第172話 敗北

「う……んん……」


「目が覚めたか、デュラエス」


 仰向けに寝転んだまま、ゆっくりと目を開いたデュラエスは辛そうに頭を左右にゆっくりと振って、周りの状況を確認した。二度、三度と大きな呼吸をし、そして目をつぶってから口を開いた。


「負けたのか……俺は」


「そうだ……だが負けたのは今じゃない。三百年前のあの日、お前は既に負けていたんだ。今までそれに気づかないふりをして、ずっと我儘を言っていたんだ」


「フッ……」


 鼻を鳴らして笑い、そして奴は口を開いた。


「何でもお見通しというわけか」


 あの日……というのがどの時点を指しているのかは分からない。いや、もしかするとそれはドラーガさんにも分かっていないのかもしれないけれど、しかし想像は出来る。


 カルゴシアは今現在人間の手に落ちているのだから。三百年前、ドラゴニュートは人類との戦争に敗れ、しかしそれを認められず、彼ら七聖鍵はずっと戦い続けてきた。「ドラゴニュートの復興」という錦の御旗を掲げて。


 いや……ゾラやアルテグラの態度を見ていると、その旗を見ていたのは、ただ一人、デュラエスだけだったのかもしれない。


「本当のことを言うとな……」


 ジワリとデュラエスの双眸に涙が滲んだような気がする。


「ずっと前からうすうす気づいてはいたんだ」


「敗北していることにか?」


 しかしドラーガさんの言葉にデュラエスは力なく首を振った。


「俺にはもう、やるべき事も、やりたい事も、なにも残ってないって事にだ」


 自嘲気味にそう叫ぶデュラエス。ドラーガさんは天文館で言っていた。彼らが負けたのは、転生法を行って、生殖能力を失った時だと。それに気づかないふりをして、今までずっと「まだ負けていない」と強弁し続けていたのだ。敗北に納得がいかなくて。


「ドラゴニュートは、人よりも力が強く、竜言語魔法が使え、寿命が長い。人間の様な劣等種族に、負けるはずがないと思っていた。これは何かの間違いだと。もう一度やれば人間などに負けるはずがないと」


 彼は今正気なのだろうか。まるで誰かに、私達ではない誰かに話しかけるように、滔々と言葉を続けるデュラエス。


「自分勝手な我儘で、多くの命を犠牲にしてきた。俺が余計な事をしなければ、輝く未来が待っていただろう若い命を、奪い続けてきた……俺が命を貰い受けた方がきっとそれを有用に生かせると言い訳して」


 デュラエスは目を閉じてから明け、空中に視点を合わせたまま言葉を続ける。


「ヴェルニー、アイントホーフ、ヨッコ、ヴァリエステス、シンドゥービ、ワイヤック、ジョンソンバード……」


 何を言っているんだろう……呪文ではなさそうだけど、これは……人の名前?


「お前が今まで転生の素体に使ってきた、人間の名前か」


「そうだ……俺は、彼らに謝らなきゃならない。

 ああ、すまない。本当にすまない!! 自分勝手で我儘な老人の戯言につき合わせて、その命を無理やり差し出させるなど!! 謝って許されることではない。それでも俺には、もう謝る事しか……」


 この人は、今までの転生に使った人、一人一人の名前を憶えて……きっと、たった一人で、罪の意識に苦しみながら、それでも「自分は間違っていない」と言って自分自身を奮い立たせていたんだろう。


 それはきっと間違ったことだと思うけど、それでも彼は彼なりに戦ってきたのだ。


「俺達はこれからガスタルデッロを止めに行く。お前はどうする?」


 ドラーガさんが尋ねると、デュラエスはゆっくりと上半身を起こして胡坐をかいて地べたに座った。


「俺は……ここにこのまま残り、ゆっくりと死ぬその時まで、自分の罪と向き合おうと思う。玄室の奥、俺の座っていた椅子の向こうに、魔法陣がある。そこから帰れるはずだ」


 デュラエスはゆっくりと顔を上げて私に目を合わせた。その顔は、この数分で何十年も年をとった老人のように見える。


「向こうの世界に戻ったら、魔法陣を消してくれ。……それと、もう一つ」


 デュラエスは懐から一枚の金貨を取り出した。


「これを……受け取ってくれ」


 この金貨はいったい?


 デュラエスはゆっくりと自分の過去を話し始めた。三百年前に何があったのかを。



――――――――――――――――


 あの日……人間と竜人族ドラゴニュートの全面戦争が始まった時、俺とガスタルデッロはその戦場にはいなかった。


 人間と竜人が真正面からぶつかれば俺達がいなくとも負けるはずはないと思っていたし、それよりもはるかに気にすべきことが別にあった。


 ムカフ島を根城にしている、イリスウーフの兄であるワイウードが怪しげな魔道具を作り、それで両者の激突を止めようとしているという情報を掴んだんだ。


 ガスタルデッロはワイウードと懇意だったらしいが俺は奴の事を知らなかった。


 俺は焦った。


 何か強力な武器を作って、ドラゴニュートを裏切ってそれを旗色の悪かった人間に渡そうとしているんじゃないのかと考えたからだ。カルゴシアの支配者となるために。


 俺とガスタルデッロはムカフ島のワイウードの隠れ家に訪ねて行ったが、しかしそこは既にもぬけの殻だった。


 まだムカフ島とカルゴシアが火山活動で繋がる前。


 海の向こうで俺達は人間達とドラゴニュートの衝突を遠くで見ている事しかできなかった。


 戦乱の炎はたったの数時間で収まった。入れ違いにワイウードが魔道具を完成させ、それで戦いを収めたのだと、すぐに俺達は理解した。


 だが、戦いに勝利した者達の歓喜の声も聞こえなければ、町についた炎を消そうとする喧噪も聞こえない。


 全てが死に絶えたような静寂だった。


 町に戻った俺達はその有様に驚愕した。


 てっきりすべてを破壊して力づくで争いを治めた強力な攻撃の爪痕が残っているだろうと思ったのに、そんなものは全くなかったからだ。


 町はまるでスラムの様な荒れようだった。


 乞食のように路上に寝そべる人間、何をするでもなく空を見上げているだけの若者。貧民だけではない。町を守っていた衛兵も、偉そうにしていた貴族も、そしてドラゴニュートですらも同じように、生気を失い、生ける屍のように呆然とたたずみ、そしてぶつぶつと何かをしきりに呟き、涙を流していた。


 誰に話を聞こうとしても、殴りつけて無理やり喋らせようとしても、返ってくるのは同じ。ただただ、己の愚かさと、争う事の無意味さを嘆き、呪う声だけだった。


 俺は一人の若者を殴りつけ、剣を抜いて首に刃を当てて尋ねた。「この町で何が起こったのか」、「答えねば首を刎ねてやる」と。


 しかしそれでもそいつは何も答えず、ただ、切りやすいように髪をかき上げて首を差し出すだけだった。


 そんな状態が何週間も続き、やがて自ら命を絶つ者が現れ始め、食事もとろうとせずに餓死する者達が続出し、そうしてカルゴシアの町は、人もドラゴニュートも全てが死に絶え、消滅した。


 俺は理解した。ワイウードの作り出した魔剣、野風が人の魂を喰らい、命を奪い去ったのだと。

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