第80話 レッドドラゴン

 ヴァンフルフは、不得意な木登りをして、辺りで一番高い木の枝から周囲を観察する。それぞれ散開してイリスウーフを探す四天王。


 彼だけは一人ムカフ島とカルゴシアの町の間に残り、イリスウーフの匂いを探る役目を仰せつかっていた。その眼下では人とモンスターの戦いが繰り広げられている。


 事前の話し合いでは魔族はカルゴシアを人間に取って代わって奪うつもりは無かった。元々それだけの頭数はいない。支配者として人間の上に君臨し、自分達が安心して暮らせる生存領域を確保するのが目的だった。


 それ故人間への攻撃は衛兵や冒険者にとどめ、いらぬヘイトを集めないというのがギルド側との打ち合わせで決められていたことであった。しかし今の状況はこれを完全に覆すものだった。


 攻めているのは自分達であるが、同時にこれが追い詰められたが故のやけっぱちのように思えて仕方なかった。


「ヴァンフルフさん、ヴァンフルフさン!!」


 自分を呼ぶ声の方に視線をやる。


「ブラックモア!」


 声をかけたのはボロボロのくすんだローブに身を包んだ骸骨、四天王の一人、リッチのブラックモアであった。


「一体何が!? なぜ打ち合わせにない襲撃を?」


 この絶望的な攻勢の中、砕け散ってしまいそうだった臆病なヴァンフルフの心は、仲間の出現でようやく安どのため息を漏らしたようだった。



――――――――――――――――


「ヴオオォォォォ……」


 カルナ=カルアが竜の頭から近くの民家の屋根に飛び移ると、レッドドラゴンは大きく首を振り回し、そしてアルグスへ向けて大きく口を開き、炎を吐き出した。


「燃えちまえ、勇者!! これで燃やされる側の気持ちが……む!?」


 ドラゴンブレスを見て上機嫌に高笑いをしようとしたカルナ=カルアであったが、何か様子がおかしい。見ればアルグスに吹き付けられたブレスは彼の盾を中心に、まるで避ける様に散っているのだ。


「こんなものか!」


 アルグスはブレスを何の消耗もなくしのぎ切った。ほんの1メートルほどの直径の丸盾でだ。


 もちろん通常の盾では不可能な芸当であるが、彼の「トルトゥーガ」は表面を魔法でコーティングし、さらに回転することで気流を生み出し、炎を拡散させたのだ。


 しかしモンスターの頂点に君臨するドラゴンはそんな事では決してひるまない。ブレスが不発に終わったと見るやノーモーションで前足でのしかかり、圧し潰そうとする。だがそれも彼のトルトゥーガの前では的を捉えられない。


 回転は全ての運動の基本であり、そして全てを凌駕する。


 それは目算で軽く10トンを超えるであろうレッドドラゴンの攻撃に対しても同じ。廻り、いなし、芯を外し、それと同時にアルグスは竜の前足を駆け上り、ショートソードで切り付ける。


 だが鈍い音と共に剣は弾かれる。


 トルトゥーガが常に動き、全てをいなす柳であれば、ドラゴンはまさに岩の如し。金属のように弾かれはしないものの、彼の剣は分厚い皮膚と脂肪に阻まれて血を流す事すらできなかった。


 着地と共にまたもや竜の咆哮、灼熱の炎が勇者を襲う。だがまたも炎は拡散して四方八方に飛び散る。悲鳴を上げながら炎に巻き込まれる冒険者、そしてモンスター達。暴虐の竜と人の英雄の二者の間には敵味方の区別などなく、近づく者すべてに平等に死が訪れる。


 カタパルトの先のように超高速で振り回され、隕石の如く地に大穴を穿ちながらドラゴンの頭突きが襲い掛かる。アルグスはそれをバク転で躱し、すぐさまトルトゥーガを投擲するが、これも固い竜の皮膚に弾かれる。


 そうかと思えば竜は唐突に背中を見せる。ワニのよりもはるかに太い尾が辺りの木々と民家を粉砕しながら周辺の全てを薙ぎ倒す。


 一瞬早く跳躍してこれを躱すアルグスであったが、土煙で視界が奪われた。


「走って逃げろ!! できるだけ遠くにだ!!」


 アルグスの言葉が土煙の中から聞こえる。言われずともすでに冒険者達もモンスターも距離を取っていたが、視界を奪われる恐怖を感じてさらに一目散に逃げ始める。もはや並みの冒険者やモンスター達ではその場にいる事すら困難な状況である。


 煙の中からは鈍い音が聞こえ、そして最後に、赤く燃える光が見えた。またもドラゴンブレスである。


「ヴオオォォォ!!」


 咆哮と共に大爆発が起こった。


 何が起きたのか。先ほどまでのドラゴンブレスと比してもはるかに規模の大きな炎。


 竜の尾が巻き上げたのは土煙だけではない。それは細かい生木の破片であり、民家に貯蔵されていた小麦粉であり、甚だしくは木炭までも含まれているのだ。即ち粉塵爆発。


 逃げ遅れた冒険者やモンスター達が炎に包まれる。


 炎に耐性のあるレッドドラゴンは炎の中、悠々と姿を現す。強敵が灰燼と化したことを確信して。


 だが次の瞬間地響きと共に地に伏したのは竜の首であった。


 竜の鮮血を浴びるその姿はまさしく英雄。


 アルグスはブレスの瞬間宙に飛び上がり、下に向けて盾を構え、粉塵爆発が起こることを予測したうえでその爆風を利用して天高く舞ったのだ。そして位置エネルギーを十分に運動エネルギーへと変換したうえでの、竜の首へのトルトゥーガでの斬撃。


 彼は近くの建物の屋根を見上げる。そこには若い魔族の姿。


「へっ、でたらめな奴だ。これだから勇者って奴は嫌なんだよ!」


 毒づきながらカルナ=カルアが飛び降りる。


「ギルドの連中も許せないが、無関係の市民を大勢巻き込んで死なせたお前が一番許せない。覚悟しろ」


 顔に付着した鮮血を懐から出した布で拭い、投げ捨てながらアルグスは言葉を吐く。対するカルナ=カルアは無手のまま半身に構える。


 武器は持たぬのか、魔導士なのか。


 しかしいずれにしろ、この人と変わらない体格の若者が先ほどのレッドドラゴンよりも強いとはとても思えない。だからと言って油断するアルグスではないが。左手の盾を前に、ショートソードは奥に。慎重に構えて出方を窺う。


 十中八九魔法が来る。


 当然そう考えていたアルグスであったが、意外。カルナ=カルアは何の工夫もなく真っ直ぐ突っ込んできたのだ。但し、神速ともいえるほどの速度で。


 軸足、体、そして突き出される拳。


 全てが一直線上に位置し、全体重を十全に乗せる直突き、沖捶ちゅうすい


 ガインッと、まるで金属同士がぶつかったような衝撃音。アルグスは拳を正面から盾で受けて5メートルほども吹き飛ばされた。


(重い……なんて重い突きだ!)


 再び距離の空いた二人。カルナ=カルアは笑みと共に言葉を漏らした。


「ヒヒ……見つけたぜ? てめえの弱点」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る