第26話 ドラゴニュートの姫

「ど、どうかお助けを……神の御慈悲を……」


「悪いねぇ、100年も生きてるけど神様なんて会ったことないのよねぇ」


 ビルギッタは嗜虐的な笑みを見せ、僧侶イーリの顔面を鷲掴みにして持ち上げる。ダークエルフは力に優れた種族ではないはずだが、成人男性の身体がまるで干し草のように軽々と持ち上がる。


 彼女の足元にはアサシンのカバーマの焼死体がぶすぶすと煙を上げている。


「た、助け……」


 めきり、と音を立ててイーリの頭蓋が割れ、両目と耳から血を噴き出した。


「ファイアバインド!」


 それでもビルギッタは手を止めることなく彼の身体を炎で包んだ。炎は数秒ほどで彼の身体を焼き尽くしあっという間に消し炭になり、ビルギッタは炭化した彼の頭部を握りつぶしてりょうてでこすりあわせ、粉にした。


「あれ? 一人足りなくない?」


「ん? そうだな。魔導士の女がいたはずだが……まあいいか。ビルギッタ、邪魔が入らんように扉を閉めておけ」


 ヴァンフルフとカルナ=カルアが何でもないことのようにそう話す。実際彼らにとってもはや闇の幻影の取り残しなどもう興味のない話題なのだ。ビルギッタが鉄の扉を閉めるとブラックモアが楽しそうに話しだす。


「彼女だけは他の人が武器を取った瞬間幻惑魔法で霧を出して逃げる準備をしていましたネ。全く、賢い人です」


 ブラックモアの言葉にもさして興味がない様子で、カルナ=カルアは右手で抑え込んでいたテューマを持ち上げる。頸椎と共に首の神経を圧し潰されているテューマは全く抵抗できずに祭壇に引きずられていった。


 美しい少女だった。


 祭壇に仰向けに眠る、まだ年端もいかない、長い髪の美しい、美しい少女。


 しかしその体はゴルゴーンにでも睨まれたのか、石になってしまっている。自身の長い髪を寝床にして悲しげな表情で眠る石化した少女。もしかしたら最初から石像であったのか。しかしその考えをテューマは自ら否定した。石像などであるはずがない。人の手で、これほどまでに美しい形を作ることなどできるはずがないと思ったからだ。


「これが何か、気になるか?」


 ニヤリと笑いながらカルナ=カルアが問いかけるが、テューマはもはや応えることも動くこともできない。


(この女が……魔剣野風と関係があるのか……?)


 もはや己の生を諦めたテューマは激しい痛みでまとまらない思考で、そう考えた。


「この女が三百年前、魔剣野風を使ってこの地に大量死を引き起こした張本人だ」


「冥途の土産って奴ですねェ」


 解説を始めたカルナ=カルアをブラックモアは頬杖ついて、しかし楽し気に眺めている。


「その罪を問われてこの女は人間どもによって火口投下刑に処された。それがどういうわけか、こうして石になって生き延びていたんだ」


「本当に生きてるのか分からないけどね」


 ヴァンフルフが茶々を入れるように一言話す。しかしブラックモアはすぐに彼の言葉を否定した。


「とんでもない。確実に生きていますヨ。ただちょっと、生命力を失って仮死状態になっているだけです! 命の灯を注ぎ込めば、必ず目を覚ます、ワタシはそう信じてまス!」


 なんとも頼りない言葉であるが、しかしようやくテューマも腑に落ちた。それで若く、生命力にあふれる人間を欲していたのか。彼女を蘇らせるための生贄として。最初は勇者アルグスを。それが難しいと分かって今度はこの自分を。


「俺達は魔剣野風がこの山のどこかに眠っていると信じている。それで何十年もダンジョン内を捜索していたんだが、魔剣の代わりに出てきたのがこの女ってわけさ。

 ……この女なら、きっと魔剣の在処を知っているはずだ」


「魔剣さえ手に入れられれば、もうこんな日の当たらない場所で隠れて暮らす必要もないわ……」


 カルナ=カルアの言葉にビルギッタが続ける。興奮しているのか、少し声が震えているように感じられた。


 オクタストリウムの南部、このカルゴシアはその先にある大陸の南端、小さな領域にひしめき合って生きている魔族の攻撃を常に受けていた。


 何とかしてその版図を広げ、人間たちを支配下に収めたい魔族とそれに抗する人間達の勢力争い。それがこのカルゴシア地方の歴史だ。


 いがみ合い、殺し合い、そして時には協力し合う。そんな歴史の中、三百年前に大量虐殺が起きたことはテューマも知っている。それが目の前にいるはかなげな少女の起こした所業だったとは。


「そこから先はお前も知ってる通り、この地は人間の手に落ちた。だが魔剣を手に入れられれば俺達魔族にも風が吹いてくる。魔剣を手に入れてこの地を平定した後、人間側の支配者の座を約束してやる条件でギルドの協力を取り付けたってわけさ。そこのブラックモアがな」


 ブラックモアはこの言葉に反応してにこやかに手を振るが、テューマの視界には入らない。


「まあ、セゴーの奴には文句言ってやらんとな。よりによってこんなザコを協力者として寄越してくるなんてよ」


 そう言ってカルナ=カルアは顔をテューマに近づける。ああ、もう最期の時か。そう直感した。


「喜べ、お前みたいな力だけが自慢のでくの坊が美しい竜人種ドラゴニュートの姫の生きる糧となれるのだ。そしてこれは歴史的な大きな転換点でもある。魔族が人類に対し反転攻勢を仕掛けるという大事件だ」


 もはや何の望みもない。まさかここに偶然勇者アルグスが助けに来るなどという陳腐な展開もないだろう。イザーク達も殺されてしまった。やれるだけのことはやった、もう思い残すことはない。そうテューマは思った。


「さらばだ、お前の名前は忘れない、ピューマ」


 テューマです。


 切り裂かれ、赤く噴き出す血は少女の石像をくまなく濡らしていった。誰にも看取られず、地の底の小さな部屋で、カルゴシアの剛腕と恐れられた冒険者のリーダーは、命を落とした。

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