第185話 そうはならんやろ
「ドラーガ……」
「調子は良さそうだな、アルグス」
二人は立ち上がって視線を交錯させる。
その時、ドラーガの背後から小柄な女性が姿を現した。それをアルグスは半ば予想していた。アジトの中に、見知ったメンバーが、一人足りない気がしていたからだ。
「クオス……」
姿を現したのはプラチナブロンドの小柄なヒューマンの
「僕は……君の事を……」
「どうした? 愛の告白でもしようってのか? 悪ぃが俺の女に色目使わんでくれよな」
「ちがう……僕は、僕はクオスを」
もやがかかったように記憶が曖昧ではあるが、あの日、確かに……ガスタルデッロに出会って迷宮に入る前、確かに自分自身がその手でしてしまったことをアルグスは思い返していた。
途端に呼吸が荒くなり、体に力が入らなくなり、思わずリビングのテーブルに手をついて体を支える。何とかして気持ちを落ち着けようと、もう片方の手のひらで自分の顔を覆う。
「僕は……この手で、クオスを、殺したんだ」
アンセがアルグスの肩に手を置いて心配そうな表情で覗き込む。
「アルグス、あなたきっと質の悪い悪夢でも見ていたのよ。あなたがそんなこと、するはずないじゃない」
「違う……やっぱり、この世界は何かおかしい……」
慰めようとするアンセを振り払う。
そうだ。何かおかしい。まるで、自分にとって都合のよすぎる世界のような気がする。
何も犠牲を払わず、何も失わず、何も失敗せず。そうして生きることなど人にはできない。この世界は
記憶の整合性が取れない。アルグスは自分自身に確かめる様に一つずつ事象を確かめながら呟く。
「そうだ……僕は、クオスの抱えている悩みに気付くことができなくって……クオスは転生法を使って女性に生まれ変わった」
一同が怪訝そうな表情でアルグスの話を聞く。
「聞いてくれ、大切な事なんだ。僕は転生したクオスを殺した!」
「私を……?」
「そうだ、クオスだけじゃない。協力してくれたイチェマルクも死なせてしまった。テューマ達も、一人も助けられなかった! 敵対する必要のなかったゾラも目の前で死んだ。僕には誰も助けられなかった! 僕は勇者失格なんだ!!」
「アルグス……」
心配そうな表情でアンセが呟く。
「きっと、悪い夢でも見ていたんですよ……私の知ってるアルグスさんは、立派な勇者様ですから」
マッピも気遣う様にアルグスの顔色を窺いながらこわごわと声をかける。ドラーガだけが腕を組んだままニヤニヤと笑みを浮かべている。
「違う……僕は……勇者なんかじゃ……」
「でも、アルグスさん」
イリスウーフは穏やかな表情で彼に話しかける。
「こうして、みんな、ここにいるんです。全員揃って。きっと、本当にそれは悪夢か何かだったんですよ。もっと、自分を信じてあげてください」
「そんな筈は……だって、ここには現にクオスは転生後の女性だけで……」
「私が何か?」
その時、ドラーガの影からもう一人、女性らしき影が飛び出してきた。
雪のような銀色の髪にラピスラズリのような青い瞳、だぼっとした大きめのトップスに長く尖った耳。
「私ならここに居ますよ、アルグスさん」
姿を現したのはエルフの姿のクオスだった。クオス(エルフ)はクオス(人間)の反対側に回って同じようにドラーガと腕を組む。
「いや……え? どういう……」
「どういうもなにも、クオスはクオスだろう」
当然だ、とでも言わんばかりに胸を張ってドラーガがそう応えた。
何がどうなって……こうなったのか。アルグスは頭が追い付いて行かない。死んだはずのクオス(人間)が普通にアジトに居て、しかもクオス(エルフ)とも仲良く一緒に暮らしている。
そうはならんやろ。
なっとるやろがい。
……何かがおかしい。
そんな時アジトの外への扉ががちゃりと開いた。
「皆お揃いか。マッピ、今日は街へ一緒に買い物に行く約束だったろう。迎えに来た」
その言葉に「あ」と、小さい声をあげてマッピが恥ずかしそうに頬を染める。
ドアを開けて入ってきたのは白髪の細身の美丈夫、イチェマルクであった。
「イチェマルク……霧になって、消えた筈じゃ……」
「それも覚えてないんですか、イチェマルクさんは、なんやよう分からん力によって再び人間の姿に戻ることができたんです」
「なんやよう分からん力」ってなんや。マッピの言葉にアルグスは首をひねる。
「テューマさん達もなんやよう分からんけど全員生きてたみたいで、今日も元気にダンジョンを攻略してますしね」
そうはならんやろ。
いろいろとアルグスは言いたいことがあるのだが、上手く口から出てこない。まず何から口に出せばいいのかが分からないし、自分が何に腹を立てているのかもよく分からない。
これはきっと、自分にとっては良い事なのだ。誰も死んでいなかった。不幸な人間もいなかった。
自分はアンセと結ばれ、クオスは(どちらも)生きていて、幸せそうにしている。イチェマルクも死んでいなかった。冒険者として良きライバルであり仲間でもあったテューマ達も死んではおらず、穏やかな日常が流れる。
こんなにいいことがあるだろうか。
こんなに
だが彼は知っている。何年もダンジョンの中で生き延びてきた人間なのだ。人生がままならないものだとよく知っているのだ。
そしてそのアルグスの目の前には、ここ数年最も思い通りにならない男が立っていた。
「どうした、不満そうだな? アルグス」
賢者ドラーガが、小ばかにしたような笑顔でアルグスに語り掛ける。
「こうして全てが上手くいった……何が不満だってんだ?」
「不満なんか、あるものか」
「じゃあなんだ? 言ってみろよアルグス」
相変わらず、にやにやと笑うドラーガ。尋ねながらも、その余裕の表情はアルグスが何を求めているのかを理解しているようでもある。しかし当のアルグスがそれをうまく言語化できないのだ。
「なあ、試しに言ってみろよ。俺がお前の思うような人物なら、ドラーガ・ノートなら、お前の思うような答えを返すかもしれないぜ」
そうだ。この何か異様な雰囲気の中でも、この男なら、この男だけは平気な顔でバッドニュースを持ってくるような気がしてならなかったのだ。
「ドラーガ……君は、こんなバカげた状況が現実だと思うのか」
「はぁ?」
片眉を上げて、バカにしたような笑み。
「こんな都合のいい話が、あってたまるかってんだ」
「だよな」
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