第110話 グライムに教えられる 30
オラどうした来いよ、と野上はヘラヘラと笑いながら銃口を順番に向けていく。
いつ撃たれるかわからない緊張感に、勝達四人の身体は動かない。
硬直状態が続けば不利であるとはわかっているし、撃たれた遊川をこれ以上放置しているわけにはいかない。
勝は一瞬のチャンスを窺って下唇を噛んでいた。
下手に動いて誰かを犠牲にするのはごめんだ。
どうにかこの状況を打開する方法が無いかと思案するが、しかしろくに動かない身体で出来るだろう策が思いつかない。
邦子や文哉、平家も同様に自分が動いたとして他の誰かに犠牲が出ることが動くのに躊躇う点であった。
五人でこの場に来たことが足枷になっているというのが何とも皮肉で、しかし共に戦える者がいることでこの状況を打開出来ることがあるだろうと考えていた。
伊知郎も何か出来ないのかと考えていた。
この場にのこのこついてきたつもりは無い、目の前に拐われた娘がいるのに傍観者でいるつもりは無い。
何か出来ないかと、何でもいいから代わりに戦い続けてくれてる者達の手助けは出来ないかと、伊知郎は自分の手持ちを探り出す。
野上はその伊知郎の動きを一瞬見るが、たまたまついてきたオッサンに何が出来るのかと軽視することにした。
注意を向ける必要があるのは、勝達四人だ。
平家以外の素性は兵隊であるチンピラからの報告でしか知らない。
やたら強い女レスラーに、元町内会自警団、計画を邪魔し続ける赤いジャケット。
ここまで来た以上は、あげられた報告以上に警戒する必要があるだろう。
銃という圧倒性は誇示したものの、そこにしがみつく程野上も馬鹿では無い。
圧倒的な殺傷力は、有効に使えてこそ意味がある。
野上は撃つ順番を考えていた、一人撃てば全員で突っ込んでくるだろう。
無謀だが、間違いない。
だが距離が近づく事で、有利な点はこちらにもある。
的がでかくなることは、仕留めやすくなるということ。
距離がある今は動けなさそうなヤツからぶち込んで、体力のありそうなヤツは近づいてから数発ぶち込むのがいい。
そう考えて、野上は再び銃口を勝に向ける。
先程まで肩を担がれて立っていた男が二人、その上で見た目からしてぼろぼろの方なのは勝だった。
「ここまでよく頑張ったが、トドメ、差してやるよ」
そう言いながら野上は、銃を持つ手の人差し指を噛み締めるようにゆっくりと動かした。
全てがスローモーションの様に思えた。
野上が誰を撃つかと選択してる瞬間、伊知郎はポケットに入っていた五円玉を掴んでいた。
何か出来ないかと、何でもいいから出来ないかと縋るように取り出した五円玉。
勝に返す為に用意していた五円玉。
それを掴んだ伊知郎は、咄嗟におおきく振りかぶった。
一瞬でも気をそらせたら、この状況が何か変わるんじゃないか。
一瞬でも気をそらせたら、勝なら何か起こしてくれるんじゃないか。
無責任な願いだが、伊知郎は五円玉を野上にぶつけようと思った。
やった事の無い野球の見よう見まねの投球フォーム。
精一杯腕を振りかぶる伊知郎。
仕事以外の運動を怠けていたからか、急に動かした肩に痛みが走った。
グキッと関節が鳴る音が耳に聴こえる。
スローモーションに感じる瞬間の中、伊知郎はふと懐かしい記憶を思い出していた。
押し入れにしまっていた、グローブとボール。
兄が持っていったと思っていたが、伊知郎は一度だけ息子である瑛太とキャッチボールをしたことを思い出していた。
やったことの無い野球の見よう見まねの投球フォームを、瑛太は指差して笑っていた。
「何だよ父さん、めちゃくちゃダサいじゃん」
たった一度のキャッチボール。
キャッチボールをする親子という関係に、憧れがあった伊知郎から申し出た一度の機会。
瑛太は喜んで付き合ってくれて、一つしか無いグローブを着けて伊知郎に次々と投球を要求した。
「父さん、今度やる時はもっと格好良く投げれるように教えてあげるからさ、またやろうよ」
そう微笑む瑛太の願いは、瑛太が交通事故にあったことで叶いはしなかった。
あの頃から不格好なままの投球フォームで放り投げられた五円玉は、真っ直ぐと飛んでいき、野上の眉間にぶつかる。
くっ、と怯む野上が一瞬目を閉じる。
その一瞬を勝は逃さなかった。
わかっている。
一秒にも満たない刹那の時間だ。
わかっている。
この身体はその刹那をものに出来はしない。
わかっている。
だけど、これは最後のチャンスだ。
わかっている!
絶対に逃すことの出来ないチャンスだ!
わかっている!!
俺の身体は、まだ限界を越えることが出来るんだ!!
踏み込み駆ける勝。
クソがぁっ、と吠え銃口を向け直す野上。
ぶつかった五円玉が宙へと跳ねて――
銃声が鳴り響き――
殴りつける音が響き――
五円玉が床に落ちて跳ねて――
野上が床に倒れる音が七階に反響した。
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