第104話 グライムに教えられる 24

 文哉はゆっくり一歩一歩、踏みしめる様に英雄へと近づいていく。

 呼応するように英雄も一歩一歩、文哉との距離を縮めていく。

 身体が荒々しく呼吸を求めるのを止めることが出来ず、一歩、一歩と踏むことに肩を揺らす程肺に空気を取り込み吐いていく。

 

 息を吐く度に意識が何処かへと行ってしまいそうになるのを、辛うじて留めていた。

 互いに限界はとっくに超えている、何度と超えてきている。

 それでも一度覚悟を決めた以上、何度と訪れる限界とやらも超えていくものなのだと理解している。

 限界を超え、限界を超え、そうして自らも未知の領域に達して初めて願いのものを手に掴めるのだ。

 街を護るということも。

 街を壊すということも。

 限界の先にあり、この踏み込む一歩の先にある。


 踏み込んだ足がよろめき、床の上を滑りそうになり英雄は舌打ちを鳴らす。

 限界がまた来てる、などとつまらない認識に腹が立つ。

 オレはこんなとこで止まるわけに行かない。

 超えたものの数だけ、止まれない理由ができた。

 瑛太の為にも、梅吉の為にも、中途半端なことは出来ない。

 やりきるんだ。

 限界だなんてふざけるな、オレの身体。

 英雄は舌打ちを鳴らす。

 自分への怒りが、また一歩前へと踏み込ませる。


「アンタがふらついてんのは、ただ限界が来てるせいなだけじゃないさ」


 しっかりとした足取りで一歩、一歩と英雄との距離を縮めていく文哉。

 あ?、と英雄は文哉の事を睨む。

 霞む視界に、文哉が睨み返している姿が映る。


「届いてねぇわけがねぇ。アンタを止めようと必死に戦った男の拳、何発食らった?」


 英雄は視線を床に倒れる井上の姿に向ける。

 一発一発、どれほど重い拳だったか。

 嫌という程、わかってる。

 だが、それでも止めれなかったから、今立っているのだ。


「届いてねぇわけがねぇ。俺の蹴り何発食らった?」


 昼間の邂逅から、二度やり合った死闘。

 頭に、身体に、何度とぶつけられた蹴り。

 その度に英雄の身体は悲鳴を上げ、だがそれを押し黙らせて超えてきた。


「届いてねぇわけがねぇ。井上さんあの人の拳は、俺の蹴りは、そんなヤワじゃねぇ」


 進む互いの一歩。

 先に英雄の間に入り、傷だらけの左腕を振りかぶる。

 文哉はそれに構わず、確実に自分の間に入る為、更に一歩踏み込んだ。


「届いてねぇわけがねぇ!! この街護るために振り上げたもんが、ヤワなわけねぇだろぉ!!!」


 踏み込んだ左足、振り上げる右足。

 左手よりも速く、破壊者よりも強く。


 シャァッ、と鋭く息を吐く音が聞こえて。

 スパァァンッ、と何かがぶつかって破裂したような音が聞こえて。

 華澄はあの日聞いたその音がまた聴こえて、嬉しくなって微笑んだ。

 床に激しく打ちつけられた痛みに、身体は動かすことが出来ず天井を見上げるしか出来ないのだけど、見えなくたってどうなったのかは簡単に把握出来た。

 文哉くんならどんな悪党だって倒してくれる。

 ああ、本当に憧れる。

 ああ、本当に大好きだ。

 華澄は改めて確かめる自分の気持ちが嬉しくて、そして安心して瞳を閉じた。


 上段回し蹴り。

 何度と狙われた軌道だ、避ける事も出来た。

 だけど、英雄は正面から挑んだ。

 何度と受けた蹴り、耐え抜いて来た蹴り。

 今度も自分は越えられるのだと、信じていた。

 超えなければならないのだと、信じていた。

 側頭部を叩く強い衝撃がその盲信を打ち砕き、英雄の意識は薄らいでいく。

 視界が傾き、自分が負けたのだと悟る。

 身体はもう言うことを聞かず、横に倒れていく。

 倒れゆく視界に映る文哉の姿に、幼き頃の井上梅吉と安堂瑛太の姿が被った。

 ハッ、と一つ嘲笑すると、英雄は冷たい床に倒れ気を失った。


 勝った。

 振り上げた蹴りをゆっくりと降ろしながら、文哉はその感覚を噛み締めていた。

 だがそれは、胸誇る清々しいものでは無く胸を締めつける苦々しいものだった。

 勝ち取ったものより受けた傷の方が多い。

 華澄の方に視線をやると、安否を確認しにそばに居た伊知郎が、大丈夫、と一言返した。

 安心して、しかし気を引き締め、もう一人の男に視線を向ける。


 白いスーツの男――ニアンは、文哉の事など見向きもせず、自分が吹っ飛ばした勝のもとへゆっくりと近づいていく。

 確実なとどめをさす必要がある。

 そう確信するニアンを、文哉は止めに動こうとするが身体が素直に動かなかった。

 何度と理解した、とうに限界は超えているということ。

 歩くことすらままならないのかと、文哉はそれでも歯を食いしばり足を前に進ませようとするが、ニアンは俯せに倒れる勝のすぐ側に辿り着き、すぐさま左手を振り上げた。


「アンタなら絶対にとどめをさしに来ると思ってたよ」


 俯せの体勢から勝は、駒のように回転しながら身体を起こす。

 つい数分前にニアンが見せた起き上がり方を真似て、回転の最中に蹴りを当てようとするが、ニアンもそれに反応して後方に跳ねて避ける。


「お前なら絶対に起き上がると思っていたよ」


 初めて会った時からつい先程まで、雑魚だと侮っていた男が未だにしぶとく立ち上がり続ける。

 侮りが間違いであることを改めなければ、この男は倒せない。

 構えるニアンには、もう勝を倒すことしか頭になかった。

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