第88話 結局燃やされる

 私がカルナ=カルアの治療を終えてドラーガさんに合流すると、アルグスさん達は納屋の外に5メートルほどの深さの墓穴を掘って、そこに骸骨を埋めていた。私は後から来たのでいまいち状況が把握できなかったけど、結局この骸骨は何だったんだろう?


(ご、ごめん。本当にごめん、アルテグラ……)


 妙に熱心にクラリスさんが祈っていたのが印象的だった。意外に信心深い人なのかな。


 なぜそんなに異様に深い墓穴を掘ったのかと言えばドラーガさんが「周りにいるモンスターに掘り返されたりしたら可哀そうだから」と急に主張し始めたからだそうだ。


 それはさておき。


「さてヴァンフルフ。僕達の要求はただ一つだけだ。分かるね」


 アルグスさんがそう話しかけると、ヴァンフルフはゆっくりと目を閉じて精神を集中させる。


 すると彼の身体から蒸気が吹き出すように白い煙が溢れ、みるみるうちに体が膨張し、グレイの剛毛が伸びはじめ、あっという間に身の丈2メートルにも及ぶ巨大な狼男の姿に戻った。う~ん、いつ見てもあの美少年とこの狼男が同一人物とは信じられない。


「じゃあ、撤退の合図を出すから、耳を塞いでいて」


 私達が耳を塞ぐとヴァンフルフは大きく息を吸い込む。その筋肉に包まれた胸が一回りも二回りも大きく膨らむ。そう、私達の魔族への要求はただ一つ、カルゴシアの町からの撤退だ。


 大きく吸い込んだ息を吐き出しながら、ヴァンフルフが遠吠えをする。それを近くで聞いている私達は耳を塞いでいてもなおも骨まで揺らすような大音量に恐怖すら覚えていた。


 だがこの遠吠えできっとモンスター達は引き上げていくはずなのだ。そろそろ陽も暮れる。何とか夜が訪れる前に事を治めることができそうだ。尤もそれが本当に撤退の合図ならば、という条件付きではあるけど。


 しかしその心配は思わぬ声で解消されることとなった。


「ヴァンフルフ! てめえどういうつもりだ!!」


「カルナ=カルア! 生きて……」


 ビルギッタに肩を貸してもらってようやく歩いているカルナ=カルア。私は回復魔法で彼の怪我を治しはしたが、打撃のショックからかすぐには意識を取り戻さなかったのでビルギッタさんに看病して貰っていたのだけど、どうやらようやく立ち上がることができたみたいだ。


 しかしそれでも体の芯まで打ち込まれたアルグスさんの拳の後遺症はまだ残っているようではあったが。


「どういうつもりだ! なんで勝手に撤退の合図なんか出しやがった!!」


「おちついて、カルナ=カルア! 私達はもう負け……キャッ」


 「負けた」……その言葉を口にしようとしたビルギッタをカルナ=カルアは突き飛ばした。


「ふざけるな……俺はまだ、俺はまだ負けてねえ!!」


 そう強がる彼の足取りには未だ以前のような力強さは感じられない。敵の情けを受けてかろうじて繋がった命の糸。それを無視して「負けてない」などと嘯いてもそれは誰の耳にも強がりにしか聞こえない。


「俺と……俺ともう一度戦え、アルグス!!」


「……手加減は……できないぞ」


 アルグスさんの表情にはいつものような明るい光は無い。彼自身、今回の魔物の襲撃にはいろいろと思うところがあったんだと思う。多くの犠牲者がでている。「撤退したからそれでチャラ」とは簡単に言えないのだ。


「人間ってだけで、勇者ってだけで、まるで世界に愛されたかのようにでかい顔しやがって……俺は、おめえみてえなやつが一番気に食わねえんだ……ッ!! 驕り高ぶって勇者なんて自称する奴は全員ぶち殺してやる!!」


 殺意を秘めた瞳で、ゆっくりと二人は正対する。


「往生際の悪い奴だぜ」


 だが二人の拳が交わることは無かった。最初は何か、ぼろきれのような物が風に飛ばされてきたのかと思ったが違った。人だ。


 木の葉が風に舞う様に人の身体が舞い、そしてなんとカルナ=カルアの頭の上に直立した。体力の回復していないカルナ=カルアの頭の上にだ。正中線の上に完全に重なって立つその姿は、先ほどまで死にかけていたはずのカルナ=カルアの上でも全く揺らぐことがない。


「てめえは戦士失格だ。負けを認められずに駄々をこねてるだけだ」


 現れたのは七聖鍵の一人“狂犬”ゾラ。


 カルナ=カルアは身動き一つとることができないが、しかしたとえできたとしてもゾラがそれを許さなかっただろう。彼の足元から炎が下に向かって、カルナ=カルアの身体を包み込んだ。


「グワーーーーーッ!!」


 白く発光する炎の柱は余すことなく彼の身体を燃やし尽くし、ほんの数秒でカルナ=カルアの身体はひとかけらの炭になり、ゾラはその上に降り立った。


「お前は……」


 アルグスさんの表情が恐怖と困惑に歪む。


「淫紋のゾラ!!」


「淫紋じゃねーわ!!」


 ドラーガさんの言葉に即座にゾラがツッコミを入れる。相変わらず妙に仲がいいな、この二人。


「お前さあ……」


 ドラーガさんは彼のツッコミなど物ともせずに無造作にゾラに近づいていった。


「なんで今日はシャツ着てんだよ」


 確かに。今まではずっと上半身裸だったのに何故? というか何となくその理由は分かるんだけれども。


「…………もう秋だし……冷えてきたろ」


 違うでしょ。淫紋が恥ずかしいんでしょ。


「その話はどうでもいいんだよ!!」


 まあ。それは今確かにどうでもいい。そんなことよりも、ただならぬ怒気をまとう人がここに一人。


「貴様ァ!! よくもカルナ=カルアを!!」


 ビルギッタだ。彼女からすれば大事な仲間であるカルナ=カルアを目の前で問答無用で殺されたのだ。七聖鍵と敵対することは望まない彼女も、これを見過ごすことなどできない。


「雑魚が吠えるな」


「なんだと!!」


 その瞬間ビルギッタの体が揺らぐように見えた。一瞬の幻惑。彼女は数百度の空気の層をゾラと自分の間に作り出し、遠近感を狂わせると同時に距離を詰め、その右手には鋭い爪とともに火球が作り出されている。


 まさしく「神速」と言ってもいい踏み込みだったと思う。とても私に反応できるスピードではなかったけど、その拳がゾラに届くことはなかった。確かに当たったように見えたのに、その場所にゾラはいなかったのだ。


 ビルギッタのねらいを付けた場所よりもおよそ一歩半ほど離れた場所にゾラはいた。


「蜃気楼ごときで俺をごまかせると思ったか? その程度の技は俺にも出来んだよ」


 どうやらゾラの方も蜃気楼を使ってビルギッタの遠近感を狂わせていたようだ。そして彼は隙だらけのビルギッタに拳を突き出す。


「幻魔拳」


 しかし彼の拳はビルギッタに当たる寸前で止まった。止まったように見えたのだが……


「う……うわあああぁぁぁぁ!!」


 ビルギッタが恐怖に顔をゆがめ、両手で顔を覆ってその場に崩れ落ちる。いったい何が起きたの!?


「ああああ!! 炎が! 炎がああぁぁ!!」


 地面の上を転がり周りながら悶え苦しむビルギッタ。いったい彼女に何が見えているのかは分からないが、自分の体を叩き、掻き毟り、その鋭い爪で美しく整った顔があっという間に血塗れになっていく。


「マ、マッピ! クオス!! ビルギッタを取り押さえて!! げ、幻覚を見せられている!!」


 クラリスさんの声に私とクオスさんはあわてて彼女を羽交い締めにして取り押さえる。それにしても凄い力だ。


 取り押さえてもビルギッタの恐慌状態は収まらなかったけれど、やがて糸の切れた操り人形のように意識を失った。


 夕焼けの光に紅く周りが染まる中、魔物の襲撃も収まり、ようやくあたりは静かになった。


「いったい何の用なの……ゾラ」


 アンセさんが真剣な表情で訪ねる。


「ちょっとツラ貸せや、アルグス……」


 その言葉にアンセさんの瞳が輝いたような気がした。

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