなら、施設内で専用の機械をお見せしながら説明いたします」


 私は男に案内されて研究所に入った。中には白衣を着た人達がチラホラいる。

「申し遅れましたが、私は柚木と言います。この施設で運をお金と同じように扱えるように研究しています」

「私は阿坂流里です。短い間ですけど、少し試してみます」

「ありがとうございます」

 施設の二階に上がって、奥の部屋に来ると柚木はその扉を開けた。

「あ、柚木さん。おかえりなさい。……そちらは?」

「モニターに参加して下さる阿坂さんだ。阿坂さん、こちらは私と同じ研究員の竜ヶ崎です」

 紹介された竜ヶ崎という女性は私に会釈をしてきたので、私も返した。

「早速ですが、現在の阿坂さんの運がどれくらいなのか数値化して調べたいと思いますので、この装置を使用します」

 示されたのは、心電図のような機械にコードがたくさん繋がれたヘルメットのようなものだった。

「これですか?」

 こんなので本当に大丈夫だろうか。

 柚木の案内を受けてソファに座り、装置を頭に装着した。

「目をつぶって力を抜いて下さいね」

 言われた通りにし、しばらくすると柚木は言った。

「現在、阿坂さんの運は最高が百とすると、五十五ですね」

 微妙な数字に少しショックだった。やっぱり私はツイてなかったのか。

「これから日常の中で運を上げて、口座に貯めていきましょう」

「口座って……」

「この装置をつけていくつ貯めたいか仰っていただけたら、あなた専用の口座に運を移します。まずは、こちらの書類に必要事項を記入して下さい。口座を開設します」

「はぁ……」

 私は言われた通りに記入し、書類を柚木にわたした。

「それじゃあ、ひとまず十くらい貯めてもらっていいですか」

 とりあえずやって、実感なかったら早々にモニターをやめよう。

 私はやはり、運を貯めるというこの話を信じられなかった。

「わかりました。十ですね」

 再びソファで二、三分程じっと座って終わった。運が口座に移ったらしい。

「些細なことでも良いことがあるようになったら、今よりも運が上がってきている証拠なので、そろそろ貯まったかなと思いましたら、また来て下さい。運の数値を計ります。ただ、運は自分の意志に関係なく、上がったり下がったりしますので、なるべく良いことを続けるようにして下さい」

 私はスッキリしないまま研究所を出た。


 何も理由がないままモニターをやめたいとは言いづらいので、私は言われた通りに良いことをしてみることにした。それで何もなければ、それをやめる理由にするつもりだった。

「眠そうだね。私の作業、終わったから手伝うよ」

 文房具の品出しをしていた同僚が欠伸をしているのを見て、私は言った。

「ありがとう。昨日、知り合いに誘われて、仕事終わりにボランティアに参加したから少し眠くて」

「えっ、何の?」

「簡単なゴミ拾いだよ。駅周辺を掃除したの。その後、参加した人達で飲みに行ったから帰りが遅くなっちゃって」

「へぇ……」

 ボランティアか。学生のとき以来、ずっと参加してこなかったが、良いことをするのにボランティアは最適かも。

「それ、どこでやってるの?」

 私はボランティアを主催している団体と実際に行なっている場所を教えてもらい、仕事の後に行ってみることにした。

 駅の近くにある広い公園に集まるらしいので向かってみると、団体名が書かれた緑色のゼッケンをつけている人がチラホラいた。私は主催者らしき男性に近付くと、相手も私に気付いた。

「ボランティア参加されますか?」

「はい、初めてなんですけど……」

「それでは、必要になる物を貸し出していますので使って下さい」

 そう言われてゼッケンと軍手、スーパーの袋、トングをわたされた。開始時間になるまで待っていると、見覚えのある姿が目に入った。

「あれ、阿坂?」

 それは、私が大学時代に仲良くしてくれた池上先輩だった。ボランティアのゼッケンをつけている。

「えっ、先輩!? お久しぶりです!」

「久しぶりだなぁ! 阿坂もボランティアに参加するんだな」

「はい。初めてなんですけど、同僚からこの話を聞いて参加してみたんです」

「そうか。俺は時々、参加してるんだ。俺の友達がこの団体に入ってて、誘われてさ。でもまさか、ここでまた会うなんてな」

 私は先輩以上に、驚いたと思う。池上先輩は私が片思いしていた相手だった。想いを伝えることなく大学を卒業して疎遠になっていたけど、ここで会えるとは思わなかった。

 ボランティアが始まってからも、ゴミ拾いをしながら先輩と大学時代の話に花を咲かせた。平静を装っていたけど、内心はかなり浮足立っていた。

「皆さん、本日はご参加ありがとうございました。この後、参加された皆さんと交流会をしたいと思いますので、お時間がよければぜひご参加下さい」

 駅周辺をぐるりと回ってゴミ拾いを終えた後、主催の男性は参加者に向けて案内をした。先輩はどうするのだろうとチラッと様子を伺った。先輩は主催の男性と話している。

 もともと、私は飲み会に参加するつもりはなかったのだけど、先輩とこのまま別れるのもなぁ……。

 ゼッケンなどの借りたものを近くにいたスタッフに返しつつ、そんなことを考えていたら先輩が私の方へやってきた。

「阿坂は交流会、参加する?」

「私は……」

 返事に窮していると、先輩は笑った。

「無理に参加しなくてもいいよ。俺も行かないし」

「あ、そうなんですか」

「明日、仕事で朝早く行かなきゃいけないからさ」

 先輩の言葉を聞いて私はほっとした。私達は交流会へ行く人達と別れ、駅へ向かった。

「せっかく会えたしさ、今度食事にでも行こうよ」

「はい、行きましょう!」

 思いもかけない誘いに嬉しくなった。駅で連絡先を交換して別れた後も、私は口角が上がってしまうのを抑えられなかった。自宅に帰った後、先輩とやり取りをするなかで次に会う日を約束をすることができた。

 ベッドに横になり、スマホの画面を見ていると自分の今の運が気になった。仮にあの柚木という人の言葉の通りだとすると、私は今、運を使ってしまっているのだろうか? 半信半疑ではあるが無料だし、先輩に会う前に運を上げておいてもいいかもしれない。


                          ー続ー

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