6-2 奇妙な天皇

      ◆


 峰旗天皇の治世は民にも歓迎されたし、貴族や公卿と呼ばれるようになった上流階級にも、決して忌避されたりしなかった。

 位階を整理したことにより、上下関係がはっきりとし、有能なものが残ったのも大きな要素だった。

 治世を十八年で終え、峰旗天皇はお隠れになった。

 次は、まるでそう計算されていたが如く、唯一の男児である皇太子が即位し、仲建天皇となった。

 大屋根の朝議に席を持つものは、ある時から、おや? と思わずにはいられなかった。

 仲建天皇が朝議の場で発言しようとしないのである。最初はまだ空気に慣れていないのか、と推測できた。次に、列席する者に任せているのか、と思うこともできた。

 しかし天皇は一言も口をきかなかった。

 朝臣が愕然としたのは、ある場面で、不意に仲建天皇がそばに付き従う侍従を呼び、何か耳打ちし、それから侍従が天皇の発言としてその言葉を口にしたことである。

 天皇は喋れないわけでも、自分の意見がないわけでもなく、意図的に声を発さないでいる。

 声がひどく嗄れてるのか、と貴族のものが噂をすれば、別のものは、意外に美しい声だったはずだ、と言い出し、この天皇の寡黙さの理由は、皆目、見当がつかないのだった。

 それでも朝廷は停滞なく国を運営し、活発な意見交換があり、活気というものはむしろこれまでより熱を帯びている時期だった。

 一方で、貴族も公卿も、仲建天皇の後宮に自分の娘を送り込む方策を模索していた。

 後宮という呼び方も、峰旗天皇の御世に定着した言葉である。皇宮の一部であり、そこはほとんど男子禁制とされていた。

 後宮に入るには、皇后、女御、更衣、これらのどこかに加えられることだが、女御はともかく、更衣などという立場で後宮に入っては、よほどのことがなければ天皇の寵を受けるどころか、見向きもされない事態になる。

 この頃、文化というものが新しい側面を見せ、歌を詠むことや、舞を踊ること、楽器を弾くことなど、そういったものが高い位のものには好まれるようになった。

 貴族の屋敷からは楽器の稽古の音がよく聞こえたし、歌会のようなものも頻繁にあった。歌会はほとんど勉強の場であり、本番は皇族などが臨席する公の歌会である。美しい歌を詠む、技巧の凝らされた歌を詠むことは、遊びではなく、言って見れば示威行為であった。そして周りも歌が巧みなものには、自然、敬意を示したものである。

 この頃の歌人に、内名杯英という人物がいる。内名家というのはそれほど古い家系でもなく、名家どころか、知っているものも少ないような家柄である。

 杯英は出仕していたが、位階は八位なので、大屋根の建物に入れず、そのすぐそばにある役所の建物で書類を作る日々に明け暮れていた。

 その杯英の趣味が歌であり、仕事を終えて帰宅すれば、庭に立ってその日の月を見上げて、歌を詠むのである。

 彼は歌会でも多く月の歌を詠み、一部の歌人からは「月の内名」などとも呼ばれていた。

 杯英は役人としての出世などには興味を持っておらず、もっぱら、趣味である歌詠みにだけ関心があった。

 この時代の歌人というのは、まだ立派なものではなく、趣味人のようなものであった。歌詠みが一つの技能として認められ、例えば焼き物や掛け軸、彫像のようなものと同様の芸術とみられるようになるまで、あと五十年は待たねばならない。

 結局、内名杯英は歌ばかり詠んでいる、うだつの上がらない役人である。そんな評価がこの時代の資料には散見される。

 何はともあれ、杯英は歌に熱中する内に、歌人の友人というものを何人か持った。

 そのうちの一つが、宇田川宮足穂という人物である。

 宇田川宮といえば、はるか昔、市宮天皇の姉から始まる、最古の宮家であった。

 もっとも、足穂という人物は三男で、位階は上六位である。かろうじて大屋根に入ることが許されるが、大屋根の中での下級役人、といった風であった。

 この人物も歌が好きで、しかし杯英とは違い、有力者の中で歌を披露することが多いため、いっそ悲惨なほど、その歌の才は彼の命綱のようなものである。どのような歌会でも失敗は許されず、良作を量産するという極端な至難が彼にはのしかかっていた。

 だから宇田川宮足穂にとって、内名杯英や他の仲間たちとの歌会は、肩の力を抜くことができる数少ない場だった。そこでなら汲々とした思いもなく、自由に、鳥が羽ばたくように全てを歌にすることができた。

 その歌才はやはり卓抜したものがあり、同席したものは手放しに褒めるのだった。それも彼らは宇田川宮足穂を、宇田川宮家の人間として褒めるのではなく、一人の歌人として褒めているのだから、より一層、嬉しいものがあった。それに上流階級の歌会にある、褒めるにしても気を使いあい、言葉を選んでいるような、そういう不自然さがこの場にはなかった。

 これがこの時代の現実であり、階級がいくつかに分かれつつあった。

 国を運営し、権力に敏感な上流階級。

 豊かな生活を送り、文化というものを無意識か意識的かに育てている階級。

 そして今まで通り、税を納める役目を背負いながら、平穏な日々を送る民である。

 仲建天皇の声を誰も聞かないまま、三年がいつの間にか過ぎていた。

 この間、皇后を迎えることもなく、女御を迎えることもなかった。更衣は数人が迎えられていたが、天皇が通うことはなく、後宮の環境の維持のためにそこにいるだけだ、と噂された。

 この奇妙な行動をとる天皇はとかく話題にはなったが、この頃は誰もが鷲旗天皇のことを覚えていたので、度が過ぎるのも困るから、とそれぞれに言い訳のように考えてもいた。



(続く)

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