第139話 波動の弓使い

アルグスは矢の飛んできた方向を睨む。


しかし何も見えない。夜のとばりのせいか。


「静か……ですね」


 イリスウーフの言葉の通りだ。何も聞こえない。ついさきほどまではティアグラの追っ手が攻めてきて、それをアルグスがトルトゥーガで蹴散らしていた。もちろん相手を殺さないように手加減をして入るのだが、付近の住民も巻き込まれまいと距離をとったのか、辺りからは何の音もしない。


「追ってきたのは……一人か」


 二人以上ならば連携をとるための声が聞こえるはず。しかし何も聞こえない。ただただ、静寂。


 ヒュン、と、また風を切る音。アルグスは目を凝らすが、しかし矢は見えない。


「後ろです!!」


 イリスウーフの声が聞こえ、振り向くと彼女が飛んできた矢を竜化した腕で叩き落していた。


「なに!? 一人じゃないのか!?」


 先ほど矢が飛んできた場所とは全くの反対方向から矢が飛んできたのだ知らぬ間に挟み撃ちにされていたのか。


 しかし考えている間もなく次々と矢が飛んでくる。アンセを中心に二人が道の両側に立って矢を落とす。ビィン、という弓の弦から聞こえる音、それに遅れて跳んでくる矢。


「何か……妙だ」


 アルグスが耳の後ろに手を当てる。


 またもビィン、と弦の音が聞こえ、遅れて矢が飛んでくるが。


「やっぱりおかしい。矢が放たれてるのは路上からじゃない!」


 アルグスが言うには、この矢は道のその先、暗闇の中から放たれてきているのではないというのだ。


「アルグスさん、矢の軌道が山なりです。もしや、曲射と言うやつでは?」


 イリスウーフのその発言にアルグスは思わず目を剥く。


 もしそうだとしたら、あまりにも彼の知っている「曲射」とは次元の違う技術だからだ。


 集団戦で多数の敵の中に適当な狙いで打ち込むのなら問題ない。しかしそうでなければ基本的に「曲射」というものは当たらないのだ。


 もし的に当てようというのなら、何度も打ち込みながら細かく弾道補正を行い、風を読み、それでようやく当てられるというもの。


 だが今アルグス達を狙っている者は全く姿を見せていない。着弾地点の確認すら全くしていないのに、「一射目」から見事にアルグス達に狙いをつけてきたのだ。


「走るぞ! ここにいると狙い撃ちにされる!!」


 アルグスが叫ぶ。確かに同じ場所にとどまっていては一方的に打ち込まれるだけである。走り、逃げ回り、どうやって狙いをつけているのかを知り、そして敵を見つけねばならない。そのために今は走るのだ。


「アンセ、風魔法で敵の弓矢を妨害できないか?」


「もう……」


 アンセは走りながら真っ暗な空を見上げる。



 やっている。やっているが、しかし効果が無いのだ。話している間にも断続的に矢は空から降ってくる。それは何を意味するのか。


 すなわち、敵も風魔法の使い手であるという事だ。ならばこの曲射は風魔法を既に使用していて、それによって細かい弾道補正をしている可能性が高い。


 だがそれにしてもまだ分からない部分がある。


 こちらからは敵の位置を視認できないというのに、相手はどうやってこちらの位置を確認しているというのか。


 アルグスが先頭になって走っている間も矢は飛んでくる。


(いったいどうやって……相手は何者だ……? こんな使い手の噂は聞いたことが無い……いや、一人だけ。一人だけこんなことがやれそうな人物が……)


「アルグスさん危ない!!」


 一瞬の油断だった。


「ぐあっ!?」


 背後、いや、後方上部から左の肩甲骨を貫かれた。


「ぐぅ……」


「アルグス! 大丈夫!?」


 アンセに気遣われるが、しかし自分の怪我の状況を確認するよりも先にトルトゥーガを右手に持ち替える。今はこの盾が生命線なのだ。


「内臓は、傷ついていないと思う……立てる? アルグス。動き続けなければじり貧よ」


 彼女の言う通りなのだ。移動しているときは、最初に矢の襲撃を受けた場所にとどまっていた時よりも明らかに攻撃のペースが鈍っていた。それも当然。敵がどうやってアルグス達の場所を割り出しているのかは分からないが、矢を打つたびに位置確認をしなければならないからである。


 三人はまたも走り始める。早くなくてよい。動き続ければそれで的を絞らせないことができる。今は目的地への移動よりも先に優先すべきことがあるのだ。


「アルグスさん、一つ気付いたことがあります」


 走りながらイリスウーフが話しかける。アルグスは苦しそうな表情で振り向いた。


「時々、矢を放たずに、弦だけを鳴らしている時があります」


「……鳴弦めいげんを……?」


鳴弦めいげんとは、シャーマニズムに於いて行われる悪魔払いの作法の一種で、矢をつがえずに弓の弦を引き、強く打ち鳴らす行為を指す。弦打つるうちとも呼ばれる。


「何故そんなことを」


 だがアルグスには心当たりがあった。


 以前に見たことがあるからだ。


 音を鳴らすことでその反射音から周囲の地形を把握する術を。


 音……波には「回折現象」というものが起きる。それは媒質中を伝わる波が障害物にぶつかった時、その端に於いて波が回り込み、直線で結べない障害物の反対側まで到達する現象の事である。


 もし鳴弦が「音」を鳴らすことを目的としたものであるならば。


 そして最初から感じていた違和感。弓の弦の音は、くぐもったような小さい音ではあったが、距離から来る小ささというよりは遮蔽物によるものであったように感じていたのだ。


 当初は遮蔽物を挟んで敵を射抜くなどという考えが無かったのでこの可能性を「気のせい」として排除した。


 その後、「曲射」という答えにたどり着いた時にもやはり遮蔽物を挟んでは着弾地点の確認ができない、としてこの可能性をやはり排除した。


 だが、ここに来て全てが繋がったのだ。


 エコーロケーション、そしてそれを行うための鳴弦であったならば。


 ビィン、という弦の音、そして矢が飛んでくる。


(だめだ)


 飛んでくる矢を盾で受けながらアルグスは考える。


(弦の音が聞こえて、それから攻撃していては間に合わない。矢を放ったらもうその場所からは移動するはず。一撃で決めないと、


 追い詰めた。


 まだ相手の場所を突き止めてもいないし、攻撃も仕掛けていない。しかし「追い詰めて」いるのだ。相手にも気づかれないうちに。あと一枚ピースが揃えば、反撃に転じることができる。


 冒険者のさが、興奮のあまりすべての思考が飛ぶ。左肩の痛みも、そして「何かを思い出しそうだった」こともすべて忘れてしまっていた。


(確実に、殺せるときにしないと……相手が動きを止めているとき、止めざるを得ない時に、相手が音を発してくれれば……)


 走りながら、いつのまにか彼は笑みを浮かべていた。


 まるで獲物を追い詰めた肉食獣が歯を剥きだすように。


 その時、どこからか飛んできた矢が、追跡者とは別のものと思われる矢が、アルグスが「およそこのあたりだろう」と予測していた壁の向こうに吸い込まれるように飛んで行った。


「キャアッ!!」


 女の声。誰の矢かは分からなかったが、しかし追跡者に命中したのだ。


 アルグスは盾を投げ捨て、すぐに右手で剣を抜き、左手で柄頭を支え、石壁ごと敵を貫いた。

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