第135話 イチェマルク第三形態
「曲者だ! 出会え!! 出会え!!」
おそらくは警備兵だろう。遠くから叫び声が聞こえたのだ。顔は平静を装っているものの、しかし私の心臓の鼓動が早まる。
このタイミングで「曲者」と言えば、おそらくはイチェマルクさんに違いないからだ。
まさか、見つかってしまったのか。
「てぃ、ティアグラ様! 不審者が!!」
「あ」
「あ」
思わず固まってしまう。
なんとティアグラに不審者の侵入を伝えに来たのはレタッサさんだったのだ。
ど、どういう……
何がどうなっているのか……まさかとは思うけど、イチェマルクさんがレタッサさんの説得に失敗した、なんてことはないよね? いくら何でも。
「あら、あなた達お知り合いなの?」
「あ、いや……」
二人とも言葉を濁して目を逸らす。
「いぎっ!?」
私の脇腹をドラーガさんがつねった。だって、しょうがないじゃん、思わず「あ」って言っちゃったんだから! と、思ったけどよくよく考えたらまずかったのは「あ」の方じゃなくてその後ごまかしたことの方か。
だってレタッサさんはティアグラの指示で私達を襲ってるんだもん。お知り合いで当たり前。ここは「この間私達を襲った奴!!」とか言ってレタッサさんを睨みつけるのが正解だったんだ。
「うふふ、やっぱりそういう事だったのね」
今のやり取りでティアグラは話の概要を理解したようだ。どんどんドツボに嵌っていく。
と、とりあえず何が起きたのか現状把握をしなければ。最悪の場合すぐにでもここを離脱する必要がある。
レタッサさんが走ってきた方を見てみると、照明にうすぼんやりとしか見えないけれど、時折金属のきらめきが見える。衛兵が数名がかりで何者かを取り囲んで攻撃しているようだ。
「何者か」というかまあ、十中八九イチェマルクさんなんだろうけど。
だんだんと目が慣れて暗闇の奥にあるものが見えてきた。
ん……これ、とんでもないレベルの戦いなのでは……?
闇夜の中にいたのは6人ほどの衛兵。それぞれが短めの槍を持っており、彼らの中心にいる何者かに矢継ぎ早に攻撃を仕掛け続けている。パッと見ただけでも分かる。ティアグラが自分の屋敷の警備を任せているだけあってかなりの手練れだ。
しかしその攻撃をはるかに上回る速度で潜り抜けるように躱し続ける曲者、それは間違いなくイチェマルクさんだった。スウェー、パリィ、ウィービング、さらには回り込み、敵自身の体を盾にして躱す。
人間にこんな動きができるなんて……レタッサさんとイチェマルクさんの間に何があったのかは知らないけど、こんなすごい人を不審者扱いするなんて。
闇の中に動き回る黒い影。影の中には白い布も見える。潜入する前あんな服着てたかな。警備兵たちは息が切れてきたのか、それともタイミングを合わせたいのか、イチェマルクさんを取り囲んでいったん止まり、イチェマルクさんもそれに合わせて止まって息を整える。
ん……っていうか、この服……
メイド服やんけ。
不審者だったわ。
レタッサさんの言うことが正しかった。そりゃ説得にも失敗するわ。
「今だ!!」
っと、そんなことを考えているうちに衛兵が攻撃を開始した。イチェマルクさんを挟み撃ちにするように二人が槍で攻撃、それを両手でパリィしたところに残りの四人が一斉攻撃! これはまずい。
イチェマルクさんはその突きを紙一重で身をよじりながら躱し、そして回転しながら体勢を立て直す。着ていた服は槍の穂先に切り裂かれてバラバラになった……んだけど……
なんで?
なんで下着まで女物のパンツとブラジャーをつけてるの?
それ要る?
百歩譲って収まりが悪いからパンツは履いたとしてもよ? ブラは必要?
不審者って言うか変質者じゃん。
「くっ、さすがは七聖鍵のイチェマルク、か……」
衛兵の一人が歯噛みする。
いやまあ、さすがって言うかさあ。全裸に女性もののパンツとブラをつけて、そして頭にはヘッドドレスをつけている男がそこにはいるわけで。
さすがって言えばさすがなんだけどさあ。
「レタッサ、お前は騙されているんだ!!」
イチェマルクさんがレタッサさんに語り掛けるけど、彼女は怯えた表情で視線を逸らすだけ。
なるほどね。
そりゃ説得失敗するわけだわ。服装に説得力がないもん。
しかしイチェマルクさんがレタッサさんに視線をやった瞬間、その隙を逃さずに衛兵は時間差で攻撃を仕掛ける。
さしものイチェマルクさんもこの連携には追い詰められ、そして詰将棋の様に逃げ道を塞がれた。危ない。槍がイチェマルクさんを捉えた! と思った時だった。
その刹那、イチェマルクさんは白い霧になって少し離れた場所に一瞬で移動した。
ああ……これは、ねぇ……その場にパンツとブラがぱさりと落ちる。ついでにヘッドドレスも。
ぶらん。
と再びイチェマルクさんが姿を現した。
もうね。
なんだろね。
この人、お約束だね。当然のように全裸で再び構えをとる。
「くそっ、ちょこまかと!!」
衛兵がさらに増え、今度は十人ほどでイチェマルクさんを取り囲んだ……のだが。
はっきり言って私は目で追う事すらできなかった。夜で視界が暗いせいもあるが、まるで空中を泳ぐ鰯の様に槍をすり抜け、距離を取り、あっという間に包囲網から抜け出した。
アルマーさんが「全裸は忍者の正装」とか言っていたが、本当にこれまでとは比較にすらならない異常なスピードだ。
「レタッサ! 俺を信じてくれ!!」
だから無理だって。
第三形態に進化したイチェマルクさんはあまりにも早すぎて、もはや「気持ち悪い」としか形容のしようがない動きで衛兵たちの攻撃を捌いていく。全裸で。
「さて、これで全容が分かったわねぇ」
イチェマルクさんと衛兵達の攻防が続く中、口を開いたのはティアグラだった。そうだ。余りにもイチェマルクさんの登場が異様だったのですっかり忘れていた。
「あなた達が正面から着て陽動している間に私の大切な家族を攫おうっていう魂胆だったのね……」
そう言ってティアグラはレタッサさんを抱きしめ、そして私達だけに見えるようにニヤリと笑みを見せた。
「こいつらも曲者よ。私から家族を奪おうというメッツァトルを捕らえろ!!」
イチェマルクさんが衛兵を引き付けている間にも兵たちは集まり続けていた。そして彼らが標的にするのは私達なのだ。
「ま、まずいわ、アルグス、逃げるわよ!」
そう言ってアンセさんがアルグさんの腕を引く。
アルグスさんは悔しそうな表情を見せたが、しかしそれでも私達に「逃げる」以外の選択肢などなかった。
なぜならこの屋敷に詰めている衛兵のほとんどは「孤児院」の「卒業生」なのだ。彼らを傷つけることは出来ない。
そして一方的に攻撃されたなら、私達にはイチェマルクさんみたいにそれを捌き続けるだけの能力はない。是非もなく、逃げるしか選択肢が残されてないのだ。
私達は、脇目も振らずに屋敷の外へ駆け出した。
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