第10話 遭難

 食事を終えて私達は天文館を後にした。


 往来をずんずんと肩で風切って歩くドラーガさんの背中は心なしか頼もしく感じられるような気がした。


 この人は情けない。


 この人は無様だ。


 おまけにこの人は無能。


 でも、目的のためならば手段を選ばず、それを逡巡することなく即座に実行に移す『強さ』がある。アルグスさんは彼の事を『無能』とそしり、疎んでいるようだったけれど、しかし目的が一致すればこれほどまでに心強い人はいないのではないだろうか。私にはそう思えてならなかった。


 なぜならダンジョンの中は一瞬の判断の迷いが生死を分けることがある。ならば、彼の『判断の早さ』、『迷いの無さ』は他に変えがたい大きな武器なのではないかと思えたからだ。


「ドラーガさん、これからどこに向かうんですか?」


 ドラーガさんはちらりと背中越しにこちらを見て、歩きながら答える。


「帰んだよ」


 と言って一層その速さを上げて歩き続ける。


 帰る、とは言っても、アジトのある方向とは真反対の方向に行っているような気がする。


 私も正直言ってこの町には来たばかりで地理に明るいわけじゃない。でも今歩いている街並みは明らかにこれまでに見たことのない風景だ。一体ドラーガさんはどこに行こうとしているんだろう。さっきテューマさんに絡まれたことと何か関係があるんだろうか。


 いや、これも何か考えあったのことに違いない。私はそう思って早足で一生懸命彼についていく。歩幅が大分違うので結構つらいけど。


 しばらく歩き続けてそろそろ空も赤く染まり始めるだろうか、というころ、不意にドラーガさんが立ち止まった。早足で追いかけていた私は泊まりきれずにドラーガさんの背中に鼻をぶつけてしまう。


「んぐ!? ……ドラーガさん?」


 特に何かお店があるわけでもない。周りの風景は特に見覚えもない。というかこの町の地理に明るくない私には全く分からない場所だ。


 ドラーガさんは何も言わない。


 こんな場所で立ち止まる理由……それが全く分からなかった私はふとあることに思い至ってバッと後ろを振り向いた。全身の筋肉を程よく弛緩させ、軽く膝を曲げて不意な襲撃にも対応できるように杖を構える。


 そうだ。『この場所』に何かあるのではない、となれば立ち止まる理由はほかには一つしかないと思う。『場所』でなければ『人』、『辿り着いた』のでなければ『辿り着かれた』という事。


 そしてもし私達を尾行している人がいるとしたら、今の私にはそれは一人しか思い当たらない。


 でもその姿は見えない。


 私は思い切って、その見えない人影に話しかけてみる。


「いるんでしょう……テューマさん!  出てきてください……」


「え? テューマ? どこにいるんだ?」


「え?」


「え?」


 ん? あれ? 違うの? なんか話が見えない。私は直立に立ちなおしてドラーガさんに尋ねる。


「えと、テューマさんが尾行してた、とかでは?」


「テューマが? なんで?」


 なんでって……なんでやろ?


「えっとぉ……たとえば、天文館で恥をかかされたから、とか……」


「恥を? 土下座したのはこっちなのに?」


 そう言われてみればそうだ。なんかもう、ドラーガさんの土下座の価値が私の中で薄くなりすぎて、なんとなく恥をかいたのは向こうの方だと思っていたけれど、よくよく考えてみればその通りだ。


 ……だとしたら、なんで立ち止まったんだろう? というかもう直接聞いた方が早いか。


「えと……じゃあなんで立ち止まったんですか?」


 私がそう尋ねるとドラーガさんは辺りを見回し、冷静に、ゆっくりと答えた。


「どうやら……迷ったな……」


「ん?」


 ええと……迷った?


 え?


 本拠地にたどり着けないという事?


 ドラーガさんはこの町に暮らして長いんですよね? セゴーさんにも『何年この町で冒険者やってんだ』って言われてたから少なくとも年単位でこの町に滞在しているはず。


 ましてやギルドの本部なんて冒険者がしょっちゅう足を運ぶ場所なんだから、迷うはずが……迷った?


「お前……ここがどこか分かるか?」


 私は首を横に振る。正直この町にも来たばかりだし、天文館に来たのも2度目、メッツァトルのアジトにも一回しか行っていないから場所がよく分からない。


「はぁ……道ぐらい覚えておいてくれよな」


 え? 私が悪いカンジ? 何年もこの町で暮らして『ヘコヘコバッタ』なんて二つ名までつけられてる人がまさか道が分からないとか思いもしないですよ。そんな事思いもよらなかったから黙ってついてきたのに。


 ……いや


 ……違う


 これは私のミスだ。朝、アジトを出る前、アルグスさんに言われたことを思い出した。


―― このパーティーを知る、とはつまり、ドラーガのポンコツぶりを知る、ってことだ。パーティー登録という試練を通じて、それを肌で感じ取ってくれ ――


 そう、これは『試練』だったんだ……すっかり忘れていた。ドラーガさんの事を甘く見ていた私が悪いんだ。自責の念に駆られていると、ドラーガさんが声を上げた。


「行くときは太陽を背にして歩いて行ったから、今度は太陽に向かって歩けばいいと思ったんだけど、なんで迷ったんだろうな……」


 マジか……


 出る時と帰る時じゃ太陽の位置が違うでしょうが……動く物を目印にしてどうするんですか。と、思ったけど待てよ? よくよく考えたら、出た時間と帰った時間が分かるんだから、大体の進んだ方角が割り出せるのでは?


「途中からはもうわけ分かんなくなって適当に進んじゃったから、ここが町のどこなのか、全く分からんな……」


 ホント死ね、このくそ野郎。


「しかしまあ、せっかくだからこれを機にお前に覚えていてもらった方がいいかもしれんな」


「何をですか?」


「野営の仕方だ」


 ……野営?


 野営とはまさか……野宿をするという事? この町中で?


 私達がいる場所は別に森の中でも山の中でもない。普通に民家の立ち並ぶ下町のストリートだ。さっきからうだうだ話し合ったりしてるけど、普通に横を人が通り過ぎたりしている、ごく普通の町中だ。


 え? 山の中でもダンジョンの中でもなく、この町中で、家に帰る道が分からなくなって、迷子になったから野営する?


 ちょっと何言ってるか分からないですね……


 と、呆けている間にもドラーガさんはそのあたりに落ちていた木材とか、誰かの民家の壁に立てかけてあった大きな板とかを集めてきて、空き地に簡易的な宿を作り始めていた。


 いや、言ったけども。


 確かに『目的のためならば手段を選ばず、それを逡巡することなく即座に実行に移す強さがある』とかついさっき言ったような気がするけども。


 ちょっと迷いが無さすぎじゃないですかね。


 仕方なく私も屋根の設営を手伝い始める。トホホ……なんでこんなことに。


 ドラーガさんは簡易的なかまどを土を盛って作り始める。辺りはもう暗くなってきてるから火を起こすんだろう。こんな町中で。楽しそうに木材の端切れを組んで、お得意の指先の炎魔法で火をつけた。


 わあ、なんだかキャンプみたい。全然楽しくないけど。


「ま、こういうのも冒険の醍醐味だな」


 冒険してないですけど。ギルドにお使いに行っただけですけど。


 さらにドラーガさんは荷物袋から二人分の干し肉を出して、串状にした木材に刺して、軽く炙り始めた。美味しそうな匂いが漂ってくる。そして通行人の視線が痛い。


「こんなこともあろうかと、非常食を用意してたんだ」


 こんなこともあろうかと思ってたんなら非常食じゃなく地図を用意してください。


 結局、私達がアジトに帰れたのは三日後になった。

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