第128話 めちゃめちゃ感情あるやん
ひゅん、と風を切る音がし、塀の上にロープのついた何かが投げ込まれる。
不思議なことにその投げ込まれた物は器用に塀の頂点に着地し、侵入者を防ぐための鉄柵にロープを結び付けた。秋も深まる夜闇の中、アルテグラの屋敷に忍び込もうとする二つの影。
ロープを縛り付けた小さい影は“人形使い”クラリス。
そしてそのロープを二度、三度と引き、強度を十分に確認してからするすると昇り始める子供の人影、彼女の傍仕えの
「わ、私一人で十分だったのに……」
危なっかしい動きでようやく塀を登り切ったターニーを見てクラリスはそう言った。
「主人が危険を冒しているというのに私が屋敷でじっとしているなんてできませんよ」
そう答えてターニーは、今度はクラリスを肩に乗せたままひょいと塀の上から屋敷の敷地内に飛び降りた。慎重に、慎重に辺りに何者かがいないか確認する。
二人はアルグスからの依頼を受けて、アルテグラの屋敷の中にクオスがいないかを確認しに来たのだ。
だが、明らかにターニーは不満そうな表情をしている。
それもそのはず。元々クラリスは七聖鍵を完全に裏切ったわけではなかったのだ。あくまでも中立という立場で以てドラーガ達に同行していたに過ぎない。その微妙な立場がこの作戦によって完全に崩れてしまうことになる。アルグスの依頼が自分の主人を大きく危険に陥れる行為であり、彼としては到底受け入れられるものではない。
甚だしくはどうやらアルグスはそのこと自体をどうも理解していないような節があるからだ。もはや「クラリスは仲間だ」と思い込んでいる、と。
「そ、そんな顔をしない、ターニー」
表情に険が出ていることに気付いたクラリスが声をかける。しかしそれでも。
「こんなことをして一体クラリス様にどんな利点があるというんですか」
率直に不満を漏らしたターニーに、クラリスは視線を背けた。
「と、友達を助けるのは、あ、当たり前の事。『得』とか『損』とかじゃ、ない」
そう言ってクラリスはターニーの体をよじ登り、肩の上に乗る。ターニーは彼女がしっかりしがみついたことを確認すると、事前に指示された屋敷の裏手のとある場所に向かう。
屋敷の裏手、上の方の壁には穴が見える。どうやら排気のための通風孔。そしてターニーの立っている場所のすぐ近くにも穴。これはどうやら老朽化で破損した物のようである。この穴が通風孔に繋がっているらしいのだ。
「こ、ここから忍び込むから、待ってて」
そう言うとクラリスは彼の腕をつたって穴の中に入っていった。
これで「行き」の彼の仕事はお終い。ため息をついて、ふっと下弦の月がその姿を寂しげに浮かべている空を見上げる。クラリスが潜入すると聞いて彼も志願してアルテグラの屋敷に赴いたものの、正直言ってやることはあまりない。
「転生法」はクラリスとアルテグラが共同研究して制作した秘法である。魔石を扱う術についてはアルテグラが、死体を操る術に関しては主にクラリスが担当しており、その関係でクラリスはアルテグラの屋敷の構造に詳しく、進入できる経路を知っていたのだ。
「何してるんだろうな……僕は」
月を見上げながらそんなことを呟く。月の明かりを、枯れ枝がぱらぱらと遮る。
「友達」だとか「仲間」だなどと、考えたこともなかった。屋敷にいる他のオートマタにもゴーレムにも、感情はなく、仲間意識など持ったことはない。クラリス自身も、以前はそんなことを言う人間ではなかったはずだった。ドラーガ達と行動をするようになって、どうやら彼女の意識に何か変化が表れてきたようだ、それだけは確かであった。
そこまで考えて、ふと思い出した。今行方を捜しているクオスという人物、よくよく考えてみれば以前にメッツァトルのアジトを訪ねた時に恋愛相談をした人物であったと。だがそれでも彼の胸の内には特に何の感慨も湧かない。「助けなければ」という使命感も、彼女の身を案じる不安感もだ。
やはりこういうところが自分と、人間であるクラリス達との違いなのか、と妙に腑に落ちた。
「こんなところで……何をしているの……?」
一瞬の風の後、後ろから声が投げかけられた。風の音に紛れて、何者かに後ろを取られたのだ。
「振り向くな」
聞き覚えのある若い女性の声。間違いない。この声は、クラリスのお目当ての人物、クオスの声に違いない。
全くの予想外であった。クオスがこの屋敷にいるかどうかは半信半疑であったものの、しかしいるとすれば囚われているものとばかり思っていた。まさか自由に歩き回っているなどとは思いもよらなかった。
ぎり、と弓を引き絞る音が聞こえる。
「下手に動けば撃つ。こんなところに、何をしに来たの」
「脅迫のつもりですか……無駄です。オートマタである僕に感情はない。恐怖も感じません」
「脅しじゃないわ。この矢を放つだけであなたはもう死ぬ。いくらオートマタだって死にたくはないでしょう」
「フ……滑稽ですね。感情のないオートマタが死を恐れるとでも?」
「『滑稽』って感じてるじゃん……感情あるじゃん」
「あ……?」
その言葉に思わず眉間に皺を寄せてターニーは振り向く。薄暗い月明かりの中弓を構えているのは、やはりクオスであったが、しかしそれよりも彼女のセリフが聞き捨てならなかった。
「いいですか、オートマタである僕に、感情などという非効率なものは……」
「だから感情あるじゃん。『滑稽』って面白いって意味でしょ」
二人の間に風が吹く。
「チッ……イラつくなぁ。
そんな事より、僕達はアルグスさんの依頼を受けて……」
「イラついてるじゃん。やっぱり感情あるじゃん」
ダンッ、とターニーは地面を踏みしめる。
「だから! もうその話はいいでしょうが!!
感情なんかないってさっきから……」
「感情あるじゃん! めちゃめちゃ怒ってるじゃん!!」
その時だった。屋敷の外壁に空いている穴からクラリスが飛び出てターニーの肩にしがみついた。
「ターニー! 逃げて! 中にとんでもない化け物……く、クオス!?」
「クラリス先生!」
クオスの方も突然のクラリスの登場に面食らったようでピンと張りつめていた弓の弦を緩めてしまう。その刹那の隙であった。
ターニーが駆け出したのは。
「ちょ、ちょっとターニー!?」
「クオスさんは様子がおかしいです! ここにいるのは分かったんですから、一旦離脱します!!」
身を低くし、あまり刈り込まれていない低木を盾にし、即座に侵入してきた元の壁際まで戻る。そのままロープを引き、駆けるように壁を登り、ターニーはあっという間に敷地の外に逃げた。
クオスは弓に矢をつがえ直し、再びターニーの背中に照準を合わせていたものの、しかし悲しい表情をして目を伏せた。
「ごめんなさい……先生。私はもう……メッツァトルには、戻れません。
メッツァトルだけじゃない。私の居場所は、もうどこにも……」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます