第177話 死の帳
「魔剣野風が……発動?」
アンセさんが目を見開いてドラーガさんに尋ねると、ドラーガさんは短く「そうだ」とだけ答えた。いったいどういうことなの? 魔剣野風が見つかったということ? 急に奔流の如く入ってくる情報に頭が混乱する。
まず……私は口を開く。
「……魔剣が何故カルゴシアに? 私はてっきりムカフ島のどこかに眠っているものかと」
「そうだな……いや、俺もちょっと自分の中で情報を整理しながら話したい。順を追って話すぞ。こうなったら今更急いでも仕方ねえしな」
ドラーガさんはそう言うと大きく一つ深呼吸をしてまずクオスさんに飲み水を求め、ポーチから取り出した竹筒でのどを潤してからゆっくりと話し始めた。
「まず、野風はどこか別の場所に隠してあったわけじゃねえ」
何故そんなことが分かるんだろう。イリスウーフさんから聞いていたんだろうか。
「この戦いを左右する重要なアイテムなのに、あいつは目覚めてからもそれがまだ失われていないのか確認しようとすらしなかったからな。おそらくは肌身離さずに持っていたんだろうとは予想ついていた。これは多分七聖鍵も気づいていたと思うがな」
肌身離さず……う~ん、でも最初イリスウーフさんって全裸じゃなかったっけ? いったいどこに持っていたんだろう……? 女の子にだけある隠し場所とか……? いやいや、びっくりどっきり人間じゃないんだからそんなところに剣を隠せるはずないし。そんなところから剣を取り出したら魔剣の力よりもそっちの方が怖いよ。
「どこから話が漏れるか分からねえから俺も調子を合わせて『魔剣野風』と言っていたが、あいつ自身は一度も野風の事を『魔剣』とは言っていねえ。おそらく『剣』というのは俗説で……この状況から考えれば実際には『楽器』か、『呪文』の一種だろうな」
「それを……ずっと持っていたっていう事?」
アンセさんが呆然とした表情でドラーガさんに問いただす。その顔はみるみるうちに怒りに染まり、ドラーガさんの両肩を力強く掴んで、怒鳴るように問いかけた。
「ずっと隠して持っていたっていうの!? 皆がそれを探していたっていうのに!!」
う、アンセさん、何をそんなに怒っているの。
「みんながそれを追い求めていたっていうのに、それを横で見てあざ笑っていたの!? 野風をめぐってどれだけの血が流れたと思ってるの!! あれが無ければクオスも、アルグスも苦しむことはなかった! 町が襲われることも、大勢の市民が死ぬことだって、ゾラが死ぬ必要もなかったのよ!!」
「お、落ち着いてください、アンセさん!」
「マッピ、あなただって、イチェマルクを失うこともなかったのよ! それを、イリスウーフの勝手な判断のせいで……ッ!!」
「落ち着け、アンセ」
取り乱しているアンセさんに一言そう言って、ドラーガさんは階段の方に歩みを進めた。
「天文館の外に出るぞ。外で何が起こっているかを知れば、あいつが軽々に野風を取り出すことができなかった理由も、そしてそれを処分しようという気になれなかった理由も、全てわかる」
そう言ってドラーガさんは階段を下りて天文館の一階に向かっていく。この人は、今外で何が起きているのか、全て予想がついているんだろうか。
天文館の出口に向かいながら私は考える。
確か、野風には「争いを収める力がある」と聞いている。その効力を知っていれば、いざという時のために「処分する」という事がなかなか出来ない事は分かるけど、だったら、私達に野風を託してくれてもよさそうなものだけれど……信用がなかったのかなあ。
ドラーガさんは天文館の出口にまで来て、ゆっくりと扉を開けた。
外はまだ朝焼けの薄明りの中。ついさっきまで聞こえていた戦闘音や怒号、悲鳴は聞こえない。空恐ろしいほどに静かな、ある意味で言えばいつも通りの朝の町だ。
「これは……」
だが町は異様な光景であった。
ほんの、ついさきほどまでは市民と冒険者、それに魔族が入り乱れて、騎士団、それにオリジナルセゴーと戦っている筈だったが、もはやその面影もない、静かな町。
人々は項垂れ、路上に座り込み、そしてすすり泣いている。
異様なことに、敵同士だったはずの冒険者と騎士団の男がともに武器を放り投げ、隣り合って座って、涙ながらに互いを慰めている。
「争いのない世界だ。美しい光景だと思うか?」
ドラーガさんの問いかけにクオスさんとアンセさんはともに首を横に振る。私も同じ気持ちだ。戦いが収まった平和な世界というよりは、まるで町自体が死んでしまったかのような静寂。
市民たちのすすり泣きはそれこそ死者を悼む葬式の参列者のようだった。
「野風には、確かに『争いを収める力』がある。だが、争いってのはなんだ?」
その問いかけには、誰にもこたえられない。
「おそらくは、あの美しい笛の音にあてられて、誰もが、全ての生き物が、互いに憎しみあい、殺し合う気力を削がれる」
私にも耳を塞ぐまでのほんの少しの間、その笛の音は聞こえていた。確かに、涙が込み上げてくるような、儚くも美しい音色だった。
「『争い』とは、生きることの本質だ。ネズミは虫を捕まえ、ネズミは猫に食われ、その猫も鷹に捕まって食われる。その力を奪われたら生き物はどうなる?」
言っていることは分からないでもない。でも、動物の戦いと人の戦いは違う。話し合い、分かり合うことのできる人間には戦い合わずに済む方法もあるはずなのに。それを実現できるのが野風なんじゃないの?
「生態系の頂点に君臨する人間が、人間同士戦うのはある意味じゃ当然のことだ」
ドラーガさんは帯の中に入れていた一枚のコインを取り出した。それは、死の直前、デュラエスから託された金貨。
「誰もがこれを巡って争い合う。明日を生きるための一きれのパンを買うためにな」
究極的に言えば、確かにドラーガさんの言うことは正しいのかもしれない。デュラエスの言っていたことは、正しかったのかもしれない。
「人が生き物である限り、争いがこの世から無くなることは決してない。じゃあどうすればいい? どうすれば戦いから逃れられる?」
その答えがわかっていたら、実行できるものであれば、町はこんな有様にはなっていなかっただろう。
「これで野風が使えなかった理由がわかったろう? 争いを逃れる究極の形、それが旧カルゴシアの町の姿なのさ。『死』だけが、永遠に争いを逃れるただ一つの方法だ」
「ま、待って、ドラーガさん……」
静かに話を聞いていたクオスさんがドラーガさんに話しかけた。
「じゃあなぜ今『野風』が使われたんですか? イリスウーフさんはこうなることが分かってたんですよね?」
ドラーガさんは黙り、そしてゆっくりと辺りを見回してから答えた。
「おそらくはこの町の戦い自体が『野風』をおびき寄せるための『舞台』だったのさ。俺達はまんまとその手に乗っちまって、分断された」
ということは……? この町の戦いの発端はセゴーの暴走だったけど、後から現れた騎士団は市民を攻撃していた。そして、デュラエスの言葉が正しいなら、その指揮を執っていたのはガスタルデッロ……
「『野風』は、ガスタルデッロの手に落ちた」
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