第209話 笛の音
「おや?」
不思議な感覚を受けて、アルテグラは耳をそばだてた。
「ボルデュー、馬車を止めてくださイ」
耳などないが、しかしアンデッドとなったアルテグラは鋭敏に五感を働かせることができる。御者の大男に声をかけて幌馬車を止めさせるとアルテグラはすぐに飛び降りてカルゴシアの町の方向を見る。
「妙ですネ……また笛の音が聞こえる」
アルテグラに続いてボルデューも彼女の隣に立つ。
彼はゾンビであり、思考力はそのほとんどを失っているのであるが、しかし「アルテグラの命令に従う」「彼女の身を守る」という二つの命令だけは万難を排して実行する強さを持つ。
「一体だれが……?」
アルテグラは独り言が多い。その言葉に傍仕えのボルデューが答えることはないが、自分の考えをまとめるために口に出すのだ。
野風の笛はイリスウーフが持っていたはず。
ではガスタルデッロとの戦闘になり、彼を無力化するために笛を吹いているのだろうか。しかしアカシックレコードを手に入れたガスタルデッロがイリスウーフに笛を吹く隙を与えるとは到底考えられない。
ではいったい誰が?
「町を離れるのが早すぎましたかねェ」
この後の流れは分かり切っていると思い、町を離れた。ドラーガ達にガスタルデッロを倒す
少し早計だったかもしれない。そう思った時、どこからともなく男性の声が聞こえた。
「いいや、むしろ遅すぎた」
「!?」
日の暮れた雑木林の道の中、大きな黒い影が飛び掛かってきた。
とっさにボルデューがアルテグラを守るように前に立つが、黒い影からの攻撃を喰らってよろけると、その隙に
「が、ガスタルデッロ……なぜここに?」
見紛うはずもなし。体勢を整え、すっくと立ちあがるとその身の丈は大男のボルデューよりもまだ頭一つ分大きい。“十字架の”ガスタルデッロである。尤もその手に異名の十字剣はないが。
「仕事のやり残しがあってな」
「な、なんでしょウ……? 私は関係なさそうなのデ、先を急いでいいですかネ……?」
しかし彼女の言葉を無視してガスタルデッロはムカフ島の方を見、満足げに微笑んだ。
「どうやらドラーガは上手くやっているようだな」
「な……ないンでしたら……」
空気の悪さを感じ取り、そろりそろりと、御者台の方へアルテグラは這って行く。
しかし当然ガスタルデッロはそれを許さない。後ろから彼女の頭蓋骨をがしりとわしづかみにして止めた。
「まあ待て、私の仕事とはお前の事だ」
そのまま彼女の体を引き寄せ、小脇に抱える。元々小柄な上に骸骨の姿のアルテグラはもはや抵抗などできずに持ち上げられてしまう。
「七聖鍵は敗北、解散だ」
「そ、そうですか……それは残念ですね。じゃあ私も田舎にでも帰りますので……」
「そうはいかん。我らも三百年にわたる悪行を清算せねばならん」
「そんな! 是非お一人で……」
そう、彼の言った「やることがある」というのはこのことであった。
アルテグラは本人には悪意はないものの、無節操に人に望む物を与え続け、多くの悲劇を生みだした。それは「善意」から来るものではなく、彼女の「好奇心」から来るものである。
今回だけではない。当然この三百年間、彼女の人類を遥かに凌駕した技術力は悲劇を生み続けてきたのだ。ガスタルデッロはそれを清算しようというのである。
「ちょうどムカフ島の火口が開いている。共に星の炎に薄汚れた身を清めようではないか」
「とほほ……」
「どうせお前はそのくらいでは完全には死なんのだろう。だがたまには誰かが灸を据えてやらねばな」
もはや抵抗を諦めたアルテグラは荷物のように抱えられ、ガスタルデッロと共にムカフ島の山頂を目指すこととなった。
その後、二人を見た者は、いない。
――――――――――――――――
私は、ゆっくりと空を見上げた。
美しい音色だった。
確かに悲しげな音ではあるものの、悠然とした自然を思わせる。このカルゴシアの町と、ムカフ島を包み込む優しい音色。
本来ならここ、カルゴシアの中心部まで聞こえてくるはずなどないのだが、私の耳にはそれははっきりと聞き取ることができた。
あのムカフ島のふもと、ドラーガさんとノイトゥーリさんが野風の笛と、ガスタルデッロから託されたエメラルドソードを使って、噴火を止めたのだろう。
結局それ以降ムカフ島が火を吐き出すことはなかった。
しかし……
翌朝、山から戻ってきたのは、ドラーガさんただ一人だけだった。
その日、何があったのか。
公式的な記録には何も残っていない。
町を襲った化け物の正体は何だったのか。
シーマン家をのっとったガスタルデッロはなぜわずか一夜にしてその姿を消したのか。どこに消えたのか。
町を守って戦っていたはずの勇者アルグスはいったいどこに消えたのか。
炎を吐き出して町を飲み込むかと思われたムカフ島火山の噴火は何故急にやんだのか。
でも、私だけは知っている。
賢者と、ドラゴニュートの姫が、その噴火を止めたのだと。
「ドラーガさん……ノイトゥーリさんは……?」
何度尋ねても、結局彼は一言もまともな答えを返すことはなかった。
ただ、寂しそうに、手に持った黒い笛を眺めるだけ。
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