第181話 キス顔

「喰らえ!!」


 十分に距離をとった状態からアルグスはトルトゥーガを投擲した。


「甘い!!」


 しかしゾラは距離を取るのではなく、詰めることでそれを躱す。ゾラの後ろではトルトゥーガが床石に突き刺さる音がした。


 ゾラは右拳を固め、順突きでの迎撃態勢に入るが、アルグスもそれに合わせてショートソードを振りかぶる。しかし二人が交錯するよりも一瞬早くアルグスは動きを見せた。


 その不自然な左手の動きにゾラはニヤリと笑み。


「挟み撃ちだ! これが躱せるか!?」


 死角になる後方に突き刺さったトルトゥーガを鎖の精妙な動きで引き戻したのだ。すなわち前後からの挟撃である。


 だが、そのインパクトの寸前ゾラが消えた。突進しようとしていた彼の姿が歪んで消滅したのだ。


「なに!?」


 先ほどと同じ、ビルギッタに使ったのを同じ幻惑魔法。しかしいつから虚像であったのか、全くそれを感じさせる動作はなかった。


 しかしそこは問題ではない。アルグスのショートソードと共に挟撃するはずだったトルトゥーガが今度はアルグス自身に襲い掛かってくるのだ。


「グオッ!」


 かろうじて剣でトルトゥーガを弾き、爆散するように火花が散る。アルグスはすぐにチェーンを引いて左手にトルトゥーガを戻し、同時に首を左右にふってゾラの本体の場所を確認する。


「ここだぜ……」


 しかし、声が聞こえてきたのはアルグスの真後ろからであった。


 不覚だった。よりによって後ろを取られるなど。ダンジョンでの戦闘に於いて最も警戒しなければいけないのがこのバックアタックである。だからこそ殿しんがりは信頼のおける者に任せなければならないのだ。


 そして同時に、ホモに後ろを取られるという事は、此れ即ち「死」を意味する。



「ここまでだアルグス! 俺の思いの丈を受け止めろ!!」



 ぞくり。



 言葉にいちいち含みがあるように感じられてならない。



 そしてゾラは背後から両手でアルグスの両肩をがっちりと掴んだ。



(え? なに? 両手で肩掴んだら攻撃できなくない?)



 あまりの事態にアルグスは体が硬直してしまう。



 そうだ。思い違いをしていたのかもしれない。



 硬質化できるのは両腕だけとは限らない。



 つまり、体のある一部分を硬質化させて、バキバキビンビンに硬くしてアルグスを貫こうとしているのかもしれない。



(いやだ、絶対に嫌だ!!)



 それだけは。それだけは絶対に受け入れられない。



 たとえ命を失うことになろうとも、純潔だけは守りたい。



 その必死の思いがアルグスの爆発力を生み出した。後ろから体を押さえられた絶体絶命の状態。そこからアルグスは身をよじって拘束を撥ね退ける。



 体を拘束された状態からとはとても思えない爆発的な瞬発力を持った動きだった。



 その場で回転しながら跳ね上がり、背後にいるゾラに左の裏肘打ち、裏拳、そして右の膝を連続で打ち込み、そのままゾラの鎖骨を足場にして敵の体を蹴って距離を取る、そして離れざまに間合いのギリギリの距離で斬撃を放つ。


 ゾラもそれに合わせて苦し紛れに手刀での斬撃をはなったが、それはむなしく空を切った。


 とん、とアルグスが床に着地して、続いてじゃらりとトルトゥーガの鎖の音が聞こえる。


 それからほんの少し遅れてゾラの首から胸元に駆けて鮮血が噴き出し、彼はその場に崩れ落ちた。


「み……見事だ、アルグス」


「ゾラ!!」


 敵ではあるものの、正直言うと今のアルグスはゾラに対しては悪感情は持っていない。アルグスは慌ててゾラの元に駆け寄った。


「追い詰められた時の最期の爆発力……さすがだった。これが、『勇者』の実力か……」


 掘られたくないからである。


「だ、大丈夫か……ゾラ」


「大丈夫なわけねえだろうが……」


 崩れ落ちたゾラの上半身を、少し考えながらもアルグスが抱き上げて支える。


「悪くないもんだぜ、こうやって死力を尽くして戦った強敵の腕の中で死ぬってのも……」


「ん……」


 思わずアルグスの眉間に皺が寄る。


(こいつ……やっぱりホモ……?)


 正直今のシチュエーションよりもそれが気になって仕方ないのだが、しかしだからと言って一回抱き上げた体をまた下ろすのも失礼な気がする。瀕死の重傷を負っているのだからせめて看取ってやるのが人の情け。


「アルグス……おそらくこの先に、ガスタルデッロがいる。奴は強い……」


「が、ガスタルデッロの事も気になるが、正直今はお前のことが気になって……」


 思わずアルグスは今の正直な気持ちを声に出してしまった。「ゾラがホモなのかどうか」それが気になって仕方ないのだ。


「ありがとうよ、敵である俺の身を気遣ってくれるなんてな……」


 「気遣う」とは少し違うような気もするのだが。アルグスが気になるのは「ホモなのかどうか」、この一点である。もっと突っ込んで聞くなら「お前、僕のこと好きなのか?」という事なのであるが。


「ここは恐らくお前の精神世界の中だ。俺はおそらくバックアップの記憶情報を投影したに過ぎない。つまり……」


 ゾラが何やら難しいことを話しだしたのだが正直言って全然頭に入ってこない。


 聞きたい。


 「お前は僕の事が好きなのか?」と。


 しかしこのシチュエーションで聞くべきことではないし、何よりなんの脈絡もなくいきなりそんなこと尋ねたらただの「自意識過剰なイタい奴」である。


 少女漫画に出てくる「おもしれー女」とか呟く超上から目線の俺様系イケメンの出来上がりである。


 しかもそれを男に対してやるなど大事故になりかねないし、もしこれが勘違いであったなら逆にホモの疑惑をかけられないとも限らない。


「……つまり、アカシックレコードを既に手に入れている可能性が……」


「え? なに!? えっ!?」


 右から左で流れていた。


 唐突に耳に入った「アカシックレコード」……アルグスは焦った。何かとてつもなく重要な情報が彼から聞けたかもしれないのだ。


「ごめっ、ごめん、もっかい! もっかい言ってくれる!?」


「たのん……だぞ、アルグ……ス、世界の運命は、お前の……手に」


 そのままかくん、とゾラは脱力してしまった。


「うせやろ……」


 だらだらとアルグスの額から汗が噴き出てくる。しまった。最重要な情報を聞き逃したままゾラが息絶えてしまった。アルグスはがくがくとゾラの体をゆすって声をかける。


「ぞ、ゾラ!! 起きてくれ!!

 お願いだ!! お前が起きてくれないと僕はッ!!

 ゾラ!! 起きてくれ、ゾラァ!!」


「ぅ……アルグス……?」


 よかった。まだ生きていた。


 一瞬ホッとしたアルグスではあったが、しかしやはり事態は予断を許さない状況である。ゾラが瀕死であることに変わりはないのだ。


「ぞ、ゾラ……その……お前に聞かないと……伝えないといけないことが……」


 気ははやるものの、しかし言葉がなかなか出てこない。


 それもそのはず。「さっきのちゃんと聞いてなかったからもっかい言って?」とは瀕死の人間には言い難いのだ。


 ゾラは今にも消えてしまいそうな弱い力でアルグスの手を握った。


「うれしいぜ、アルグス……お前も俺と、同じ気持ちだったんだな……」


 同じ気持ちとは。


「いや……その……」


 しかしそれでもアルグスは煮え切らない態度。ゾラは全てを察したような顔をして、目をつぶり、そして唇を突き出した。


「え…………?」


 キス顔である。

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