第107話 グライムに教えられる 27
床の上を滑るように転がっていき、ニアンは力無く仰向けに身体を開き倒れた。
渾身の一撃と引き換えに、勝の身体中に痺れが起きていて、肩を揺らすほどの呼吸をするしかままならなかった。
ハァハァハァハァ、と勝の呼吸音だけが三階フロアに反響していく。
ニアンが再び立ち上がる、とは勝は思っていなかった。
全身全霊、というものを込めた一撃だ。
これで立ち上がられた場合、次の策はもう無い。
身体もロクに動かないし、別の勝機を掴むには至難の業だと言える。
ハァハァハァハァ、と勝の呼吸音だけが三階フロアに反響し続ける。
どれだけ吐いて吸っても整わない呼吸が、一つ一つ身体を痛め続けていく。
立ち上がってくれるな、倒れるニアンを睨みつける時間が延々と続いているように感じる。
「大丈夫、もう終わったみたいだよ」
気づくと、すぐそばに伊知郎が立っていた。
勝はニアンを睨みつけながら僅かに意識を飛ばしていて、自分の身体が伊知郎に支えられて立っていることに気づいていなかった。
「あ……れ……?」
痛みを伴う呼吸に意識は断続的になっていたようだ。
伊知郎に肩を貸される形になっていることに、まったく覚えがなかった。
「イチ、ローさん……悪い、借り作っちまう」
「こんなものは、貸し借りに入らないよ」
五円玉の貸し借りに執着して追いかけてきた男にそう言われ、勝は痛みを忘れて笑いそうになったが、乱れたままの呼吸がそれを邪魔した。
「それより、君も横になった方がいい。救急車は既に呼んである。それまで、安静に――」
「何、言ってんだよ。まだ、終わってねぇ、だろ……」
何を言ってるんだ、と伊知郎は問いかけたが勝の視線が奥へ向けられたのでそれを理解した。
「さっきの銃声、警察が、来るとか、そんなの、待ってられない事に、なってそうだ。すぐにでも、行かねぇと」
後はこの大騒動に駆けつける警察官達に任せたとしても、拐われた八重と愛依は救われるだろう。
意気込んで駆けつけた手前、格好はつかないが優先されるべきは八重と愛依の安全だ。
本来ならそれで良かった。
しかし先程の銃声、事態はのんびりと人任せに待ち構えていていいものではなくなった。
「だけど、君の身体はもう――」
娘を助けて欲しい、それは伊知郎が心底願っていることだ。
だがしかし、その為にまさに命懸けになっている勝と文哉を見て、まだその願いを軽々と言えるほど伊知郎は愚かでは無い。
ここまでしてもらったのだ、ここまで身を犠牲にしてもらったのだ。
娘を助けるぐらい、ここにいる自分が出来なくてどうする?
「なぁに、大丈夫、まだ動くって。ここで動けなきゃ、乗り越えた意味が無い」
荒れる呼吸を勝はゆっくりとだが落ち着かせていく。
ほんの少しでも支えて立たせてもらっていることで、身体は休息を得ているのだろう。
「
少し離れたところで立っている文哉がそう言う。
強がって平然を装う顔をしてるが、立っているのが精一杯な事は伊知郎にもわかっていた。
どこまで意地を張り続けるのかと、伊知郎は勝と文哉を格好良く思っていた。
だからこそ――。
伊知郎が二人に言葉を返そうとするところに、荷物用エレベーターが三度三階に到着する音が割り込む。
誰が来たのかと振り返る三人の視界に、邦子と平家の姿が映る。
「ちょっ、華澄、アンタ大丈夫かい!?」
「安堂さん、アンタいつの間に先行ってんすか? アンタ護れって
邦子と平家、エレベーターから降りて互いに視界に入った者に反応し、それから三階の状況を理解する。
七階で鳴った銃声は、一階で起きている騒動に掻き消され二人には聞こえてなかった。
一階――倉庫入口前には後から駆けつけた千代田組組員達と、
その際に埒が明かないと独断先行する華澄を止めようと、着いてきた形になったのが伊知郎だった。
「
華澄の怪我の具合を診る邦子と、倒れる者達の状況を見て問いを並べる平家。
返事してやる体力はねぇよ、と勝が思っていると身体を支える伊知郎があらかたの説明を代わってくれた。
銃声についての説明を受けた平家は、眉をひそめた後、一つ深呼吸を行った。
「先に行くとこだったんだろ? すまねぇな、邪魔をした。オイ、平田だったか、肩を貸してやる。とっとと、上に行くぞ」
そういうや平家はドカドカと文哉の方へと歩いていき、半ば強引に文哉の身体を支える。
断る暇もなく文哉が驚いていると、同様に邦子も勝の方に近づいていき強引に伊知郎と交代した。
「いや、あの……」
「自己紹介なんて後回しだ。華澄の分も絶対に八重ちゃんと愛依ちゃんを助けるんだ、ほら行くよ」
戸惑う勝をほぼ担ぐように支える邦子。
「安堂さん、どうせアンタもコイツらと一緒に行く気だったんだろ? 止めたって聞かねぇなら、今度は離れないでくれよ。
文哉を肩で支えながら奥へと進んでいく平家は、振り返ることなくそう伊知郎に忠告する。
伊知郎はあっという間の交代劇に驚きながら、とっとと奥へと進んでいく四人の後を追いかけた。
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